千葉刑務所の今
 千葉刑務所の今
 (監獄通信 no.94 2010.2.10発行号より転載)
 
 
獄中⇔獄外ジョイントセミナー
新法前後の千葉刑務所服役体験
折山敏夫さんに聞く
 
リード
 200811月8日に都内でもたれた折山敏夫さんの獄中体験を聞く交流会でのお話を紹介します。
 編集部の事情により、1年以上も経ってしまいましたが、新法見直しのためにも、共有したいと思います。
 発言者(登場人物)のうち、獄外事務局メンバー以外の方については基本的に匿名としました。
 
囲み
折山敏夫さんの冤罪を訴えるブログ雪冤闘争宣言や近況等の記事が掲載されています。
     http://ennzai.yokochou.com/
   http://blogs.yahoo.co.jp/orisen0706
 
本文
永井(司会・進行) 折山敏夫さんは、田園調布殺人事件で逮捕され、冤罪の訴えも届かず、懲役20年の判決を受け、千葉刑務所で服役し、2007年の11月に満期出所されました。
 折山さんが未決で東京拘置所にいた頃は、統一獄中者組合の仲間として交流させてもらっていました。
 その頃、私の場合だと「ニーチェ訴訟」など文書の検閲・抹消の問題に主に取り組んでいました。
 当時、裁判中の宇賀神寿一君らと獄外支援者が共同原告になって、差し入れた岩波新書『ニーチェ』他が一部抹消されたことへの国賠訴訟でした。
 そんなこともあって、折山さんには、獄中で受け取ったパンフレットや通信類に抹消がなかったかどうかの報告を定期的に寄せてもらっていました。あの頃はありがとうございました。
 今日は、彼の千葉刑務所での体験談をみんなで共有したいと思います。
 とりわけ、監獄法が改正され、新法・新新法が施行されるという時期を挟んでの服役なので、貴重な最新のお話が聞けると思います。
 折山さんが、今一番世の中に訴えたいことは、多分、ご自身の事件の冤罪の問題ではないかとは思いますが……
 
無罪主張と仮釈放
折山 ここでは、事件のことはあまり詳しく話しても仕方がないので、端折っちゃいますが、ずっと「無罪だ」と言っていたためか、刑務所の中での処遇は、ちょっと別格でした。
 結局、満期まで勤めることになりましたが、中では多分模範囚だったと思います。看守も折山を出してやりたいとはっきり言っていましたから。
 実際に、千葉刑務所の所長から仮釈放の申請は出ていました。ところが法務省のほうで却下されて、結局、満期までいることになりました。
 却下の理由は、私が無罪だと主張していたからだろうと思います。無罪と言っていれば仮釈放されないことは、私も想像していましたので、別にびっくりすることじゃないんですけれども。
 今も受刑者で冤罪を主張している人がずいぶんいるんですが、もう仮釈放は絶望的ですね。
 無期で冤罪を主張している人はこれからどうなるんだろう。この人たちが一番大変です。死刑の人たちはけっこう支援がつきますね。死刑で冤罪って言っていると必ずつきますから。
永井 近頃はそうでもありませんよ。死刑判決がすごく増えているから。
折山 ああ、そうですか。
永井 以前、死刑確定囚が50人ぐらいの時代が長く続いていました。その頃は、それなりに支援のいる人も多かったと思いますが、今、死刑確定囚が約100人になっています。
 自分で取り下げて確定しちゃう人もいれば、裁判も早くなっていますから、未決の間に交流するということもあまりできないようになっています。
 普通、地裁で死刑判決が出て、やっと、こんな死刑囚がいるんだということ自体が、わかるわけです。
 控訴審になると、だいたいどの拘置所にいるかもわかりますから、それから面会や文通による交流がはじまったわけですね。
 今は、上訴を取下げなくても、控訴審、上告審まで、あっという間に進んで確定してしまう人たちが多い。
 逆に接見禁止の期間は長くなっていて、やっと交流できるようになったときにはもう判決が近くなっている。
 それが無期の場合、死刑の10倍以上の件数なわけですが、交流できている人がいっそう少なければ、冤罪も主張しづらい事情にはさらに深い問題があると思います。
折山 そうですね。獄中で私は冤罪を主張している無期の人にずいぶん会いました。すごく多いですね、千葉刑あたりは。
 その人たちからの相談もずいぶん受けたんですが、みんな悩んでいます。無罪の主張をひっくり返すべきかどうか。
 ひっくり返さないと仮釈放は全く展望が立たないんです。
 私も、分類の課長に呼ばれて、引っくり返さないとなかなか出られないんじゃないかということでかなり説得を受けました。
 私は有期だったからいいですけど、無期の人はずっと出られないということになっちゃいますから。
参加者B 引っくり返せと言われたのは、つまり、無罪主張するなということですか。
折山 はい。法務省の意向です。罪を認めなければ出られないということをはっきり。
 ずっと冤罪だと裁判で争ってきた人は、入った途端に言われるようです。
 
無期囚が4割をしめる
永井 基本的なことで、千葉刑務所で服役されたわけですけど、いつからいつまでというのを確認させてもらえますか。
折山 千葉刑務所には平成71995)年の3月から、平成192007)年1114日までで、15日の朝出たわけです。
 ここに在監証明書があります。東京拘置所には昭和601985)年1128日からとなっています。
 判決は懲役20年で、裁判で10年争って、未決通算は75ヶ月しかもらえませんでしたので、12年半、服役しました。
 そのかんに職業訓練で松山刑務所に半年ほど行きました。
永井 千葉刑の場合LA、犯罪傾向の進んでいない(≒初犯の)、だけど長期の受刑者を対象とする施設なわけですけれども、無期の人が何人ぐらいいましたか。
折山 私が聞いた話では、今はもう45分近い、4割以上でした。
 千葉は刑期が7年以上が対象ということになっていますが、実際には7年とか8年とかいう人はもうほとんどいません。いても、俺たちはションベン刑だと。7年、8年でもそう言うぐらい、無期の人たちが多いんですね。
 千葉刑務所は収容者が全体で、800人を越えています。そのうち4割以上が無期です。
永井 全国的には無期囚が1600人から1700人になっていますから、千葉に300400人いても、不思議ではないんですが、それにしても多いですね。
 
チクリによる懲罰体験
永井 模範囚だったということですが、懲罰も2回受けたと聞いています。懲罰の中に監獄の問題が凝縮されていることが多いので、その経緯を詳しく伺いたいと思います。
折山 私の受けた懲罰は訓戒ですから叱られるだけで、処遇上は全然変わらないものでした。しかしその理由が、どうしょうもない。職員もこの程度のことで懲罰にするかどうか悩んだろうと思います。
 一つは、職員に対する不正申告。
 私は工場の中で雑役をやっていましたので、全員のタオルにナンバーを書かなきゃいけないんですけど、薄くなったナンバー文字を、他の用途で借りたマジックインキで書き込んだだけなんです。ただそれだけです。
 マジックインキを職員から借りますね。そのとき、何のために使いますって言います。薄くなったタオルがあるのでそれに書きますって申告すればよかったんですよ。私がその役目だから。
 ただ、他の用途で使いますって借りたマジックインキで、ついでに私が書いちゃったのが……。
参加者A 看守に見られたんですか。
折山 いやいや、そういうのはみんな同囚のチクリ、それも何日も経ってからです。
永井 それはいつ頃のことですか。
 ささいなことでは懲罰にしないようにという指導があったり、所長によって厳しさが違ったりとかいうこともあるので、だいたいの時期を確認しておきたいんですけど。
折山 2級になった後ですね。3級の時に雑役になったんです。
 千葉刑へ行ってから4年半ぐらい、今から8年ぐらい前のことです。
 もう一件、これもチクリなんです。
 私はそのとき、工場で作業補助というのをやっていました。いわゆる班長です。流れ作業の品物を回すのも、私しかできないんです。
 朝、ある人のところへ行って、もう(これは加工が)終わってるんだよね、(次の工程に)回すよって小さな声をかけて、回したんです。そしたら夕方になってから呼ばれました。お前、朝、不正交談したんじゃないかと。一言でも許可を得ないで喋ると違反なんです。
 私が声をかけた人というのは、いわゆる問題児でした。いろいろ問題を他の工場で起こして、行く所がなくなっちゃって、職員からわざわざ、折山でなきゃ引受けられない、ここに置いといてくれよと言われていたのです。
 そういうことを知っていますから、なるべくその人の心を穏やかにするために私はちょっと声かけていくんです。黙って持っていったりすると、「おいっ!」ってなりますから。
 午後になってからその人の別な不正交談が職員に見つかってしまった。
 そのときに、実は折山も朝、荷物を持っていくときに私に話しかけてきました、と、言われてしまったわけです。
 ですから私が不正交談したことは違反なんですけど、相手が非常に問題を起こす人であり、私も引き受けたくない、他の部署を探してくれと言っていたのを職員も知っているものですから、訓戒にしかならなかったんです。その2件です。
永井 一件目のときはどういう人が何を意図してチクリを……
折山 担当さんが私を計算係にしようとしたんですね。私は勘弁してくれと言ってたんですけれども。
 それで、この帳簿をちょっと見ろとか、数字を計算しろとか私に言うもんですから、現にいた計算係の人が自分の仕事を取られると思っちゃったわけです。
 それで懲罰に挙げて追い出そうと、私のやることなすことに目を光らせていたんです。
 たとえばですね、雑役をやっていましたから、昼の配食とかは全部自分の責任でやらなければいけない。メニュー、献立が壁に張ってあります。朝、ちょっと見ちゃうんですね。その日の昼のメニューを早く知りたい。分かっていれば準備や段取りが全然違いますから。
 それを目ざとく見つけて、職員にチクルということがたびたびあったんですよ。折山は仕事の途中で食事のメニュー表を見ていました、と。脇見になるわけです。
 たびたびそんなことがあった。ハンカチの洗濯物を集めるのに5分早かったとか。たとえば、335分に集めなさいって指示されているときに、3時30分にハンケチを集めると、今日、5分早く集めました、なんてチクってる。そういうことをたびたびやっていた人なんです。
 その人が23日経ってからチクったんです。折山はマジックインキで無断で書き直していたと。
 で、23日前にマジックインキを借りた理由は別の用件だったわけですから、これが不正申告ということで、懲罰の対象になった。
 
担当職員の裁量・権限の管理強化
参加者B 担当が握り潰さないですかね、そんなの。
折山 そこが、これから話したかったことなんです。
 大幅に変わったこととしてですね、昔は工場担当職員がうんと権限を持っているわけです。そんなものみんな握りつぶしました。
 もっと露骨に、たとえば、懲罰のために取り調べに挙がった人まで、いや、こいつ、うちの工場にいないと困る大事な奴なんで、頼むよって言って、身柄を引き取ってくるぐらいのことを担当は平気でやっていました。
 ところが今は刑務所の中も管理社会になっちゃいまして、ありとあらゆる細かい点まで全部マニュアルで、マクドナルドの店員と同じです。頭の下げ方から、お金の渡し方まで。
 看守がそうなっちゃったんですよ。だから担当がもう自分の裁量でできるということがうんと減っちゃっいましたね。
 軍隊式行進が無くなった頃からです。
永井 新法が準備されている頃ですね。行刑改革会議で議論されている頃に、あちこちで軍隊式行進をいったん止めるようなことがありました。
 その頃は、名古屋刑務所の事件とかも含めて、過剰な規律が問題だという声が高まっていました。
 すると、今度は逆に、看守の方がマニュアル化、管理が強化されてしまったという感じなんでしょうかね。
大山 軍隊式行進がなくなったというのは、具体的にはどういう歩き方をするんですか。
折山 うちらではメチャメチャです。もうどうしょうもないです。
 一応、歩調はあわせることになっているんですけど、長い列、たとえば40人なんていったら、前と後ろは全然合っていません。
 いち、にっ、の声もかけないです。ゾロゾロゾロ……
永井 以前は、入所時、最初に叩き込まれるのが軍隊式行進だって聞いていましたけど。手や膝を上げる角度まで。
高安 健康にいいかもしれないって手紙に書いてあったわ(笑)。
折山 ほんとにそうなんです。
 私は東京拘置所に10年いましたから、足腰すごく弱っていたんです。独居で運動もほとんどないですから。
 向こうへ行った途端にあの行進だけでフラフラでした。あれを30分させられるだけで足がもう上がらなくなる。今から10年前はそういう厳しいものでした。
 だけど、松山は今でも厳しいようですね。最近、私が出る直前に職業訓練に行った人が帰って来て言ってました。
 ですから短期のところはわりと厳しいようです。長期のところは緩めている。そういう傾向があります。
 でも、緩めていると言っても、表面的な形だけですよ。かえって、さっき言いましたみたいに管理社会になっていますから、他の面では非常に厳しいですね。
 
過剰収容の実態
永井 このかん、無期囚だけじゃなくて、被収容者の数がどんどん増えてきた結果、過剰収容が問題になっています。全体で定員をオーバーしだしたのが何年ぐらい前だったかな。
 折山さんが入っている間に定員オーバーになったと思うんですけど、そういうことと並行しての処遇や、独居、雑居等の変化はどうでしょうか。
折山 私が千葉に入ったときで被収容者は480人ぐらいでした。今、800人を越えてます。
 そのかん建物を増設したかというと何もしていません。ただ、会議室だとか、教育のための部屋だとか、そういうものがどんどん収容房に変わっていきました。
 たとえばいろいろなクラブがありますね。書道の勉強ですとか、そういったことをやらせるスペースがあった頃は、活動を夜やっていたんです。仕事が終わって、舎房に戻って夕飯が終わってからそういう部屋へ行ってやっていたんですが、今はそういったスペースが全部舎房に変わりました。
 独居房も私が出る頃にはだいたい3分の1は二人部屋になっていました。
 あの狭い……、ご存じかもしれませんけど、東京拘置所のあのスペースと同じ、約5平方メートルですね。そこに2人ですから大変です。布団は二枚重ね合わせないと敷けませんからね。
 千葉の場合、昼夜独居の人の房も合わせて、独居房は250室ぐらいあるんですが、現実問題として、処遇困難者、単純なことでは、いびきが煩いとか、いろいろな理由で雑居では生活出来ない人がたくさんいます。
 普通の状態の人で工場に出て夜間独居というのは、一つの工場でも一桁、私がいた45人ぐらいの工場で、3人か4人でした。
 私も一時期、2人房に、23ヵ月いましたが、私は雑居より独居のほうが長かったですね。
 私はすごく恵まれていまして、職員とは仲良くやることに決めていましたから……すみません(笑)。
 
獄中者運動を警戒する眼
折山 私は職員と絶対に対立はしないということに決めて、それで、高安イツ子さんなんかにも言ったんです。『監獄通信』は送らないでくれって。
 もう入ってすぐ上から言われましたから。『監獄通信』を読むな、何々は読むな、と。
 建前上は読んでもいいんですよ。ただし、読むなといわれているのを読むわけですから、後の対応は大変になります。
永井 今は多くの受刑者が『監獄通信』を読んでいます。そのことにより不利益を受けたという話も特に報告されていません。
 仮釈放がどっちにしろほとんど認められなくなっているからかもしれませんが。
 以前は折山さんだけでなく、下獄する際にやめていく人が多かったですよ。
 脱退届とかわざわざ送ってくる人もいて、その頃でもそんな文書だけはなぜか組合にも発信できたりしていました。暴力団と一緒で、離脱指導のようなことがされていたわけでしょう。
 刑務官に回されていた資料を見たことがあります。統一獄中者組合ができる少し前の頃のものですけど、要注意団体として、獄中者組合、救援連絡センター、死刑廃止運動団体などが載っていました。新左翼党派との繋がりとか結成のいきさつとかも書いてあってね。
 ずいぶん後になってから見たのですが、こんなふうに警戒されていたんだとびっくりしました。
 昔は、『監獄通信』を読んでいたら工場には出られないと思われていましたね。
 
工場の体験
折山 工場ですが、千葉は大きいものは金属工場が3つぐらい。それから、靴の工場が2つ。あと、印刷の工場があって、あとはみんないわゆる雑工場。手内職ばかりです。ひどい単純作業です。
 普通は工場を転々と移動するんですけど、僕は入ってから12年何ヵ月かのうちの最後の2ヵ月ぐらいを移動させられただけです。
 それはもう移動させることになっているんです。釈放の、満期の1、2ヵ月前になるといろんな情報が入って、他の囚人に外での頼まれごとをしたりするものですから移すんです。
 それ以外は1つの金属工場にずっといました。替わらないのは私と、もう1人ぐらいでした。
 私のところは多くて45人ぐらい。一番小さい工場でした。
 旋盤回したり、色んなものを作っていました。かなり大掛かりなものも作ってましたよ。車を洗うあの洗車機なんてのをそっくり作っていましたから。
永井 世の中の不況のせいで、刑務所での仕事を探す職員があたふたしていると聞きます。
 逆に仕事が多いときには残業させられるとも聞きますが、そういう好不況の波が工場での仕事に影響していたことはありますか。
折山 残業は原則としてほとんどないですね。
 残業させないのは、私たちのためではなくて、職員の負担になるから。
 これは明らかにそうなんです。残業させると職員だけではなくて、食事の世話から何まで大変なんですね。その工場と周りの人だけが残業すればいいだけじゃなくて、結局、舎房に入るまでは全員残ってなきゃいけない。警備隊も。
 そうすると一つの工場でも残っていると全員、職員が帰れないんです。負担が非常に大きいので、原則として残業はさせません。
 金属工場ではほとんどなかったですけれども、残業したって話を聞くのが全部の工場を合わせて、年に、5回か6回か。月に1回もなかったです。
永井 じゃ、逆に、今日は仕事がないんだ、というようなことはありませんでしたか。
折山 いや、それが……。先ほどちょっと単純作業って言いましたが、一番単純な仕事は、一枚の紙を渡されまして、八つに折って広げるんです。八つに折って広げる、また八つに折って広げる。それが仕事です。
高安 何に使うんですか?
折山 いや。ただそれが仕事です。それを1ヵ月、1日8時間。折って広げて、折って広げて。
平野 何かさせなきゃいけないからということでそうなるわけですか?
折山 そうですね。
永井 それは居房でじゃなくて工場でもやるわけですか。
折山 工場でも似たようなもので……。
 工場で一番多い仕事は、千葉の刑務所の就業者の中で一番多いのは、アイスクリームのスプーンをビニールの中へ入れる作業。あれだけを10年、20年ずうっとやらなければいけないんです。これを入れているだけです。
 それを20年させられたらもういい加減おかしくなりますね。
 実際に従事している人間が一番多い仕事がそんなものです。
 私のいた金属工場は、40人、精鋭というか、振り分けがあるんですけど、入って適正検査全部やって、かなり優秀な連中が来ていますから。
 その人たちは仕事のない日もそういう仕事はほとんどやりません。
 ところが、単純作業をやっている人たちの仕事が切れたときが一番ひどいんです。仕事というレベルの話じゃないんですね。安全教育と称して、一日中教育ビデオを見させられている。
永井 金属工場での仕事自体は、折山さんとしてはちょっとは技術を身につけたところがあったりは……
折山 いえいえ。多分聞いたら驚かれるんじゃないかと思うんですが、旋盤をですね、これちょっと故障したよって見てみると、札が貼ってありましてね、そこに色々注意書きが書いてあるんです。
 書いてあるのが全部カタカナです。ということは、いつ作られたものか多分おわかりになると思います。昭和22年とか、25年とかね。
 昭和25年の機械を今どき使っているわけですよね。現実に。そういう機械で仕事をやっているんですよ。
 私は松山で職業訓練に行ったときはNC旋盤、数値制御機械をやったんですが、その数値制御機械ですら、もう古くて古くてどうしょうもないんですけれども、でも、千葉でやっていた旋盤から比べたらもうびっくりしちゃいましたね。ああ、今、旋盤ってこうなっているのかって。
参加者B 千葉の印刷工場の印刷機はどうですか。
折山 同じです。古い。
 ただし、印刷工場だけはちょっと別格だったものですから。公官庁の採用試験問題ですとか、あれは千葉でやっているんです。あれは情報管理ができる刑務所でなきゃダメですから。
 それから公官庁の帳簿類の印刷をやっています。
 その前はもっと厳しい、天然色のきれいな美術印刷もやっていまして、その美術印刷はお札に近いようなやつですね。たとえば、国債の証券ですとか、うんと高級な印刷をやっていたそうです。
 そういうものをやっていた時代があったものですから、機械は割と新しいんです。
 ただしそれは何年か前に止めました。
 だから今の機械はせいぜい10年ぐらい前。まだ使えますけれども、ただし、多分、技術を身につけたから外へ出て何かできるかというとできないですよ。
 作業では部分、部分を引き受けていますから、全体の流れが全然わかりません。
 たとえば現像なら現像だけ、写植なら写植だけを10年、20年とやっているわけで、印刷の全工程を知るわけじゃないんですよ。
 
医療問題/歯科と労災
永井 あと医療のことで、東拘から数えれは20何年、獄中で持病を抱えていたり健康を害されたりすると中の医療では相当大変と聞きますが。
折山 私は幸いなことにずっと健康でした。医療はほとんどお世話になりませんで、東京拘置所時代も多分医務室に行ったのは健康診断のため以外は行っていません。
 千葉でも、病気治療で行ったのは風邪を引いたときに薬を1回か2回もらったことがある程度です。
 歯科医だけですね。歯だけはこれはもう仕方がなくて行きましたけど。千葉でも行ったし東京拘置所でも行ったんですが、千葉では酷い目にあいました。
 普通、どこでもそうですけど、申し込んでから1年半ぐらいかかります。
 1年だったらまだ早い。お前早かったなって。
 その間、痛くて痛くてしょうがなくて・・・でも我慢するしかないんです。
 緊急の場合だけ痛み止めをもらいます。もうどうしても緊急と職員が判断したときだけ。
 仕事をやらなければいけないので、仕事に差し障らないようにすることが最優先なんですね。痛み止めをうたないと作業ができないとなっちゃうとこれは……。
 ですから逆にいうと、早くしてもらいたければ、これじゃもう明日は寝ているしかありませんって申し出れば、緊急性があるということで、痛み止め処置だけはやってもらえます。
 薬をもらえます。だから、東京拘置所よりも千葉のほうが恵まれています。
 でも、実際の治療はそれからずっと待たされるんです。
 私の場合、治療してもらって1年ぐらいで、差し歯の金冠が外れちゃったんですよ。接着剤をつけて嵌めこめばいいだけなのに、修理を申し出てから1年半待たされました。
 そうして、1年半も経ったらこんな歯はもうズレちゃっているから入らないよ、と。
 で、新しく入れなおした。すると、3本のブリッジでしたから、それだけで9万円ですね。あれ、13万円と決まっているんです。歯は抜歯が1万円。 
 自己負担です。お金が無い人は大変です。
 ブリッジは1本おかしくても両側ブリッジ入れますから3本分で9万円になります。だから1本の虫歯、抜いてブリッジを入れると10万円かかるんです。 
 歯医者さんが普段から週に一度しか来ません。
 あそこは、800人の受刑者のほかに、未決もいますから12001300人いるわけですね。順番を待つしかありません。
参加者B 週に1回? 歯医者は多くて、府中刑務所にはずっといたけど。
折山 来てくれないと言っていました。
 千葉にはいろんな専門医が34人いて交代で来てたんですけど、それが23年前、監獄法が変わった頃から、毎日、内科医か外科医が一人居るだけです。
 その先生がすべて見るようになって、ちょっと専門外の診察があるとすぐ町へ出すようになりました。
 千葉の場合、金属工場では、怪我はよくします。例えばよくあるのはグラインダーを使っているとゴミがサーッと出てますが、あれが目に入っただけでもそれを取ることができないので、すぐ町の眼科医へ行くんです。
 町へ出た場合には減点の対象になります。今は減点とはいいませんけれども、昔は減点されました。
 持ち点を持っていて、事故がなければ毎月点数が減っていってその持ち点がなくなると、級が上がるという仕組です。 
 何かあって減点になると、点数は加算されてしまう。作業中の事故でも、外に出ると減点……
平野 それはないよね……
折山 ないと思うでしょうが現実です。
参加者F 不注意だって言われるんだろうね。
折山 もちろん不注意ですよ。取調べの対象ですから。
 だからすぐに昼夜独居に入れられて。懲罰になるかどうかはともかくとして……
平野 作業用メガネとか支給されていますか?
折山 支給されます。ですからそれも違反になる。メガネやっていればそんなことありえなかったと。メガネの隙間から入っても、それは違反の対象です。だからすぐ取り調べになります。
 手をスッと切ったとき、バンドエイドですまなかった場合、それ以上一針でも縫うとかした場合には取り調べの対象。
 金属工場ですから、非常に事故は多かったですね。
 
持ち点制度とは
参加者B さっきの点数ですけれども、持ち点と言いましたね。どういうふうに減ったり増えたりするんですか。
折山 たとえば、懲役20年の人はスタートするとき最初の持ち点が200点です。
 何もなければ毎月7点ぐらいが減っていきます。年に80点ぐらいですから、3年弱ぐらいで200点が全部消えて3級になるわけですね。
 次はその倍で400点持たされて、400点が消えると2級になるわけです。
 担当と喧嘩したとか、あるいは、担当の補助をしたり班長をしたとかでも増減します。
 前は仮釈放もそれで決まっていたんです。
 2級になると、また倍の800点持たされます。それが消える頃になるとそろそろ仮釈放だって職員が教えてくれるわけです。
 
不服申立て/目安箱の効き目
永井 仮釈放にからむ話は関心が高いので後でまた話題にしたいと思います。
 新法で、いろんな不服申立ての制度が新設されました。
 その前は主に所長面接とか願箋とか、よっぽどの場合に国賠訴訟などが行われていました。
 そういった過去の不服申立て制度と比べて、新法になってからの刑事施設視察委員会への申し立てだとか、そういった新しい制度についての印象はどうですか。お使いになりましたか?
折山 私個人については、私は一切不服申立てはしないと、最初に入るときに決めていましたので、不満があってもそれはまぁ当然だということで一切私自身は気にしないようにしていました。
 だけど、周りの人には非常に困っている人がたくさんいました。
 そういった人たちが次々に相談を持ってきました。だから他の人がどうやっていたかはわかりますけれども、私自身は、東京拘置所時代は別ですけれども、千葉に行ってからは不服申立ては一度もしていません。
永井 新法が施行のときに、これからこんな法律になりますとか、こういう制度ができましたとか、そういった説明とかはあったでしょうか。
折山 房に備え付けの「所内生活の心得」というのが、新法でがらっと変わりまして、その全文を私、ノートに写してきたんですよ。
 説明は、その一部分がマイクで放送されただけです。二度読まれたかな。ですからそこに書かれた以上のことは一切ありません。
永井 すると、みんなが集まって質問を受けたりとかそういうことは全然なくて……
折山 ありません。
永井 たとえば、視察委員会への投書用の目安箱とか目にしましたか?
折山 これは、千葉の場合は非常によくなりまして、みんな心理的にも安心したんじゃないかと思います。出役行進の途中に視察委員会あての投書箱が一つ置いてあって、何でも書いてここへ勝手に入れてよいことになっていました。一切、検閲しないタテマエになっていまして、毎日工場へ出るときにスーッと入れることができるようになったんです。実際に入れるかどうかは別にして、そういう制度があるということだけで、囚人にとってもすごくいいですし、看守にとっても、何言われるかわからないということで、嘘かほんとかは別として、とにかく、そういう情報を入れられちゃ困るようなことはしなくなる。その段階で若い職員たちが少しおとなしくなったことは確かです。
参加者B しかし、あれは一般的には、視察委員会に投書したいんだということを申し出て紙をもらうんでしょう。
折山 はい。普通はそうなんです。ところが千葉の場合はポストが置いてあって、自分の便箋に勝手に書いて、勝手に入れていいんです。ようするに検閲しないってことだから用紙も何でもいいんです。便箋だろうが何だろうが。自分のノートを破いたら懲罰になりますが(笑)。
永井 そういう目安箱に入れる用紙自体が申請してもらわないといけない刑務所もあって、それでは、全然秘密が守られないじゃないかと問題になっています。参加者B 訴えの内容はともかく、誰が出したかというのはすぐわかるわけでしょう。
折山 千葉の場合は大丈夫なんです。ただ問題は、工場へ出ている場合はいいんですけど、独居の人はどうするか。これは職員に渡す以外にないんですね。ルールでは、封筒に入れ、封をして出すことになっているんですけど。
永井 疑いだしたらきりがありませんが、一応、視察委員の人たちが、直接、目安箱から取り出して検討しているそうですよ。
大山 目安箱を部屋に持って来たりするのは職員でも、その鍵は視察委員が持っています。
折山 まあ、安心感があるからそれだけで全然違いますね。それに職員に見つからないように入れることもできますからね。ゾロゾロと行進していきますから、サッと入れる分にはそれは大丈夫です。そういうのは囚人は慣れてうまくなります(笑)。
永井 目安箱も新法(受刑者処遇法)以降なんですけど、2年前になりますか、新法の施行(2006年5月)前後で、他に特にこれは変わったなと思うようなこととか、変わらないなという感じとか、どうですか?
 
辞めていく職員・交替する所長
折山 一番変わったのは、外部に対するコミュニケーションができるようになったということです。
 それはもう絶対大きくて、実際にコミュニケーションするかどうかはともかく、いざとなったらどこかへ手紙が書ける。
 たとえば、弁護士会宛てにだって今までは出すのは大変だったんですよ。でも、今は職員の許可なしに出せますね。
 まあ、検閲は受けますけれども、普通の発信としてできるわけです。
 実際に利用するかどうかはともかくとして、そういう外とのコミュニケーションができるというだけで、囚人の側もすごく安心感があるし、職員もまず警戒しますから。そういう意味では全然変わりました。
 だけど逆にいえばその裏返しで、さっき言いましたように管理面がうんと厳しくなって、職員が今、どんどん辞めています。要するに仕事が面白くないんですよ。
 前はですね、一人の職員が、ちょっとしたミスとか、ルール違反を見つけると、その摘発は、自分で見つけて、自分で書類を書いて出してました。今は、すぐ警備隊を呼んで、警備隊にまかせちゃうからそれすらない。
 面白くないんでしょう。私も看守だったら面白くないですよ。
 だって一日の就業時間、そのかん、創造的な仕事を何もやっていないわけですから。しかも権限が何も無くなっちゃった。
 朝、工場へ行きますと、担当が朝から書類作り追われていて、こっちを見る暇が無いんです。ほんとに公務員のお役所仕事になっちゃいました。
 私が行った10年前は、担当が昼寝していましたよ。もう囚人同士にまかせちゃってね。
 工場では作業補助を二名までだったか、選定できるんですよ。
 最初から担当がこう言いました。この作業補助の言ったことは俺が言ったことだと思え、こいつにさからったら懲罰だと。そう言って「俺は寝てるからな」って。ほんとに寝てたかどうかはともかく。
 それは10年前の話。今はそんな姿はとんでもない話で。
 ですから看守の姿が新法になってからがらっと変わりましたね。作業補助がいるのは同じなんですが。
永井 法律も変わったけれども、2年に1回ぐらいですか、所長や幹部もどんどん変わるじゃないですか。所長が変わるとがらっと変わるなんてことはやっぱりありますか。
折山 千葉は事故でどんどん変わりました(笑)。何かあるたびに…… 
 私の印象に残る人では、千葉で定年退職になっているすごく権限を振るった所長ですけど、彼は退職の日に赤絨毯をバーッと敷きました。それで囚人にお汁粉を一杯ずつくれましたね。
 普通の所長さんの場合はひっそりと、誰にも知らせず、収容者にもわかりません。新聞の人事欄で、あ、所長変わったんだなというのはわかりますけど。
 今はあまり強烈な変化というのはないですね。でも細かいところではたくさんあります。行進の仕方もそうですし、声の出し方とか、ぐるぐる回ってうるさく言う人とか。
 職員のほうもよく見ていまして、力のない所長が回ってきたときは別に何もほとんど準備しないんですけど、本庁でエリートコースに乗っているような、検事さんあがりだとか、また本庁に戻ってもっと偉くなるような人が来るようなときには、明日巡回だっていうと工場の掃除が徹底して、蛍光灯の裏までさせられます。
 ドラマ『白い巨塔』で有力な医学部教授の後を助手がくっついて巡回するシーンがありますが、あれと同じで、20人か30人ずらずらと幹部がついて歩きます。
 そういう所長もいますし、まったく、あれっ、誰か来たぞ、背広が来たぞっていうくらいで、一人でトボトボ歩いて回る所長もいました。
 現場上がりの人が所長になったときはあんまり大騒ぎはしないんですけど、ルールがよく変わるんです。細かいところのルールがよく変わります。
 
自殺者/不審死
永井 折山さんが見聞されたことの中に、自殺未遂事件とかもあって、そのへんのことを訴えたいとのことでしたが。
折山 訴えたいというほどのことじゃないんですけど、私は12年ぐらいいて、私のすぐ周りの人たちで、自殺した人が二人、未遂が一人、それから、原因不明で、ある日、朝になったら死んでいたという人が二人いました。
 私は、自分でポジティブ性格だと思っているぐらいで、環境に適応性があるものですから、相当厳しいところでもへっちゃらでしたけど、完全にダメになっちゃう人が大勢います。
 その人たちは精神的に落ち込んじゃって、適応できないと、もう誰も相手にしてくれませんからどんどん一人になっていくんですね。
 自殺した一人は、私にはとても親近感のあった人で、新宿のバス放火事件の丸山さんです。
 彼は、すごく深刻に悩んでいました。仕事もあんまり手につかないぐらい、ずっと悩み続けて。何かやるぞと、周りはみんなそういうふうに見てはいたんですが、あんまり悩みすぎて暗いものですから、他の人は相手にしない。
 そうしてどんどん孤立していっちゃって、話をする人も、悩みを打ち明ける場もありませんし、職員はそういうことに全然対応しません。
 そして、なるようにしてなったという感じで自殺しちゃいました。
大山 どんなことで悩んでいたんですか。
折山 多分、罪の深さだと思います。あの方は千葉に行ってからだと思うんですけど、被害者と面会したようですね。
 よくわかりませんけど、そういったことで落ち込みを深めた、罪の意識を深めたということでしょうか。俺は生きていてもしょうがないんだとそういう感じになっちゃって。
参加者B 工場が一緒だったんですか?
折山 一緒じゃないんですけど、いろんな形で、クラブみたいなのに参加していました。
 それで、けっこう個人的に話す機会があったんです。私は俳句クラブでしたが、彼は全然俳句は作れない。
 ただ、就業時間中に出られますから、一時間半か二時間は、仕事をサボれる、と言っちゃいけませんけど、彼の場合は、仕事中他の人があまり相手にしないので、居心地が悪かったんでしょうね。
 最初からかどうかはわかりませんけど、私が知ったときは独居でした。
 もう一人の方は完全なホモ・セクシャルの人で、この人は周りからバンバンやられていて、最後は自殺に追い込まれちゃって。
大山 苛められたということですか。
折山 からかわれたと言うんですけれども、本人にとってそれはイジメなんでしょう。
 みんな首吊りです。丸山さんもそうでしたね。他にあまり方法はないですから。
 それから全くの不審死で、朝起きたら死んでいたというのは、これも、私は全然解せないんですが、二人ともうんと親しかったものですから。
 死ぬような予感もないし、自殺でないことは確かですけど。朝、出てこないので、どうしたんだって言ったら死んでいたというだけのことです。そういうのが二人いました。二人とも独居だったんです。
 私よりちょっと下でしたから、まだ若い、60代の前半ですね。持病とかも無いんですね。私も信じられないんですけれど。
 ちょっとこれは言いたかったんですけど、今回アメリカで三浦さんが死んでますよね。あれと同じように監獄の中というのは、中で起きたことは第三者には全然わからないんですよ。
 たとえば、独居房で並んでいても、隣りの部屋で起きたことが収容者にもわからないんですよね。
 そこで看守がドタバタやったとしてもわからないです。舎房内で何が起きたかは看守だけが知っているだけで、全くわからない。
 だから、彼が心臓発作でも起こしたのなら、それならそれで言ってくれればみんな安心するのに、その内容を言ってくれないものですから、何だ、何だということになってくる。
 塀の中のことは職員が口をふさいだら絶対どこにもわからないということは念を押しておきたいと思います。
 その不審死は、僕のうんと親しい人が二人ということですけど、そういう例はたくさんあり、けっこう多いんです。特に無期の人なんか、どんどん年とってきますから、特に病気でもなかったのに、ある日突然……
参加者C 不審死の人は、何か看守と喧嘩するようなことはあったんですか。
折山 いや、一人は班長やっていましたからね。そういうことはない。もう一人は、ちょっと突っかかるようなところも……、だけど何が起きたのかは全然わかりません。 心臓発作とかということになっちゃうと、解剖もしないと思います。
 なぜそういう話をしたいかというと、工場担当職員に対する殺人未遂事件というのが私の周りで一つ起きたんですよ。
 
職員への殺人未遂事件の経緯
 運動時間、グラウンドでソフトボールをやっているときに、その職員というのは非常に意地悪な人で有名で、私も手を出したいぐらいの人だったんですけれども(笑)。
 一人の囚人がバットで後ろからその職員の背中を叩いたんですね。
 叩いた途端、その職員は逃げまして、おい、何とか抑えろと言ったので、周りの囚人がみんなで抑えたんです。
 抑えちゃったのはいいんですけど、抑えた途端に袋をかぶせて、ワッと警備隊が来て、殴る蹴るが始まりまして、もう……。
 半殺しって言っていいぐらい。袋をかぶされてますから、全然誰がやったかはわからない。
 皆が見ている前でも相当やられました。特にバットで殴られた担当看守なんていうのは、そこまでやるかというような、要するに一回殴られたのを10倍に返したぐらいの殴り方ですよね。
 そのあと、袋をかぶせられたまま警備隊に連れていかれました。
 それから病舎に23ヵ月いましたから、それで考えても相当な怪我だったんじゃないかと。
 だけどそれは見えないんですね、我々には。治ってからでしか出てこられませんから。
 その人はバットで殴った件で殺人未遂事件として立件されました。
 でも看守のほうはたいした怪我でもなかったはずです。だって翌日からちゃんと出てきていましたから。【会場騒然】
参加者B その人のほうの体は……
折山 だから、23ヵ月病舎にいたって聞いていますが、その後は誰にも会わせないで、他の刑務所へ移しちゃいました。
 そういうことが現実にいっぱいあるんですよ。殴られたっていう人は私もいっぱい聞いています。
 この事件はまだ5年経っていません。このときに、それを羽交い絞めにして助けた人がいるんです。
 職員が、お前らこいつを抑えろ!って言ったときに、一番先に後ろから羽交い絞めにして助けたAさん。この人が私とうんと親しい友達だったんです。
 その助けたことを人命救助ということで、さっき点数の話をしましたけど、得点を何百点かもらった。
 彼は、一ヶ月半ぐらいしたら仮釈放です。そういうこともある。
 無期の人ですよ、無期の人が仮釈放です。【会場騒然】
 ただし、38年入っていた人だから、もう出す時期ではあったことも確かです。
 助けたのを後からすごく後悔してましたけどね。どうせなら、とことん殴らせてやれば良かったって(笑)。
永井 その事件がこの5年以内のことだとすると、無期で仮釈放になった人は本当に数えられるぐらいなんですが、その一人がその職員を助けたAさんなんだということになりますね。
折山 ただ、また入って来たという噂を聞きました。
 ほんとかどうかはわかりません。何か遵守事項のルール違反で再収監だという話です。
 看守の暴行がどうして咎められないのかというと、まず、傷が完全に癒えるまで人の目に出しません。監獄は隠せますから。
 俺はああやられたんだ、これされたんだと言っても証拠がない。周りの看守は全部否定しますから。
参加者B 暴行を受けたとき、医務に行って、そこで医務に写真を撮ってくれと言って、撮らせてあるというように証拠作りをしている人もいるのですが、千葉ではそういうことはないですか。
折山 普通の人はそういう意識持っていませんよ。
 さっきちょっと言いましたけど、無期刑が4割越えています。こういう人たちは看守が出してやると言わない限り絶対出られないわけです。
 そのことは、みんな最初に言われるし、みんな承知しているんですよ。お前、俺にたてついたら出られないぞ、一生出られないぞと念を押されています。
 だからほとんどの場合、看守を訴えるっていうのはよっぽどのことじゃないとないんです。訴えたら自分は出られないと思わなきゃいけないから。
 無期の人は、一生監獄にいることを覚悟して言う以外にはないんです。
 有期の人もみんな仮釈放をもらうつもりでいるわけですから。
参加者B それはわかっていても、我慢ならなくて、自分が満期で出るしかないにしても、何とか一矢報いたいので訴訟を起こしたいというような相談はけっこう監獄人権センター宛てにあるんです。
 その場合は暴行されたとき医務に行ってきた、ここに証拠があると言ってくるんですね。
折山 それを医者がやってくれるかどうか。さっき言いましたけど、医者も、常駐じゃありませんからね、ほとんど。
 そのお医者さんがやってくれるかどうか。それから、カルテなんかを改ざんしないかどうか。
 お医者さんが看守の立場にたつか囚人の側にたつか、どっちかですよね。私はおそらく無理だろうと思う。
 
隠ぺいされた自殺未遂
 自殺未遂をした人の話になりますが、そのI さんという人は工場で私の一番親しかった人です。
 千葉で看守が囚人に携帯を貸して、それでその携帯を使って詐欺をしたという事件が起きまして、所長から部長クラスまで幹部が全部変わっちゃったことがありました。
 それが3月の時点で、それから1ヶ月目に自殺未遂を起こした。
 そんな事件があるとまた幹部は責任を取らされますから結局それを覆い隠しちゃったんです。自殺未遂事件をなかったことにしちゃった。
 自殺未遂っていうのは非常に重大な懲罰の対象ですけれども、説得されて、お前は懲罰にはしないから、何もなかったことにするってすぐ工場に戻されたんですね。
 ところが本人はダメです。自殺というところまで追い込まれた末に、うつ病になっちゃって、工場でも適応できず、今でも病舎に入っています。
 非常に可哀想なのは、本人は自殺未遂事件を起こしたんですけれども、しなかったことになっていますから、データとして残っていない。
 医者も全部隠しちゃってます。資料を全部隠しました。カルテももちろん隠しちゃった。
 だから、八王子の医療刑務所にも行けないんですよ。で、今も千葉刑務所で入病中なんです。
 精神疾患の者は、普通はみんな八王子の医療刑務所に送るんですけど。自殺未遂もしたことになってないから、病気の扱いになっていなくて、ただ、怠け病っていうんですかね、仮病扱いになっちゃって三年ぐらい、ずうっと治療も何もされていない。
 
無期囚の絶望と薬漬けの日々
 この人も無期なんです。自殺未遂した理由が、これはまた別の話になりますけど、可哀想なんです。
 一人っ子で、お父さんもお母さんもずっと高齢ですごく可愛がられていた人なんですが、会社の跡取の息子なものですから、すごく心配で、入ったときに刑務所に両親が一緒に行って、どのくらいで出られるかと相談しました。
 被害者に対する弁済も全部終って、示談も取って、やれることはすべて終っている。
 そういう条件のもとで、15年頑張ってくれれば出しますって言われたんです。
 それが15年経ってみたら、今は情勢が変わったから仮釈放まで20年になっちゃったと。
 で、20年経って行ってみたら、今はまた情勢が変わって、もう当分は出せないと。 
 本人は、今24年目ですかね、そういう状況で、そう言われているから必ず出られると自分では思っていたんですよ。
 だってそんないい条件の囚人なんてほとんどいません。被害者まで、出してやってほしいと嘆願書書いてくれているわけです。損害賠償も終っているんです。
 そこへ両親が病気になっちゃったんですね。お父さんが危篤だっていう話をちょっと聞きました。
 本人はすごく中で心配していたんですけど、その状態で、懲罰を受ける事件を起こしちゃったんです。 
 本人はスポーツ紙を取っていました。
 食事を配って回る配食係に「ちょっと昨日の競馬の結果を教えてよ」って言われて、口では言えないので、スポーツ新聞のその面をピッと破ってその人に渡しちゃったんです。それを配食係がポケットに入れたまま舎房に帰ろうとして見つかっちゃった。
 誰からもらった、と聞かれて、I君だって言っちゃったもんですから、懲罰事犯になっちゃったんです。
 本人も模範囚で、工場でも班長をしていました。出られると思ってたところへ、そんな事件になっちゃうと、もう仮釈放の見込みってほとんどなくなっちゃいます。
 特に無期の人なんか一度落とされると10年間はダメですから。
 もう明日にでも出られるんじゃないかと思っていた人があっというまに10年はダメだとなる。
 取調べに挙がってから、2時間後ぐらいで自殺を図っちゃった。すぐ発見されて、命は助かったんですが、そのまま鬱病になってしまった。私は鬱病だと思いますけど。
 それを鬱病の扱いにしてくれないんです。
 そのIの場合も、自殺未遂ですからすぐに医者が来て治療をやっています。そういったカルテから何から全部あるはずでしょう。
 先ほどちょっと言ったのはその話なんですけれども、ないことにしちゃったんです。カルテも改ざんしちゃいますし、治療記録も何もないんです。
 何も事件がなかったところで、ただ、本人が怠けていると、そういう扱いになっています。
 仮病扱いですから、規則では懲罰ですね。就業拒否でほんとは懲罰なんです。
 ところが懲罰があけたから工場に出るかって、できない。何度やってもダメですから、もう、一日中寝てろっていうことで、今、病舎に入っています。
 病舎に入っている間は成績が一切つきません。病舎入っていると仮釈もダメですね。
参加者F 保護房はどうですか。自殺未遂を図ったりした人が一時入れられる……
折山 今、刑務所のほうには24時間テレビカメラ監視の自殺防止房というのはありません。
 未決の拘置棟にはありますから、未決に置くことはできますけど。そういう危険のある人は別の施設に入れちゃう。
 いつまでも千葉刑には置いておかないですよ。八王子医療刑務所とかいろんな……
永井 薬の投与で、精神安定剤がやたらと使われているという話を聞きますが、その話と関係しているのか、していないのか、そのへんは……
折山 関連しているんです。ちょっと暴れる人ですとか反抗する人ですね、これはもう医療の対象になって、膨大な量の薬を飲ませます。薬漬けになっています。
 23年の短期の刑務所ではそういう問題はないんですけど、長いですから。10年、20年、無期の人が、そのかんずうっと飲まされるんですよ。
 たとえばですね、一番簡単な話、おなかがすいて眠れませんと言っただけで、もう、安定剤、どんどんくれます。
 これは要求すればどんどんくれます。睡眠薬もどんどんくれます。
 ところが10年、20年ずうっと飲んでいると、私の親しい人もそうなっちゃいましたけど、廃人になっちゃうんですよ。
 ほんとにびっくりしちゃいます。朝の起床時間になっても起きられなくて、布団の中に寝てますね。
 一般の収容者であればみんな懲罰の対象ですけれども、そういう人には懲罰をしても無駄だっていうのがわかっていますから、看守が、おい頼むよ、点検のときだけでもいいから座っていてくれよって逆に言うぐらいで。
 こういう人たちがゴロゴロいます。何人もいます。そして夜中に奇声を発していたり……
参加者B 工場には出られないんでしょう。
折山 昼夜独居です。昼夜独居房で奇声を発するような人はたくさんいます。
 みんな薬漬けですね。これは私は非常に問題だと思うんですよ。病気だから薬をあげるんじゃなくて、大人しくさせるために薬を与えるんですね。それを5年ぐらいずっと飲み続けると……。
 飲み続けるのも半分強制ですよ。病人として飲まされるわけですから。
永井 精神面での医療措置はないんですか。カウンセリングだとか、そういったものは?
折山 それは、本人が申請したときだけ。
 ただし、ちょっとでも兆候があるとすぐ八王子へ送っちゃいます。あそこに精神科があるんですよ。
 精神科に診察に行く人はずいぶん多いです。でも、だいたい戻って来ます。みんな異常なしで戻って来るんだと思いますけど。
 医務の申立てはすごく多くて、私のいた40人の工場で、毎朝、医務の申込みが回って来るんですけど、30人近くの人が行きますね、毎日ね。何でこんなにというぐらい。
 みんな、薬を貰って、何十錠と確保しています。あの薬、この薬と。
 実際に病人も多いんですけどね。 私は全くもらいませんでした。
参加者E 今、薬ってお医者さんじゃないと処方できないでしょ。具合が悪いっていえばくれるんですか。
折山 くれるんです。特殊な薬でなければ、要求するだけでどんどんくれるんです。簡単にどんどんくれるのでびっくりします。
参加者B 八王子によく送られるとおっしゃいましたけれども、八王子もキャパシティがあるしね、行きたいという人もなかなか行けないという状況だと思うんだけれども。
折山 千葉からは週に5日、毎日行ってますよ。毎日、バスが往復していますから。
 一般社会の通院バスと一緒ですね。そのバスに乗って行って、帰ってくるんです。
 午前の部と午後の部に分かれて、午前の部は朝、仕事の前ですから、八時頃には出ます。それで診察を終えて、向うで昼ごはん食べてから帰ってきます。三時か四時。
高安 外部の病院に行くとすぐ減点になるんでしょ。
折山 いや、八王子は外部じゃないですから。
 ただ、目にゴミが入ったなんていうのは翌日の便じゃ間に合わないでしょ。今、取らなきゃいけない。
 常駐の医者では取れないからしょうがないから町に出るわけです。すると減点がつく。
 
出所後の困難
折山 出所後のことになりますが、外に出てくると何もかも全部自分でやらなければならないことにびっくりしました。
 中に居れば、やれと言われたことだけやってれば良い。
 一般社会の人はずうっと人間関係が継続していますからいいんですけど、私の場合、切れていますね。
 昔の人間と連絡を取ろうとしましたけど、皆さん嫌がっていることがわかったからもう連絡しません。
 それは当然だと思います。皆さん、平穏で幸せな生活を維持してきたところへまた変なのが入って来てかき乱されたら困りますから。
 だから、そうすると人間関係って何もないんですよ。
 経済的にも全くゼロ、人間関係も何にもない。何にもないところにポンと出てきてそれで自分ひとりで生活を維持するというのはもう至難の技です。
 それで、今、どうせやるのなら、どうせ仕事をやるのならと、かなり厳しい仕事に就きました。普通の人じゃ多分できないと思うんですけど、私の場合はありがたいことに刑務所にいましたから、あそこの仕事に比べれば何やってもヘッチャラという意識がありますので。
 ただ、時間は長くって、それだけは困っています。
永井 今はまだ、中と比べりゃこれぐらいと思うかもしれないけれど、それにしても長時間労働のようだし、ちょっとキツそうな気もしますので、まぁ無理なさらず……。
 年金とかどうなっていますか。
折山 免除の手続きを最初やったんです。で、一回やればいいなんて言われてたんですけど、毎年やらなきゃダメなんですね。それで失効しちゃいました。
永井 一応、「所内生活の手引き」にそのへんの説明は載るようになりました。手続きを知らずに切れちゃう人が多いということで、国会でも問題になりました。
 「手引き」の中にその解説みたいなものは載っていますよね。
折山 はい。でも皆さんもうあきらめていて。中で更新する人はもうほとんど……。
 家族がしっかりしていると家族がやります。でもそういう例は少ないですから、長期刑のほとんどの人が無年金になっちゃうと思います。
 
新法下での外部交通・格差の拡大
永井 今、新法で文通や面会の相手先が広がりつつあるんですが、周りの人を見ていてどうでしたか。外部との交流状況というのは。
折山 これはもうほんとに可哀想ですね。
 私の場合は恵まれていて、毎月面会があったんですけれども、年に1回ぐらい面会があるよっていう人がまあ1割ぐらい。
 私の工場で毎月面会のある人は、私ともう1人。それが自殺未遂の人です。
 面会所に一度も行ったこともない人のほうが多いです。
参加者E 新法になって友人でも会えるようになりましたが、その分、格差が広がるみたいなところもあるんじゃないかな……。
 家族やそういう友だちがいる人はいいけど……、手紙を書く相手もいないとかね……。
折山 家族も友だちも、もう、ホンネから言えば無理ですよ。
 私の場合はすごく恵まれていたと思いますけど。それでも、うんと親しかった友だちすら、もう今はダメですからね。
 昔は親友がいっぱいいましたけど、その人たちとは全部もう今は距離が遠いですね。遠いっていうか、私も連絡しようとは思わない。
永井 面会に来てくれていたというのはご両親?
折山 いや、妹がいたんです。
永井 持つべきものは妹です(笑)。
折山 妹がいなかったら私なんかもうどこでどうなっていたことか……
参加者E 義理の弟さんが身柄引受け人ですね。身柄引受け人がいない人もいっぱいいるんでしょう。
折山 いない人が大部分です。ですから普通は保護会に身柄引き受けを申請するわけです。
 
有期でも仮釈放は厳しい
参加者B 千葉刑はさきほど、無期の人が4割ぐらいとおっしゃっていましたけれども、それ以外の人は有期ですね。有期の人の仮釈率はどれぐらいですか。
折山 有期も無期ももうほとんど何も……。
 前は刑期の何割もらえたという感じでしたが、今は何ヵ月、ですよ。だから20年の刑の人の仮釈放も、もらえて満期の67ヵ月前。
参加者B 受けられない人もたくさんいるんでしょう。
折山 懲罰やるとダメですね。厳しい。
 要するに、職員に申請してもらわないかぎりダメなんです。それが管理社会になっちゃいましたから。
 今まで、担当がすごく裁量していたんですよ。あいつはもうそろそろいいんじゃないか、なんて、上と交渉してくれたんですね。今はそういうことはなくなりました。
 ハンコをつく管理職というのは現場を全然知らないんです。たとえば、私の顔なんか全然知らない。そんな人が申請してくれますか。
 昔はそうじゃないんですよ。担当が話をつけてくれたんですよ。あいつは成績いいし、そろそろですよ、とか。
 それが効いたんですが、今はダメなんですね。
参加者B 担当に仮釈に関しての権限が一切ない……
折山 まあ、あるのかどうか知りませんけど、今は余程でないと、そういうことしません。
参加者A 申請しておいてその人が問題を起こしたら自分が危いからというような……
折山 そういうこともあるでしょうし、管理社会で、おそらく権限を削っちゃったんじゃないかと思う。
 お前の領分じゃないと。お前は事故がないように工場だけ維持していればいいんだと言われちゃったんじゃないでしょうかねえ。
 その分、いわゆる係長と言われている人、金筋の星一つか二つですね。この人たちの権限がすごく強くなりました。
 何かあるとすぐ、係長クラスが出てきます。主任とか係長。
参加者E 係長というのは現場にはいないんでしょう。
折山 現場にはいないです。だから現場のことは知らないんですよ。
 知らない人が、何かあるとすぐ出てきて、仮釈も、知らない人が申請する。
 以前は点数制度でしたから、何も事故がなければどのくらいで自分の持ち点がゼロになり、仮釈放になるという先が読めたんです。今、それが全く読めません。
参加者F 進級するときに、点数とは別に自分で、向うで用意した誓約書を読むというのはないんですか。
折山 ありました。私は2級になってから長かったから内容はどうだったか……
永井 今はないと思うんですけど。2級になるからにはみんなの見本になるよう頑張りますとかいうような誓約書でしょう。新法になってからはないと思いますが。
参加者E 新法になって外部交通が拡大したというのはよかったと言われましたけど、みんな新法になってよかったって言ってます?
折山 全般的には意見は、まあまあいいんじゃないの、前よりは、ということ。
 基本的には変わってませんよ。基本的には変わってないけど、細かいことをうるさく言わなくなった。うるさく言わなくなったそのかわりに、厳しくなった処遇がたくさんあるんですけどね。
 だけど、いざとなったときに外部に助けを呼べることは大きい。
 だって、今、現実に、私のブログに、千葉刑務所から何人かから相談が来ているんですよ。仲介者がいてメールをくれるわけです。こういう事情で、もう我慢できないから、仮釈もいらないから、訴えたいとか。
 今の私じゃ全然、どうすることもできないんですが。
 
無法の「取調べ」期間
折山 その余談で、……しゃべるのは嫌いじゃないものですからどんどん喋っちゃって申しわけないですが……(笑)
永井 まあ、積る話があると思いますから(笑)。
折山 そう。23年間ずっと孤独でいましたから(笑)。
 懲罰というのは多分法律でルールが決っているんですよ。だから役人はそれを守らなければならない。
 その意味で、実際の懲罰は楽なんです。たとえば懲罰1週間なんていうと、1週間ずっと座っていればいいんですから。
 ところが一番厳しいのは、取調べって、挙げられて、それっきりというのがある。僕もやられましたけど。
永井 懲罰ならざる懲罰……
折山 そうなんです。それには全然法律の規定がないわけです。1ヶ月でも2ヶ月でも取調べ中だといって、ほっとかれるんですよ。
 取調べ房で、さっき言った紙折り。8ッつに折って広げろ、これだけを1ヶ月も2ヶ月も。
 そのかん実際に取り調べに行くわけじゃないんですよ。取調べ期間中と称して、ただ置かれる。
 先生何とかしてくださいよと言ってもダメなんですね。昼夜独居で。何ヵ月で終るという先がないんです。
 懲罰なら1週間たてば終るんです。1週間とか10日とか。決っているから、その期間我慢すればいいだけ。
 そのかん座っているだけでも、残りがあと何日だって思うからいいんですけど、終わりが見えなくて、拷問と同じでそういう紙を折ったり広げたり。これだけやってなくちゃいけない。これが見えない懲罰ですね。
 
簡単に作れる違反
 それと、もう一つ。誰でも簡単に取調べに挙げることができるんですよ。
 だって、ルール違反なんかみんなやっているんですから。
 一番は不正交談。不正交談なんていうのは、目で会釈しただけで。朝の出役で、おはよって言うかわりにちょっと…、これで不正交談ですから。
 そんな目配せ、しなきゃいいじゃないかって思うかもしれませんが、しなかったら人間関係が壊れてしまいます。
 工場へ出て、もう10年も20年も一緒にやっている仲間です。普通は「オッス」って言っちゃいますよ。これを看守が捕まえるつもりで見ていたらもういっぺんで御用です。
 たとえばこういう例がありました。すごく真面目で通っていて一回も懲罰の無かった人で無期刑の人です。
 仮釈放が決って、仮面接が終って、本面接が終って、あとは実際に出るだけ。
 だいたい23ヵ月後には確実に出られるんですね。そういう状態の人だっていうのは工場の人はみんなわかってますから、いいなっていう目で見ているんです。
 ところが意地悪な奴がいて、彼を見張っているんですよ。
 朝、隣席の者に小声で「おはよう」って言うのを見つけて、そのとたんに「先生!、彼が不正交談しています!」とチクる。それでもう彼は取調べですね。
 懲罰ですから、当然仮釈放はダメになっちゃう。こういうことが平気で起きる世界なんです。
 同囚からそんなことを言われないようにみんなに気を使ってなきゃならない。だから雑居の生活とか工場の生活とか大変です。
 目配せ一つでもあげられる。
 たとえば仕事をやっていまして、ポロっと消しゴムが落ちました。
 拾ったら懲罰です。そこに落ちているのに拾えないんです。
 黙って手をあげて許可を求める、先生が見てくれるまでダメなんですよ、何分でも。規定で30秒挙げていて、見てくれないときにはいっぺん手を下ろして、また時間を置いて、再度手を挙げろって言うんです。
 工場ごとに規定がある。黙って手をあげるだけ。
 ところが前に言ったように、先生、朝から事務処理をやっている。だから下を向いたまま、何分かかろうが気付かない。それでつい消しゴムも拾っちゃうんですね。
 それが懲罰の対象ですから。
 半日も一日も経ってから、「誰それが消しゴムを拾うのを見ました」と……。
 ほんとうの話なんですよね。
 みんなにそういうことを言われないように気を使ってなければいけないんです。ときには懲罰になった人が、ついでにあいつも引っ張ってやれと……。
 だから、私の今の仕事がきついといっても、中でのことの比べればどうということはない。
 こんな幸せな……こんな大声でしゃべっていいし(笑)。
永井 ほんとに折山さん、有期刑でよかった。
折山 ほんとによかったです。無期の人たちはほんとに大変だと思います。
 だから、あそこにしばらくいると、みんな人間がよほどできてくるか、あるいはボーッとしてどうしょうもなくなるか、どっちかでしょうね。
 
Yさんのこと
折山 無期懲役のYさんがいます。彼はすごくみんなに信頼されています。
 Yさんは高齢者や身障者ばかりを集めた第10工場(モタ工場と言われてる)の掃除夫、いわゆる掃夫ですね。
 この人がもうほんとによくやってくれる。たとえば、体が動かなくなっている人をお風呂に入れるのも、一人ずつ抱きかかえていって、15分、風呂桶に入れて、体洗ってあげる。
 朝もみんな垂れ流しになっていますから、その世話から何から、みんなYさんがやっている。体が動かない人はもう担当が何か言ってもダメなんですよ。Yさんじゃないとダメなの。
参加者 それで役に立つから仮釈を認めないのかも……【会場騒然】
折山 私とは何度も話しました。彼は10工場で、私は1工場ですから全然、工場は違うんですよ。
 それなのに彼とよく喋れたのは、彼が喋っても違反にならないんです。違反で、他の工場に移しちゃうわけにはいかない。
 他の人じゃ勤まらない。だから、職員からも信頼されているし……
 
ヤクザ・暴力団の支配?
永井 模範囚の話がありましたが、一方で、僕らが、受刑者の人権とかそういうことを問題にすると、刑務官体験のあるような人からは、「現場を知らないからそんなことを言ってられるんだ、彼らを自由にさせたらヤクザ、暴力団がはびこってどんなことになるか」みたいに反論されることがあります。
 名古屋刑務所事件のときも、今の徳島刑務所の場合も、不祥事が起こるたびに、実は、裏では、暴力団と刑務官の癒着の問題が背景にあったみたいなしたり顔の解説があるんですよ。
 そういうのってどうなんでしょうか。どうも入ったことのない者にはイメージが沸かないんですが、千葉の場合でそういうヤクザ、暴力団関係者が我が物顔にしているみたいなこととか気配とかってありましたか。
折山 千葉はなかったですね。
 でも、短期刑の松山刑にいったときは、ああ、こうなんだって、びっくりしました。
 千葉みたいな刑期が長いところでは、ヤクザだからって大きい顔をしても駄目なんですよ。
 さっき言いましたけど、人間関係で、あいつ嫌だと思ったらチクって挙げさせる方法がいくらでもあるんですから。
 ヤクザもたくさんいますよ。いるんだけれども、そういうことでは幅が利かないんです。
 松山は、たとえばこういうふうに違います。
 千葉では、テレビ番組で見られるのは1局だけで、しかも時間の制限があります。1チャンネルしか見せない。
 決った番組しか見せないというクレームもありますが、あれをフリーにすると、千葉みたいなところは駄目なんですよ。喧嘩になっちゃいますから。
 松山へ行くと、工場から帰ってくると、勝手にテレビをつけているんです。チャンネルも自由です。全部自由です。
 それでもトラブルが起きないのはヤクザみたいな人がやっぱり抑えているんですね。だからチャンネル争いがないんです。
 チャンネルは自由ですけど、そのかわり、誰かが押さえているわけです。房長というのが決っていて、トラブルが起きたときは房長が判断する。
 ところが千葉みたいに長い受刑者ばっかりだと、房長制度は取れません。収容者間に上下の区別がない。
 そうするとチャンネル争いで混乱しますから。結局、テレビも決った番組しか見せられないんです。
 
おまけの質問
参加者F 工場への行き来の際の裸体検診は今はどうなっていますか?
折山 パンツ一枚です。
 行く時は工場着に、帰りは舎房着に着替えるわけですが、部屋が別になっていて、その間を通るときに検診します。
 脱ぐときは、いっぺんにこのまま上着から下着まで全部一緒に……。
 あんなところで10秒もかかっていたら次の人がつかえてしまいます。800人が一列に行進して工場に出るわけです。それを15分ぐらいの間に全部やるわけですから。
高安 とても勤まらないわ、私(笑)。
折山 無理です、高安さんには(笑)。
 
 
 
コメント●  話したころはまだ出所後の高揚感が消えてなくて、皆さんに真剣に話を聞いてもらえることの嬉しさのあまり、つい口が滑り、若干話が誇張気味だなと思う部分もあります。 今読み直して、冷や汗をかいたりしています。でも、大筋では訂正するほどのことではないので、このまま載せてもらうことにしました。 数字などで僕の勘違いがあったらごめんなさい。 社会に戻れて2年、舞い上がっていた状態から覚めた今は、自分の立場をわきまえて、なんとか静かに落ち着いた生活を維持できています。 でも、出獄者が元の普通の生活を取り戻すのは難しい。「諦めと忍耐」との二人三脚です。
                                2010年1月15日   折山敏夫
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