1.本事案においては、被告人の捜査段階における自白なるものを唯一の直接証拠として有罪認定の根拠としている。
ところが、この自白なるものは被告人の署名・押印のある供述調書によるものではなく、被告人の取調べを担当した捜査官の伝聞証言によるものだった。
言い替えると、本事案は、裁判の一方の当事者である検察官の証言を唯一の直接証拠として有罪認定したという特異な裁判だといえる。
2.被告人は裁判の当初から、検察官が伝聞証言したような犯行自白をしたことがない、と主張している。
捜査段階で犯行自白をしたのかしないのかは、検察官と被告人の水掛け論である。
いや、自白調書が存在していないことは、むしろ捜査段階で自白しなかったという被告人の主張を裏付けている。
それにもかかわらず原審は、被告人の犯行自白があったものと認定した。
裁判の一方の当事者であり、挙証責任者でもある検察官が自ら証言するだけで、被告人の供述内容を認定できるとしたなら、被告人の黙秘権が全く保証されなくなってしまうことは明らかだ。果たしてそのような被告人の供述が実際に存在したのかどうかを、客観的に証明できないのである。
捜査段階で被疑者が完全黙秘したり、あるいは黙秘を続けていたとする。それでも公判になってから取調官が伝聞証言するだけで、どのような供述でも存在していたことにできるとすれば、こんなに理不尽なことはない。
公判が開始されて、被告人の主張が明らかになり、証拠がそろったのを見てから、(検察側は)ゆっくりと架空の犯行自白を作り上げても間に合ってしまうのだ。
取調官が伝聞のかたちをとって証言しさえすれば、被告人のどんな供述でも証拠として認められるとすれば、今後は、否認事件において、将来の公判で争いになることが予想されるような被疑者の供述調書を無理して作る取調官はいなくなるであろう。
3.原審は、
「検察官が取調べをした際に、供述調書を作成するか否かは、刑訴法上、その裁量に任されていると解するのが相当である」
「捜査官が被告人を取り調べて聴取した内容を、公判定において証人として供述した場合に、その供述に刑訴法324条の適用がないと解すべき法令上、実質上の根拠は見当たらない」
「刑訴法324条1項が『被告人以外のもの』の範囲について、法文上なんら限定を加えていない」
「被告人の供述がその署名・押印のある供述調書に記載されている場合と比較して、証人の供述により公判廷に顕れた被告人の捜査官に対する供述内容のほうが、その信用性や証明力が劣るということは出来ない」
と判示している。
取り調べ段階の供述調書作成に代えて、伝聞証言を全面的に容認しているといえる。
ところが検察官あるいは取調官は、被告人と利害を反対にする(刑事)裁判の当事者なのだ。
一方的な伝聞証言だけで供述内容を認定できるとすれば、被告人の黙秘権は実質的に何の意味もなくなる。