原判決は「佐藤が昭和55年8月13日に腐乱死体で発見され、死後経過期間から見てその3週間くらい前にすでに死亡していると見られる」<15丁>と述べ、また本件殺害犯行日を7月25日であると特定したことから、死後19日目に変死体として発見されたことを認定したことになる。
ところが本件変死体の死後経過期間を19日であるとする証拠は何一つ提示されていないので、根拠の無い推認である。
原判決は右推認の根拠として牧角三郎証言と木村康証言を挙げている。しかしながら右牧角証言については、一、二審の弁論要旨で詳述しているように、到底証拠足りうるものではない。
自ら書いた本件死体の死後経過期間の鑑定書
「死後少なくとも2、3ヶ月以上を経過しているだろうと推定される。山中に放置された死体という特殊環境を考慮すると、半年以上経過している可能性もないとはいえない」
を修正するように捜査当局から求められた際に、本件変死体の殺害期日が7月24,5日頃だと断定的に告げられた上で、これに沿って鑑定の文言を訂正させられたものである。新たに死後経過日数を推定し直したわけではない。
それにしても牧角証言は
「鑑定書には、少なくとも2,3ヶ月というような書き方をしております。しかし、もともとハエのいないところでありますと、もっと、そうですね、それほど2、3ヶ月というような古い時間は経っていないと見ても別におかしくございません」<速記録582丁>と述べるものの、死後3週間くらいだとか、死後19日目だとか具体的に表現していないのである。(しかも、この場所にハエがいなかったという証明もなされていない)
木村康証人は原審で次のように述べている。
「1ヶ月から2ヶ月という判断をするのが一番妥当ではないかという考え方は今も持っていますが、ただ、3週間といわれて、3週間ではできませんよということではないと思います。1週間といわれたら絶対に不可能ですと言いますが、3週間では不可能ではないでしょうと、こう言います。ただ、自分として妥当だと思うのは1ヶ月ないし2ヶ月だということです」<速記録44丁>
(別の部分で)高温多湿であったこと、ハエのうじによる蚕食がひどければ3週間でも不可能ではない(見分書によればハエのうじの蚕食はなかったことが判っている)とは述べたが、「3週間くらい前」だとか「19日前」だとか証言していない。
原判決が「3週間」も「19日間」も変らないと言うのならば、これは210万円と190万円が同額だというに等しく、暴論である。本件変死体は死後19日目に発見されたと原判決は認定しているが、これはなんらの証拠なくして勝手な認定を行ったものである。