4.どう説明がつくのか
被告人が佐藤殺しの犯人だとすると、到底理解できぬ不合理な点がたくさん出てくる。一、二審で被告人が指摘しているが、ここではその一部を再提示する。次の10項目について、合理的な説明は可能だろうか。
(1)7月24日に2度目の不渡り事故を起こして、桜商興(注・被告人が経営していた不動産会社)を倒産させたのはなぜか。
この日に被告人が多額の現金を所持していたことは証拠上明白である。佐藤との関連性がないとすれば、被告人には会社を倒産させる理由は全くない。
(2)被告人が佐藤の宿泊客室を知っていたのはなぜか。
(佐藤が自ら教えないとするなら)何時、どのように知ったか。対立関係にある被告人に対して、女性連れで宿泊する場所(ツイン部屋である)を知らせるだろうか。何のために?
(3)死体の親指同士が緊縛されていたのはなぜか。
死体を箱詰めにしようという行為の中では、わざわざ指を縛る理由が見出せない。また遺棄死体の緊縛を解いたのであれば、なぜ足の緊縛だけを取り残したのか。
(4)佐藤の陰茎を切り取ったのはなぜか。
本件死体は猟奇犯罪によるものではないのか。対立関係を解決するための殺人と陰茎切り取りは、矛盾する行為である。
(5)最終便に乗り遅れたのはなぜか。
原判決の認定する犯行シナリオでは、福岡市内からわずか数十分の距離にある死体遺棄現場の往復で、夜8時半発の羽田行き最終便に乗り遅れる理由がない。
(6)7月末に借金したのはなぜか。
被告人が、母から172万円の借金をしたことは証拠上明白である。佐藤殺害犯であれば、佐藤が常時所持していた1000万円近くの現金を入手したはずだから、犯行直後に借金する必要性が無い。借金した事実は被告人が7月末に多額現金を所持していなかったことを証している。
(7)土地の一部を売り残したのはなぜか。
田園調布を山根医師に売却するに当たって、土地の一部を売却しなかったことは、佐藤が生存していることを前提にしなければ説明が付かない。
(8)トキ、フミとの交流があったのはなぜか。
トキ、フミは昭和55年7月14日ころ、矢ケ崎喜一に招待された台湾クラブで佐藤が初めて知り合った台湾人ホステスである。原判決のシナリオによれば、この日以降、7月25日の犯行日まで被告人と佐藤とは顔を合わせていないのだから、従って被告人には、トキ、フミが佐藤の愛人になったのかどうかについて知る余地が無い。
ところが ①被告人の1980年度手帳(原審弁49)に「六本木トキ」と表示されていて、しかも「585-3343(p)」の番号が横棒で消されて「445-7813」と修正されていること、
②被告人の電話連絡簿(一審甲165)の昭和56年1月13日と同1月19日にトキから電話連絡のあったことが記載されていること、
③被告人は本件で逮捕された時点でもトキ、フミの台湾の連絡先名刺を所持していて、佐藤の所在に関わるので調査してくれるように、加藤刑事に頼んでいること(昭和60年10月5日付加藤栄三報告書)、
等を見れば、被告人とトキ、フミとの間に相当期間の交流があったことは明らかである。
佐藤から紹介されぬ限り被告人には見知るはずのないトキ、フミと親しく交流していた事実は、7月25日に佐藤が殺害されたとするシナリオとは相容れない。
(9)被告人が佐藤の行方を捜し続けたのはなぜか。
この事件で逮捕される直前まで、被告人が佐藤の行方を捜していた事実については、多くの第三者の証言を引用して、一、二審を通じて何度も主張し続けてきた。渋谷正昭証言、河西智恵子証言、山根清美供述、姜玉花供述などからも明らかである。
仮に被告人が佐藤殺害犯人であったなら、この行方探索の事実は一体どのように説明がつくのか。
(10)取調べの初期から被告人が殺害犯行を否認しながら、死体の遺棄場所を率先して供述したのはなぜか。
一、二審を通じての被告人・弁護人側のこの問いに対して、原判決は一応回答を下している。それによると
①当面のアリバイ証明をもくろんだ、
②捜査を混乱させる意図があった、と2つの目的を提示した上で、
「この被告人のシナリオによる場合には死体遺棄場所について真実を語らなければ有効にその目的を達成することが出来ない関係にある」<28丁>と述べる。
それでは本件死体遺棄場所を供述することと、アリバイ証明とに一体どのような関係があるのか。7月25日に被告人が福岡に居たことを立証したいなら、ホテルの宿泊名簿、レンタカーの借り入れ伝票、航空搭乗者名簿などの具体的に期日の明示されたものによるしかない。
本件現場が判明したとしても、日時のアリバイ証明にならぬことは明らかである。
真犯人にとっては決定的な秘密の暴露に当たる重大事項を何の意味もなく語るはずが無い。
また、捜査を混乱させるために本件現場を供述することはありうるだろうか。当時の捜査当局は佐藤の死体が東京近郊の山林に埋められたと想定して被告人を取り調べていた。捜査を混乱させるためであれば、わざわざ福岡の供述などする必要がない。
捜査を混乱するために(真実から目をそらさせる目的で)真実を供述するなど、論理としても矛盾している。
原判決は
「その付近から5年前に変死体が発見されていることが判明しても(中略)自己の犯行に結びつく恐れは無いものと判断したことによる」と判示しているが、これは、5年前の変死体の事件がすでに解決済みであると認識していた場合にのみ成り立つ論理である。
変死体が佐藤であることを知っている真犯人ならば、5年前の変死体事件が未解決であることを承知しているはずだから、自分との関連性が疑われる恐れのある死体遺棄場所を率先して供述するのは不自然だ。
以上、原判決の回答は不自然・不合理であり、依然として被告人が本件現場を供述した理由は明らかにされていないのである。