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引き回しの恐怖
刑事たちは頻繁に取調室を出たり入ったりして電話連絡をとっていたようだったが、しばらくしてやっと結論がでた。
「俺たちがここにいることを感づかれたらしい。マスコミが一斉にこっちに向かったそうだから、早いとこ場所替えだな」
こんなことを言って慌てている。
私は再び両腕をしっかりと捕まえられたままで連れ出され、車に押し込まれた。
急発進した車は、六本木交差点を防衛庁側に左折して、TBSの裏を通って青山通りに抜けた。
刑事たちは車の中では何も喋らない。
よく晴れた朝で、太陽の輝きがまぶしい。
長かった梅雨が明けたばかりの季節だった。
深夜の仕事をしている私は、いつもならこの時間帯は自宅に帰って眠りにつく頃だから、朝日の輝く都心の光景など見るのは久しぶりだった。
私は、まるで異次元の世界でも見るかのように呆然として流れてゆく景色を眺めていた。
車は坂を上がって、赤坂警察署の前で停まった。
ここでも私は狭い取調室に入れられて4人の刑事に取り囲まれていた。
再び丸顔刑事が言った。
「弁解することはないか?」
私は思わず黙っていられずに、強制逮捕されたことの理不尽さを罵ってしまった。
警察が一方的に民事に介入するのはおかしいじゃないか。
それに、宇田川ビルに関しては、1週間前に和解ですべてが片づいたのだから、今更警察が出てきても何の役にもたたない。
私がそのように言うと、刑事たちは、どうも意味が通じないといった顔をしている。
やがて丸顔刑事が念を押すように厳しく言う。
「登記書類を偽造したかどうかなんて、細かな話はどうでもいい。手間をとらせずに、佐藤を殺して埋めた場所を言え」
刑事が本気で怒ったようにして言ったこの言葉を聞いて、私は初めて本当の容疑事実が佐藤に対する殺人なのだということを覚った。
これは別件逮捕だったのだ。
このような重大事件だったからこそマスコミが騒いでいるのだし、刑事たちが私の身柄を隠そうとして、こうして場所を転々としているのも辻褄が合う。
私は、こう知ったとたんに体が震えてきた。
佐藤を殺害してその死体を処分して隠し、財産を乗っ取った容疑だとはっきり宣告された時には、私はあまりの意外さに呆然として言葉を失ってしまった。
丸顔刑事が続けて言った。
「お前さんは、本当に自分が殺人容疑で追われていることに気づかなかったのか? 2か月くらい前に、あるマスコミが抜け駆けして、お前さんの逮捕のテレビニュースまで流したんだがね。そのあと、田園調布の家や渋谷宇田川ビル近辺などに次々とマスコミが取材に訪れていたはずなんだが、誰もお前さんに連絡しなかったんだろうか」
「そういえば、このところずっとお前さんのあとを付け回していたけど、いつも油断だらけの姿を見ていて、変な感じはしていたんだ。お前が経営している焼肉屋にも、とんかつ屋にも客として入っみたし、自由ケ丘のガソリンスタンドなどでは、お前さんの隣に座って様子を窺ったりしてたんだが、俺たちに監視されてるってのは、お前はまったく気づかなかったってわけか?」
言われてみれば、思い当たることは沢山あった。
田園調布の家の買い主であるY医師からは、マスコミ各社が取材に押しかけて来たと聞いてたし、友人のOやYも週刊誌の取材に答えたと言っていた。
そして私自身も警視庁の記者クラブに直接電話して、サンケイ新聞のキャップという男に、聞きたいことがあるなら何でも話すからこそこそと尋ね回らないで直接に自分に聞け、とタンカまで切ったこともある。
私は、こんなマスコミの動きですら、宇田川ビルの地主がつまらぬ噂を流して私を誹謗していために違いないと考えていて、まさかこの私の殺人容疑の取材をしているのだとは、夢にも考えつかなかったのだ。
私が仕事を終えて自宅に戻る頃、やっと明るくなったばかりの時刻だというのに、自宅前の路上でエンジンをかけっぱなしにしている車を見たことは何度もあったが、これとてまさかこの私を刑事が見張っているなどとは考えたことがなかった。
佐藤を殺害した容疑だと言われたことが、私の想像を超えてあまりにも意外なことだったので、ここで私の思考も止まってしまった。
私は何も喋らなくなり、あとは沈黙したままで刑事たちとの睨み合いが延々と続く。
そのうちに窓の外を眺めていた刑事が言う。
「やれやれ、どうやらここも勘づかれたらしい。ほら、あの街路樹の陰にいる男、あれはマスコミのカメラマンだ」
「時間がたてば騒ぎが大きくなるばかりだから、こうなれば早いところ本部突入の方がよさそうだ」
「うん、麻布署に押しかけて逃げた後だと知れば、次はここに見当をつけるのも多いだろう。連中の逆をついて、今の本部がかえっていちばん手薄かも知れん。いっきに地下に乗り入れるか」
会話の様子からすると、私が考えている以上にマスコミの取材騒ぎは大きいらしい。
このぶんでは、マスコミは、私の自宅にも押しかけていることだろう。
今頃は、私の2人の息子が中学校に通う時刻だろうに、マイクをつきつけられて立ち往生しているんじゃなかろうか。
最近は“3FET時代”と言われて、異常に過熱している写真週刊誌の報道合戦を思うと、家族のことが心配でならない。
「逮捕したんだから、本来なら手錠腰縄でなければいかんことになってるんだが、武士の情けでこのままの姿で連行する。あのカメラマンのことなど気にせずに平気な顔をして堂々と歩いてゆけ」「俺たちはこれほど気を使ってやってるんだから感謝しろよ。本当ならお前のような悪党は、新聞でもテレビでも好きなように撮影させるところなんだから」
このように恩を着せられながら、5人の刑事に囲まれて、私は赤坂署の正面玄関を出た。
とたんに、木の陰から飛び出してきたカメラマンが派手にシャッターを切り出した。
私は平静を装って歩いているつもりだったが、実際には生きた心地もなく、踏みしめる足元もおぼつかない。
梅雨明けの晴天で暑い一日だったはずなのに、私の身体は冷えきってしまって、まったく何の感覚も失われたようだった。
車までのほんの10歩ほどの距離が、イヤに長く感じられる。
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