上申書・12 マスコミとの合作劇

3. 当局のシナリオ

   マスコミとの合作劇

 権力に対する監視とチェック機関としての役割を担っているはずのマスコミだが、こと犯罪報道に関する限りはまったくこの原則が働かない。

 警察の権力行使の行き過ぎを監視するどころか、お先棒担ぎとなって、犯人と名指しされた弱い立場の市民に向かって虚報を流して人権を圧殺する。

 捜査当局の方は、こんなマスコミの体質を見抜いているから、これを巧妙に利用して犯罪捜査に役立てる。

 当局は、面白く脚色した犯罪シナリオや容疑者の顔写真をマスコミに提供するといったサービスはもとより、時には極秘と称したスクープ情報を小出しに流しながら、マスコミを操作して警察の広報部門の役割を果たさせる。

 ことに私の事件の場合のように、殺人事件の痕跡どころか、果して何らかの犯罪事実があるのかどうかも不明なままで強制捜査に着手する場合には、マスコミをとおして、あらかじめ社会に予断を作り出しておくことは、警察にとっては絶対に必要なことだった。

 私をずる賢い凶悪な殺人犯だというイメージで一般社会に固定観念を植えつけておけば、証拠もなしに逮捕したり、別件逮捕を繰り返して長期勾留したりという行き過ぎた捜査手続きでさえ、非難をあびずに済ますことができる。

 逮捕された日の夕刊各紙には、私が佐藤を殺害して彼の財産を乗っ取ったと断定せんばかりの記事が、社会面のトップで大きく報道された。

 各新聞には、私と佐藤の顔写真とともに、田園調布にある元佐藤宅の写真が、それぞれ実名や住所つきで掲載されている。

 テレビニュースやワイドショーなどでは、私の顔写真が繰り返して放映され、凶悪な犯人だという印象を宣伝したという。

 ところが、実際この日に執行された逮捕状に記載されていたのは、佐藤に対する殺人でも、佐藤の自宅を勝手に処分したという容疑でもない。

 役所の職権で抹消されてしまった佐藤の住民登録を新たに設定したことと、民事訴訟に対抗するために行った建物の譲渡担保登記をしたという、単なる形式的な手続きの違反容疑だった。

 こんな情況からみても、これが別件逮捕であることは一目瞭然だ。

 客観的な犯罪報道をするなら、佐藤の顔写真も関係ないし、田園調布の上空を何機ものヘリコプターが舞って取材合戦をする必然性はまったくないはずである。

 マスコミ各社の倫理規定によれば、別件逮捕の報道は匿名で行うことになっているのに、私の事件の場合にはこの配慮がされていない。

 初めから捜査当局は、私を佐藤殺害の犯人であると決めつけて、その方向でマスコミを誘導し、マスコミ側も警察の意向をくんで、私を殺人犯人であるとの前提で報道した。

 実際に私の逮捕時点においても、捜査当局は佐藤の生死を判断できるような情報など何ひとつ持っていなかった。

 長期間所在が不明になっているから、殺されているのではなかろうかという予断を持っていたにすぎない。

 したがってこの事件の解決は、私の自白が得られるかどうかにかかっていることを、捜査当局は十分に承知していた。

 すべての捜査方針は、何としてでも容疑者である私から犯行自白をもぎ取るという一点に集約されて作戦が練られてゆく。

 別件逮捕によって長期勾留することも、マスコミ操作して初期の段階で一般社会に対して私が真犯人だという予断を形成してしまうことも、あらかじめ計算されていたことだったのだ。

 確たる証拠があって、私が逮捕されたのではなく、むしろ当局の狙いは証拠を入手するために強制捜査に着手したことが誰にも判る情況にある。

 捜査活動が暴走することの予測がついたにもかかわらず、マスコミは警察を監視しようとはしなかった。それどころか、捜査活動の暴走に手を貸したのである。

 

 

 

 

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