上申書・23 通帳と印鑑を所持していた理由

 

5. 情況証拠

   通帳と印鑑を所持していた理由

 「佐藤という男が行方不明になった。その後で折山という人物が佐藤の預金を解約してその金を自分のものにした。しかも、その行為について誰もが納得できるような説明ができない。

 この情況があったら、折山が佐藤を殺害して預金通帳と印鑑を奪ったということは、もう99%確実というのが捜査上の常識。これだけでも有罪とするに十分な情況証拠だ」

 白石主任はこう言って、私に対する佐藤殺し容疑の濃い理由を説明した。

 そして私が依然として殺人容疑を否認するたびに、

 「それなら佐藤の預金通帳と印鑑を所持していたのはなぜか」

と問う。私は初め、

 「通帳と印鑑は、佐藤から任意に預かっていたものだし、預金を引き出すときにも佐藤の承諾を得た。佐藤が本当に所在不明になったのは、田園調布の自宅を売却した後のことで、それまでは時々私との連絡はとれていた」

と説明したが、取調官は私のこの弁解を聞こうとしない。

 そこで私は、1980年当時の佐藤との関係を細かく説明して、なぜ佐藤名義の通帳や印鑑を私が預かっても不自然でないのかを述べる。

 佐藤と私とは、一般的な友人同士、あるいは仕事の同僚という間柄ではなく、共同事業者として一心同体というべき連帯関係にあった。

 定期預金の中身にしても、元はといえば佐藤個人のものではなく、共同事業体の一つ「佐藤企画」の仕事として渋谷の宇田川ビルの借受人から受け取った保証金の一部であり、今後の事業資金とすべく予定されていた金である。

 したがって、共同経営者である私が、事業展開の目的でこの預金を管理していたとしても特に不自然とまではいえない。

 このようにして私は、当時の情況を記憶にあるがまま正しく説明したのだが、取調官は初めから私の弁解などは作り話だと決めつけている。

 私の話が真実であれば、佐藤殺しの容疑が崩れてしまうからである。

 そして捜査当局は、私が殺人犯だとしたら多分こうであったに違いないという憶測をもとにして、私と佐藤との関係についても架空のシナリオを作り上げた。

 警視庁に呼びつけた多くの参考人からは、このシナリオに沿った供述だけを選択して調書化する。

 当局の想定シナリオは、私とは正反対のものだった。

 「被告人と被害者佐藤との関係は対等ではなく、同人は被告人を秘書か鞄持ちのように扱い、被告人も表面上はこれに甘んずる態度を取っていた。すなわち被害者佐藤は、時々人前で被告人に小遣銭として1万円程度を渡し、被告人はそれをうやうやしく受け取り、また、被害者佐藤は、被告人を夜中でも呼び出すなどして車の運転をさせて旅行に出かけたり、自宅の鍵を預けておき庭の草取りや来客用の食器整理等の雑用をさせ、更には被告人の事務所に頻繁に出入りして用事もないのに長居をしたりしていた。(検察官冒頭陳述書より)」

 ほんの少し論理的に考察すれば、渋谷に独立して事務所を構え、月間百数十万円の収入を挙げていた私が、時々1万円の小遣銭を貰って鞄持ちをするはずのないことは判るだろう。

 また、佐藤の自宅は売却用の商品なのだから、私が販売代理人として鍵を持っていることも、また化粧のために多少の掃除をするのも当然のことである。

 さらに、放浪生活が常態の佐藤は、来客用の食器などは所持していなかった。

 このように捜査当局が想定するシナリオたるや、まるでマンガの如き空想の産物なのだが、権力を後ろ楯にして大上段に突きつけられると、いかにもそれらしく思えるのである。

 このシナリオが誤りであることを証明する資料として、私にはビジネス日誌や帳簿類が多く存在していたが、これらの証拠を当局は隠してしまった。

 そして、「当時のお前の事務所の経済状態は窮していて、とても佐藤と共同事業を行っていける情況じゃなかったはずだ」と決めつける。

 そして最後には私自身にも、この捜査当局の作り上げたウソのシナリオを認めさせた。他の諸々の虚構シナリオを認めさせられたのと同様に、佐藤と私との人間関係についても、もはや私がいくら真実を語っても、これを取調官が聞き入れる場面は存在しないのだ。

 そこで、当時の佐藤の境遇やら、私との関わりについて真相はどうだったのか、ここでもう一度弁明しておかねばなるまい。

 これは取り調べ時に、私が捜査官に対して主張していたことと同じ内容である。

 

 

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