上申書・26 決めつける

    取調技術⑥決めつける

 取調官は、捜査当局のシナリオに反する証言や証拠が新たに出てきた場合、まずこれらの証拠が偽造か、誤解か、錯覚か、単なる記憶違いであると決めつけて排除してしまい、既成のシナリオの正当性をどこまでも維持しようとする。

 この決めつけの手法が始まると、論理は一切無視され、理由もなくシナリオどおりの犯行態様を私に押しつける。

 予断と偏見で固まった取調官には、私の語る真相などは耳に入らない。私が何を喋っても、それがシナリオに合致してないかぎりは作り話だと決めつける。

 「この契約書を作ったのは8月20日ころということでいいな」

 「いや違います。佐藤の自宅が税務署から差し押さえられて、それで慌てて作ったんだから、5月だってことははっきりしている」

 「この野郎、さっきから8月20日に作ったんだと言ってるのが判らないのか」

 「いや5月です」

 「だから8月に作ったんだよな」

 「5月・・」

 「てめぇ、何度言ったら判るんだ。8月20日に作ったんだと教えただろうが」

 このように不毛な会話が延々と1時間も2時間も、ときには1日中でも繰り返される。

 ウソも百辺繰り返して言えば真実に変わる、という“洗脳”の原則が適用されて、最後には私の方が根負けしてしまう。

 税金の滞納によって田園調布の自宅が差し押さえられ、その通知が来た後に、公売に対抗するための手段として佐藤と打ち合わせて作成した準消費貸借、代物弁済契約書だったから、この作成日は差押え期日の4月末か、遅くとも5月であることは明らかなのだ(注6)。

 しかし、私は取調官の決めつけ誘導に負けて、とうとう当局のシナリオを認めさせられてしまった。

 「8月20日に作りましたって、言ってみろ」

 「・・・」

 「契約書は8月になってから作ったんだよな」

 「それなら、もう、そういうことにして貰ってもいいです」

 「やっと本当のことを思い出してきたな。俺たちはお前さんの口から契約書をいつ作ったのか直接聞きたい。いつ作ったんだ」

 「8月・・」

 「そうだよ、それでいいんだよ。8月20日になって作成したんだな」

 「ハイ」

 「8月に作りましたって、言ってみろ」

 「8月に作りました」

 「私はこの契約書を8月20日ころに作りましたって、言ってみろ」

 「私は8月20日ころに作りました」

 「ようし、これでお前さんは嘘つきじゃなくなった。正しい記憶が戻ってきた。こんなつまらんことに何日もかけて、手数をかけさせるなよ」

 このような馬鹿らしい会話が現実にありうるのだろうか、と常識的には考えられようが、そもそも取調室という密室空間は、私にとっても取調官にとっても、正常な思考方法を長く続けられる場所ではない。

 異常な精神状態に陥っての行動だから、後で常識を基にして判断しようとしても理解できないのは当然である。

 取調官は、私の供述の全体を見通したうえで、この契約書の作成日付を認めさせれば、最終的には佐藤殺害の情況証拠になることまで意図しているのだ。

 それなのに、私は財産処分のことなどは少しぐらい妥協してもいいのだと軽く考えていて、取調官の本当の狙いが読めない。

 「佐藤を殺したことを認めろと言ってるわけじゃないんだぞ。契約書の日付などどうでもいいことに、こんなにこだわっているお前の気持ちがわからない」

と取調官にイヤミを言われると、私自身も、こんなことは本当に些細なことなのだと思い込んでしまった。

 契約書の作成日が8月20日ころだと認めさせられた次の日からは、今度はこの事実を前提にして、

・この作成日までには佐藤は消息不明になっていたこと、

・したがって契約書に押印してある佐藤の実印は私が所持していたこと、

・佐藤が二度と出現しないことが判っていたからこそ偽造したこと

を認めるようにとの、自白強制が続くようになるのである。

 

 

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