上申書・27 おだてる

     取調技術⑦おだてる

 強引な押しつけや一方的な決めつけに呆れ果てた私が、だんだんと心を閉ざして黙り込むようになると、刑事は、初めのうちは力で押し切って私の沈黙を破ろうとしてきた。

 しかし、しばらくすると私の場合には力で押すよりも、なだめたり、おだてたりというソフトな方法のほうが効果的だと判ってきたらしい。

 私の仕事上の知識のことを話題にしながら、少しずつ私の気持ちを解きほぐす取り調べも行われるようになった。

 私も、なるべく警察に対する反感を表すことはやめにして捜査に協力し、真相解明して貰うことこそが、私の無実を晴らす近道だと考えるようになっていた。

 私の知っていることは少しでも多く聞いて貰って、捜査官と一緒になって佐藤失踪の謎を解こうとした。

 殺人容疑についてのウソの自白を強制されることには激しく抵抗したが、それ以外のことでなら、むしろ積極的に取調官と話し合うことを望んでいた。

 刑事が私を人間扱いするかぎりは、私としては彼らに反発したり対抗したりする必要はなかったから、取調官のこのような柔軟な取り調べは大歓迎なのだ。

 5年前まで私は、不動産業を営んでいたのだし、事業を閉鎖した後も強制執行やら不動産競売に関わり続けていたこともあって、私には、捜査四課が扱うようないわゆる事件もの不動産の知識が豊富だったので、刑事はこういう話題をみつけてきては私と意見を闘わせ、おだてては心を開かせようとする。

 暴力団が関わって手を焼いている不動産収奪事件やら、建物不法占拠事件について、私の参考意見を求めたりした。

 私も、自分の知識が多少でも役立つのかと思えば喜んでこれに応じて、双方の話が弾んでいるうちは、すっかりと取調官に心を開いてしまうのだ。

 暴力団が貸金証文をタテにして建物を占有し、賃借権を主張しているが、どうしたら対抗できるだろうか、とか、暴力団に脅されて立ち退きを迫られているが、実際の効果的な対応法があるか、という問題などについて、刑事は当該建物の登記簿謄本まで私に示して具体的な助言を求める。

 また、加藤刑事は、厚木に所有している土地を有利に売却する方法やら、清瀬市の自宅で隣地を買わないかともちかけられているがどうすべきだろうか、といった細かな相談を持ちかけるし、明神刑事は、柏市に入手した土地に家を新築して愛媛県の両親を呼びたいが、あちらに所有しているアパートは処分すべきかどうかなどというプライベートな助言を求めた。

 私は、自分の知識が本当に役立つような錯覚に陥って、親身になって考えているうちに、すっかり取調官のペースに嵌まってしまうのである。

 閉塞された狭い密室の中で、対立し緊張したままの人間関係が長時間継続することは、耐えられないストレスとなる。

 何日もこの強いストレスに曝されている私は、何かのきっかけさえあれば、眼の前にいる刑事たちと心の通い合う対等の人間関係を築きたくて心理的に追いつめられていた。ストレス回避の本能である。

 刑事たちがこのようにして私に相談したりすることが、私をおだてて心を開かせようとしているだけの、取り調べのテクニックだとは判っていても、私は喜んでこのおだてに乗せられる状況にあったのだ。

 やっと普通の人間らしく対等の会話が交わせて、有頂天になっている私を誘導して、取調官は、佐藤の財産処分関連の供述、特に各種仮登記や賃借権、譲渡担保、保証書による登記などの専門知識が要求される行為について、その手際のよさをおだてながら、当局が描いているシナリオ通りにもっていったことは、言うまでもない。

 

 

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