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上申書・31 裏づけ調査させるには

     裏づけ調査させるには

 「仮にだなぁ、お前さんと佐藤とが25日に確かに福岡で会っていたのだとしても、それがどうだって言うんだ?

 その直後に佐藤が福岡で死にました、とでもいう話ならともかく、二人で旅行に行きました、無事に帰ってきました、というだけの話で、捜査官がわざわざ九州に出張調査するわけは無いだろ?」

と白石主任は言ったが、なるほどその通りなのだ。

 このときの私は5年前の記憶をありのままに述べていた。

 佐藤に頼まれて25日朝の一番機で福岡に行き、アーバンホテルで佐藤と会ったこと、その後レンタカーで市内と大宰府をドライブして、途中の山にある川のほとりで休憩したこと、夕方になってから福岡市内へ戻り、中洲付近で佐藤と別れて私だけが新幹線で帰京したこと、その後も佐藤とは東京で何度も会って仕事の打ち合わせをしていること、などである。

 白石の言うとおり、これだけの話であれば捜査当局には何の興味も引かぬことなのであろう。福岡旅行の裏づけが取れたとしても、捜査が振り出しに戻るだけのことで、肝心の佐藤の行方の解明には役立たぬからだ。

 私のアリバイなど調べる気は無い。相変わらず23,24日に田園調布で殺害したというシナリオに固執して、これを認めろと私を責め続ける。

 底で私は、捜査官を福岡に向かわせ、アリバイの裏づけ調査をさせるには、真実を多少作り変えて、虚構を交えて誘導するしかない、と決心した。

 先ずはじめは、佐藤はこのとき以来行方不明になったのだ、という話にしなくては刑事たちを私の話に引き込むことが出来ない。

 実際にはその後も東京で会っていたのだが、すでに7月下旬には、佐藤は殺害されていたに違いないという当局の強固な予断と相反する話では、対話が成立しないのだ。

 私は、佐藤とは中洲で別れて以来会っていない、もしかすると福岡で事故にでも見舞われたのではないだろうか、と話を作っていった。

 このような私の話になってやっと取調べらしくなってきたが、これもすぐに、

 「調べてみたが、この日の福岡市内では交通事故死も殺人事件もなかったそうだ」という報告で、そのあとが続かない。

 繁華街の中洲で別れたなどと言う漠然とした話では、それ以後の佐藤の足取りなど調べようは無いという。ただ単に佐藤の消息が途絶えたというのではなくて、失踪に繋がる原因が具体的に特定されなければ、わざわざ捜査の範囲を福岡にまで広げられない、と強調する。

 そこで次には、佐藤と私の別れた場所を変更することにした。電話で問い合わせるだけで一瞬のうちに作り話だと分かってしまう話では、捜査官を出張調査させることが出来ないからだ。

 私と佐藤との25日の行動の中で、佐藤に事故に会ったことにしてもらうには、大宰府裏山の川のところしかありえない。ここならば周辺が山中でもあったし、川で流されたという話も考えられるし、とにかく現地調査してみぬ限り、正確な情報は捕まえられぬ場所である。

 私は、この川で遊んでいるうちに佐藤と喧嘩をして、そのまま彼を置き去りにして帰ってきてしまった、という話を作り上げた。

 それ以来佐藤は現れないので、もしかしたらその場所で何らかのトラブルがあったのではないかと強調した。

 この話を作り上げた後は、刑事たちも直ちにこの話は作り話だと、一方的に断定するわけにも行かない。今までに収集した証拠事実とも矛盾していないし、この私の供述をウソだと断定する反対証拠がないのだ。

 その上、この大宰府裏山の川に立ち寄るまでの供述はすべて真実を話しているのだから、私の語り口にも淀みがないし、何度尋ねられても反復して同じように応えることができる。

 こうなると取調官としても、この話に何らかの決着をつけぬ限りは、私への調べが一歩も進まなくなってしまう。

 私としては福岡での現地調査さえ実施してくれれば、佐藤が725日に生存していたことは直ぐに裏付けられると確信しているので、自分の主張を固執して譲らない。

 こんな硬直した状況が数日続いた84日のことである。白石が言う。

 「お前さんの話は作り話だとする意見が大多数だが、一応念のために調査だけでもしてみたらどうか、という意見もないわけではない。まだどうするかの結論はでていないのだが、もう一度お前さんの主張を整理してみたい。捜査員に調べて欲しいことを具体的に詳しく書いてみてくれ」

 私は、狙い通りの展開になってきたことに内心小躍りした。そして今までの作り話を交えた福岡での行動の一部始終を繰り返し説明し、裏づけの取れそうな場所の図面を描いた。25日の朝、佐藤と待ち合わせたアーバンホテルや、レンタカー営業所、佐藤と別れた河原などの場所を示す略図である。

 「また俺たちはすっかりお前に騙されてしまったらしい。わざわざ福岡へ出張した捜査員の報告では、お前の書いた図面のところからは何の裏づけも取れなかったということだ。

 捜査会議で、俺たちもずいぶん恥をかいてしまったが、お前もこれで気がすんだだろう。福岡の夢の話なんかこれでふんぎって、現実の話に帰ろう。ちょっと寄り道はしたが、お前が佐藤を殺したのは、田園調布の家しか考えられないんだ。」

 白石がこう言ったのは、私が図面を描いてから数日経ったころだった。

 そんなはずが無い。確実に記録が残っているはずのところだけでも、アーバンホテルの宿泊記録、レンタカー伝票、航空搭乗券、25日夜の広島ステーションホテルの宿泊名簿があるのだから、その全部に痕跡が発見できなかったなんて、とても私には信用できない。

 多分、出張調査したなどとウソをついているか、あるいは電話ででも問い合わせて、通り一遍の雑な調査でごまかしたのだろう、と判断した。こんなことで騙されて、福岡の話を撤回させられてたまるものか。

 

 

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