上申書・32 かく乱する

     取調技術⑧かく乱する

 私の場合、逮捕後の早い時期に弁護人の選任ができた。

 しかし、警察と検察は弁護士が私と面会することを妨害し、弁護士が努力してくれてもせいぜい4~5日に一度、それもわずか20分間の面会時間しか許可にならない。

 何も予期していなかったある日、突然に身柄を拘束されたわけだから、私は、容疑事実にどのように対応していくべきかを考えるより先に、残された家族や店の従業員の生活のこと、やりかけの仕事のこと、継続中の民事訴訟をどうしたらよいか、ということなどの心配の種が山積みしていた。

 弁護士に頼むしか外部との窓口が開いていないのだから、面会が始まれば真先にこれらの連絡や頼みごとに追われて、肝心の本事件についての相談をする時間がなくなってしまう。

 その上、この事件ときたら、別件逮捕容疑となった財産処分の関連まで含めると、大変に複雑な様相を呈していて、何も知らない弁護士に事件の概要を伝えるだけでも容易ではない。

 20分の面会時間で説明できることなど、たかが知れている。

 私は、家族の動静を尋ね、仕事の残務整理を頼むことすら十分にできない始末で、事件の相談などほんの2~3言しか交わせない。

 ほとんど弁護士からは助言らしい助言も貰えないままで面会を終え、次の取り調べに応じていたのである。

 それでも取調官にとっては、弁護士の存在そのものが目の上のたんこぶに思えたのだろう。

 私に対して盛んに弁護士を誹謗し、この種の否認事件では、弁護士というのがいかに役に立たないものであるかを印象づけようとする。

 弁護士なんてのは、単なる金儲けのために依頼者の味方のふりをしているだけだ、

 これだけの事件になれば弁護料が多額になって家族の負担が重くなるから考え直せ、

 一週に一度の20分間の面会では何の役にも立ちはしない、

 頼みたいことがあれば俺たちが何でもやってやる、

 事件の帰趨は警察と検察の段階ですべて決まるので、裁判が始まるまでは弁護士の役割は何もない、

 自分たちも弁護士なんて相手にしないし、話すことなどない・・等々。

 刑事たちは今までの捜査の経験を語って、事件の捜査段階においては弁護士の活躍する余地がないから無駄な金を使うなと言う。

 そしておりをみては弁護士の悪口を具体的に指摘して私を嘲笑した。

 「松原弁護士は民事専門の先生じゃないか。調べてみたが刑事事件の弁護ではほとんど何の実績もない。あんな駆け出しの弁護士の言葉を真に受けたらとんでもないことになるぞ、商売だと思えば口先でどんな甘いことでも言えるんだから」

 「お前が福岡での裏付け調査を頼んだと言うから、先生に直接聞いてみたら何もやってませんという返事だった。あてにしてても無駄だ。もっとも弁護士が動いても何の権限もないんだから調査などできるわけはないんだが」

 こんな悪口を毎日何十辺も聞かされているうちには、自然と“洗脳”されて、そんなこともあるかも知れないと思い込むことになる。

 たまたまこの時期には、私の記憶が急速に戻ってきていたので、弁護士に相談したいことが多くあったが、あまりの短い面会時間のせいで、私と弁護士との情報伝達がスムーズにいっていなかったことも重なって、私は疑心暗鬼にとらわれてしまった。

 面会して言葉さえ交わせば、古い付き合いのある弁護士との信頼関係などすぐに回復するはずなのに、なにしろ取調官にとり囲まれて弁護士の悪口を聞かされている時間の方が圧倒的に多い。

 4~5日も面会の機会が失われていると、取調官にたきつけられている私は、M弁護士にさえ不信感を抱く始末なのだ。

 松原弁護士が面会のおりに

 「嘘をつくと裁判のときに困ることになる。真実だけを正直に話すように」

と忠告してくれた言葉さえも、取調官が私を責めたてるときの言葉と、まったく同じなのだから、あぁ弁護士までもが現在の私の主張を嘘だとみているのか、と思ってしまう。

 こんな極限状況に置かれて取調官の追及に耐えている私に対しては、

 「無実の者が身を守る唯一の方法は、取り調べには一切黙秘することしかない。何を言われても弁解せず、取調官に対しては、たとえ真実であっても口をきくな」

という冤罪防止の鉄則をこそ助言してくれるべきだったと、今になって思う。

 「直接証拠がないというだけで、情況からみれば真っ黒だ。これで自白でもあれば誰が考えても有罪間違いない」

と述べる弁護士の言葉も、なかば不信が芽生えている私にとっては逆効果で、激励されているとは思わずに、やはり弁護士ですら私の無実を信じてはいなかったのかと考え、もはや心を割って何でも相談しようという気になれない。

 福岡の裏付け調査も弁護士からは無理だと断られてしまったし、私は、頼れるのは警察力しかないのかと一人で思い込んで、これ以降は弁護士に相談もせずに独断で捜査当局の眼を福岡に向けさせるべく、作り話をしていくのである。

 せっかく早いうちから弁護士が支援体制をとってくれたというのに、詳細な事件の打ち合わせもしない間に、当局のかく乱戦術によって、私は弁護士に対する心を閉じることになってしまった。

 疑心暗鬼にとらわれた私は、弁護士に弱音を見せることもしなくなり、一人で闘うしかないんだという悲壮感を抱くと、どんどん孤立化していった。

 

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