上申書・34 弁護人の資格剥奪

    弁護人の資格剥奪

 2度目の逮捕から交代した私の取り調べ検事佐々木善三は、被疑者である私を徹底的にいたぶり、屈服させて、感情的に混乱に陥れることが自白を得るための最上のテクニックだと心得ているようだった。

 毎日の取り調べは、初めに私を挑発して感情的になった私の言葉尻をとらえて難くせをつけ、このことで私に頭を下げさせて詫びを入れさせてから、やっと開始するのが恒例パターンである。

 その挑発のやり方は、権力をカサにきた薄汚いもので、互いに人格を認め合う者同士であれば決して口に出したりはしないような言葉で平気で罵った。

 私のこれまでの人生では、このように卑劣な言葉を口に出す男に出会ったことはなかったので、初めのうちこそ、このサディストめ、と検事を睨みつけていたが、それでも繰り返していたぶられているうちに、私は、何と言われても抵抗を封じられて屈辱に耐えていることに我慢がならなくなって、最後には食ってかかっていってしまう。

 佐々木検事は、私と対等の人間的立場で論理的に話し合うのではなく、私を昂らせて感情的に混乱させ、自らの絶対権力をみせつけることこそが取り調べであると確信しているようだ。

 佐々木は、この事件の専任の取り調べ検事として警視庁に常駐していたから、私に対する取り調べは、昼間の刑事たちの取り調べに続いて、毎日夕食を終えた6時頃から同じ取調室で行われた。

 この窓もなく何の飾りもない小さな密室の中では、何が起こっても決してそれが外部に洩れることがないという安心感も作用してか、佐々木の取り調べは時間が経つとともに荒々しくなり、凶暴さをむき出しにして、私を罵りはじめる。

 片や被疑者の運命を思うがままにどのようにでも処分できる立場にある絶対的な権力者であり、もう一方の私ときたら、どのような仕打ちを受けても無抵抗で耐えるしかない、椅子にしばりつけられた圧倒的な弱者である。

 この2者が、わずか8畳ほどの広さの、外部から一切遮断された密室の中で毎日5~6時間も相対していたら、一体どんな情況になるか想像できるだろうか。

 警察の取り調べでは、複数の刑事が互いに牽制・監視し合っていて、理性でコントロールできなくなりそうになると、相方の刑事の合図によって席をはずして頭を冷やす方法がとられていた。

 私を罵るにしても、あくまで取り調べのテクニックとして計算されたものだから自ずと限度がある。

 再逮捕以降は4人の刑事が交代で私の取り調べに当たっていたから、同じ取調官と連続して顔をつき合わせているのも長くて2時間ほどである。

 ところが、佐々木検事には交代要員がいない。取り調べが始まればそのまま最後まで5~6時間は私と連続して対峙している。

 初めのうちこそ計算して私を罵倒しはじめるのだろうが、いつまでたっても思うようにならない私の態度に業を煮やしているうちに、自分で口にした汚い言葉で、ますます自ら興奮してゆくようで、際限がなくなっていった。

 丸めたノートで机を連打するたびに椅子から跳ね上がるようにして、身体全体で怒鳴りつける態度は、とても正常な理性をもつ者とも思えない。

 他人をこれほどまで侮辱することができ、人格を否定し尽くすことのできるこの取調官は、よほどのサディストに違いないと、私はいつも考えていた。

 佐々木検事は、取調室で初めて私と顔を合わせた直後に、こう言った。

 「聞くところによると君は相当の策士だそうだな。警察を手こずらせているだけじゃなくて、前任の梅田検事まで手玉にとったそうじゃないか。

 私は被疑者に欺されるのが大嫌いなので、やられたことは中途半端にせず、ひとつずつケリをつけてゆく。

 まず手始めに、今日はM弁護人のことで君から謝ってもらおうじゃないか」

 私が、松原弁護士に対して、田園調布の家の購入時の事情を山根医師から詳しく聞いてほしいと依頼したことが、証拠隠滅と偽証教唆にあたるというのだ。

 佐藤の田園調布にあった家を山根医師に売却したことが、佐藤殺しの重要な情況証拠だとの理由で、私はずっと追及を受けていたが、なにしろ5年も前の出来事であるし、手元に何の資料もないので、正直言って私にはこの売却行為についての細部の記憶が思い出せない。

 そこで弁護士に頼んで、山根医師に当時の情況を教えてほしいという伝言をして貰ったのだった。

 さらに私は、山根医師を欺して無権限で家を売却したのではないという、私の主張をそのまま伝えてほしいという希望もあった。

 もちろん松原弁護士に頼んだのは、最初の別件逮捕直後のことだし、この自宅の売却行為が詐欺行為に当たるという

言いがかりをつけて2度目の別件逮捕をされる以前のことだから、この私の依頼が法律的に問題になろうとは考えていない。

 捜査当局は、私の周辺にいたほとんどすべての者を事情聴取と称しては警視庁に呼び出して、そのついでに私にする悪意のイメージを植えつけ、私が凶悪犯であるという予断を広めている。

 特に、何らかの形で佐藤の財産処分に関わる者に対しては、

・何も事情を知らずに私に欺されて関与した被害者であるか、または、

・私と協力して佐藤殺害を行ったか、

の二者択一の踏み絵をさせて、各人に被害者意識を植えつけることに成功している。

 私の共犯者という疑惑を抱かれないためには、捜査当局に協力して私を非難する側の立場に立つしかないから、山根医師も松原弁護士から連絡があると、その事実をただちに当局に注進したに違いない。

 悪意をもった伝聞はとかく大げさになる。

 佐々木検事は、私が弁護人を通じて山根医師に接触した行為は犯罪に該当するから、私の出方しだいでは、それに協力した松原弁護士を懲罰委員会にかけて、資格の剥奪を申し立てるのだと言った。

 「松原先生もすっかり君に丸め込まれてしまって、少々やりすぎた。いくら君に貰って引き受けたのか知らないが、この事実を検察庁として正式に問題にすればただじゃ済まない。

 君は、松原先生の仕事を奪うように重大な犯罪に加担させたことになるんだ」

 弁護士の資格制度のことやら、刑事事件の弁護活動の限界については、小説や映画で得た一般知識しかもっていない私にとっては、検事のこの言葉は衝撃だった。

 公判が始まるまでは弁護士は勝手な調査をしてはいけない。

 ましてや被害者に直接にあたるなんて、とんでもないルール違反だ、などと言って佐々木が私の無知につけこんで脅しているなどとは夢にも思わない。

 山根医師に接触したことが法に触れているのだと、はっきりと断言されてしまえば、法知識のない私には弁明する余地もなく、ただ恐れ入るしかない。

 松原弁護士にまで迷惑をかけてしまったのかと、すっかり気落ちしている私をみて、佐々木が言った。

 「君が今回のことを十分に反省して、もう二度としないと誓うのであれば、今日のことは私の一存で納め、上層部には報告しないがどうかね」

 私は思わず「お願いします」と言って頭を下げてしまった。

 「そんな通り一遍の、義理で頭を下げられただけじゃ、判ったとは言えない」

と佐々木は陰湿に言う。

 私は、佐々木に命じられたとおりの詫びる言葉を繰り返し、

 「悪いことをしました。二度とこんなマネはしませんので、今回は許して下さい。すみませんでした」

と言い、思い切り頭を机にすりつけて謝ってしまった。

 佐々木検事は、ここまで私を追い込んで、対話の主導権を握ってから、やっとこの日の尋問を開始する。

 初めに借りを作ってしまったという負い目があるものだから、私は、このあとの取り調べでは、どうしても検事に迎合せざるを得なくなる。

 1~2日後の刑事の取り調べの時である。

 私がいつもの折り畳み椅子に座るのを待っていたように、白石主任が血相を変えて怒りだした。

 「お前は弁護士を使って、山根医師だけじゃなくて金森にまで偽証を頼み込んだな、この野郎。たいそうご立派なことをやってくれるじゃないか。

 だけど、お前がジタバタすればするほど佐藤殺しの容疑が動かなくなる。

 人殺しの頼みなど聞きたくないって、金森がすぐにこっちに連絡くれたよ。お前のことなど周りの誰もが信用しちゃいない。

 どう動いてもすべてこっちに筒抜けなんだということを、覚悟しとけ」

 金森氏というのは、6年前まで私の事務所で私の部下として不動産の営業をやっていた男である。

 殺人容疑の取り調べの過程で、田園調布の家の売却活動は、佐藤の失踪するずっと以前からやっていたことを証明する必要があり、私はK氏が覚えているのではなかろうかと考えたので、この点を確認してほしいと、松原弁護士に頼んでいたのだった。

 「だいたいな、あの松原という弁護士もとんでもない野郎だ。

 お前の福岡に行ってましたなんていうヨタ話を信じやがって、今度はお前の女房を使ってアリバイ工作までしようとしている。

 お前みたいな嘘つき野郎を信じて偽証工作までするんだから、悪徳弁護士だ」

 「お前の女房も、お前が福岡行きの搭乗券を持っているのを見た、なんて偽証している。弁護士と組んでお前と口裏を合わせる女じゃ、お前の言う潔癖な女だという仮面もはがれたな。

 松原弁護士にしても女房にしても、一度叩いてやらなきゃならないかも知れないな」

 白石は続けてこんなことも言った。

 「テメエは留置場から保釈で出た男に頼んで、ハト飛ばしやがったな。内緒で外部に伝言を頼んだってことだ。

 その男をつかまえたら、お前から頼まれましたって白状したよ。

 これがどんな大それたことなのか知ってるのか。何を企んでもすべて筒抜けだと言っただろう」

 いつもは比較的に冷静で、言葉も丁寧な白石が、この時ばかりは身振りも激しく真っ赤になって怒っているから、私は理由もわからずに、きっとよほど悪質なことなんだろうと考え込んでしまう。

 保釈で出た人に伝言を頼んだことなど、まったく身に覚えのないことだし、金森氏に偽証を頼んだというのも根拠のない言いがかりにすぎない。

 女房は真実を述べたのであって、これを作り話と決めつける当局の方が間違っている。

 しかし、白石の怒りは、私の反論など一切受け付けない様子だった。

 私にしてみれば、本命の殺人容疑という冤罪をなんとかして晴らさなければならないので、このような些細なことで取調官と対立しているのは得策ではない。

 白石の理不尽な主張にも、とおり一遍の抗議をしただけで、あとは、この場をおさめるために頭を下げることにしてしまった。

 この日の夕方から始まった佐々木検事の取り調べでも、私は、再び同じことで執拗な追及を受けなければならなかった。

 「このあいだ、あれほど謝ったのに、またやったらしいな。どうやら君は根っからの嘘つきだということも判ったから、口先だけで謝ってもらっても信用できない。

 この間の謝罪事項について調書をとることにする」

と言いながら、佐々木は事務官に口述しはじめた。

 「何もそこまでしなくともいいではないか」

と私は抗議する。

 「それならば、先日言ったとおりに上司に報告して、松原弁護士を懲罰にかけるしかない。

 君が弁護士を使って証拠隠滅を画策したのは事実なんだから、その反省をしないというのなら、責任をとってもらうことになる。私が強制することじゃなくて、この調書に署名して反省するか、あるいは懲罰委員会にかけるかは、君が決めることだ」

 私が言葉をつまらせているあいだに、検事は勝手に供述調書を作成して、ここに署名せよと迫る。調書には、私が弁護士に指示してY医師とKに連絡をとり、偽証するように頼んだが、これは悪いことだったと今では反省している。

 二度としないので、今回は穏便に計らってほしい、といった趣旨の内容が書かれていた。

 少し真実とは違いすぎるのではないかと、躊躇している私に対して、

 「君は、資格を剥奪されたあとの松原弁護士と家族の生活について責任が負えるのか。

 検察庁を見くびってもらっちゃ困る。1200人の検事が結束したら何だってできるんだ。

 私の今の気持ちひとつで、松原弁護士を潰すことはできる」

とダメ押しのように言って、調書を前に突き出した。

 ここまで検事に強気に出られてしまうと、知識のない私には、署名を拒否できるだけの理由はない。

 最初の脅しが功を奏したので、検事と刑事は互いに連係して私をトリックにかけて屈服させようとしたのだろう。

 しかし、これらのやりとりの中で、私は、弁護士の役割の無力さを思い知らされることになった。

 もはや事件の真相発見のために、弁護士に証拠集めや独自の活動をしてもらうことは不可能なのだと悟る。

 

 

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