上申書・35 子供も同罪

     子供も同罪

 佐々木検事の毎度の取り調べは、何やかやとインネンをこじつけて私の感情を昂らせ、心をズタズタに切り裂いて混乱させ、最後には自らの絶対的権力者の立場を思い知らせて、私を屈服させてから開始するのが常だった。

 ある時佐々木は、私に出された留置場の食事をじっくりと眺めてケチをつける。

 夕食のメニューは、いつもプラスチック製の椀に入った一杯の飯と、一皿のおかずだけと決まっていたが、このおかずも、例えばフライが2枚であったり春巻が3本であったりした。

 刻みキャベツなどの添え物も、何の飾りもない単品が出されるだけの素っ気ない食事である。

 佐々木は、この日の私の夕食を一瞥すると、いかにも軽蔑しているという態度を隠さずに言った。

 「君も外では社長と呼ばれて、まともな生活をし、まともな食事をしていたのだろうに、今では情けない姿だねえ。

 自業自得とはいえ、君を見ていると、実際哀れになってくるよ」

こう言い捨てると、食事中の私の監視を刑事に任せて退席してゆく。

 検事に言われるまでもなく、監禁されてからの奴隷そのものの生活や、ただ生きるためだけに食わねばならないことは、私自身が最も惨めに思っていることなのだ。

 これをことさらに強調して言われれば、屈辱感が溢れてしまって、ただでさえうまくもない飯が一層喉を通りにくくなる。

 逮捕から数日経ち、当初の興奮が静まって客観的な情勢判断ができるようになってからの私は、自分の体調の維持に特に心掛けるようにしていた。

 警察が何の証拠もなしに私を逮捕したのは、ひとえに私からの自白供述を得る目的だということが判ってきたし、そうなれば身柄拘束も長びくことが予測できるので、気力を維持するためにも自分の健康管理こそ一番に大切なことだと考えた。

 そして留置場の食事もすべて残さず食べることに決めた。

どうせ生存するのに必要なギリギリのカロリーを餌として提供しているだけの監獄の飯だから、おいしいはずなどないが、生きて気力を充実させておくため、闘いつづけるためにも、私は全部食うことは義務だと考えたのだ。

 しかし、厳しい取り調べを中断して、取調室に座ったままでとらされる昼食や夕食を飲み込むのは、かなり苦労する。

 常に強いストレスに曝されて胃の働きが鈍っているので、まだ前回の飯が消化しきれていないから食欲がわかない。

 その上、ついさっきまで青筋を立てて私を罵倒していた取調官に見つめられたまま食べるのである。

 佐々木検事に貧弱な夕食を嘲笑された日には、さすがに自分の惨めさを思い知らされて悲しくなった。

 しかし、この屈辱感を佐々木の傲慢さへの怒りに変えて、私は、この日も無理して一杯の飯を飲み込んだ。

 これからまだ7時間も続く取り調べで闘い続けるための唯一のエネルギー源なのだ。

 食事については、別の日に取り調べが始まる時に、次のように佐々木に皮肉を言われたこともある。

 「君は留置場の食事を3食とも残さず食べてるそうだな。

 佐藤の脱税は企むし権力には反感を抱いてことごとく対抗するし、君のような反社会的な男でも、最後には権力からのお恵みの飯に尻尾を振るのが恥ずかしくはないのかね。

 そんなに食べたいのか。

 君らみたいな犯罪者でも養ってくれるんだから、せいぜい権力にも感謝しなけりゃいけない」

 私は、どんな侮辱に対しても言われるに任せて黙っているしかない。

 佐々木は私を挑発して、私の理性を乱そうと計算しているのだから、私が反論したり口答えしたりすれば、検事の思うつぼだった。

 しかし、私が黙って耐えていれば、検事の私に対するいたぶりは、どんどんエスカレートしていって、私への挑発はいつまでも続く。

 このほか、私の気持ちを混乱させるために佐々木検事がよく使った話題は、私の身内に対する情愛の心を揺さぶって、家族や肉親を誹謗することだった。

 家族を辱められることだけは、どうしても聞き流すわけにはいかないから、この話題であれば私がすぐ挑発に乗らざるを得ないことを知っていたからだ。

 「近所や学校での君の息子たちの評判はずいぶんいいという話だが、君が人を殺して奪った金でこの5年間一緒に生活してきたんだから、しょせんは人殺しの同罪だ。

 社会的にもそれなりの責任がある。明日にでも呼びつけて取り調べてみようか。

 強盗した金で生活してきたことの責任について、今どう考えているか聞いてみるのも面白い」

 ここまで言われても私が唇を噛んだままでいれば、なおも続く。

 「君が犯した罪についての責任も認めずに、こうやって検察を手こずらしている姿を、息子を呼んで見せてやるか。

 父親がこんなに卑怯な男だという現実を、教えてやった方が将来のためになる。

 私の前で哀れな表情で顔もあげられずに小さくなっている父親の情けない恰好を見て、息子たちはなんて言うかな。

 それでも尊敬してます、と言うだろうか」

 佐々木の話を途中で遮って、私は抗議する。

 しかし、この密室の中では、私の生殺与奪の全権が佐々木の掌中に握られているのだ。

 私が一言でも口答えをすれば、その言葉尻をとらえて前よりも一層屈辱的な言葉で罵り、最後には全面的に私が謝罪しないかぎりはおさまらないことは判りきっていた。

 佐々木は引導をわたすように、私に命令する。

 「よし、君が謝るというのなら、息子を明日呼び出すことだけは保留にしておこう。

 その代わりに、中途半端な謝罪ではなくて、手をついてきちんと言葉に出して、私にお願いしろ」

 私は、サディストの絶対君主のお情けにすがる奴隷そのままに、

 「どうぞ息子たちを警察に呼びつけて調べることは勘弁して下さい」

と声を出し、頭を机にすりつけて頼むより他にはないのであった。

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