上申書・36 恐怖心を煽る

  9. マスコミ恐怖(再逮捕第1週)

   取調技術⑨恐怖心を煽る

 私が逮捕された1985年の夏といえば“3FET時代”と呼ばれて写真週刊誌が出そろった直後で、“ロス疑惑”、“豊田商事殺人”などをはじめとするのぞき趣味が無節操に横行し、過激なマスコミのスキャンダル合戦が展開されていた時期である。

 学生時代に広報工学を専攻して学び、その後もマスコミの動向に興味を抱きつづけ、スキャンダル報道の功罪についても一家言もっていたほどの私だったから、報道される側として、自分の逮捕後の事件報道には過敏になっていた。

 逮捕直後の私を、麻布・赤坂署へと引き回してマスコミ取材陣をまこうとした捜査官の態度からみても、マスコミが私の逮捕をどのように大げさに扱ったのかは想像がつく。

 自分で直接その報道内容を見聞きすることができないだけに私は、一層悪い方へと想像ばかりして、警視庁の密室に閉じ込められてからの私は、どんどん怯えを増大させていってしまった。

 刑事は、マスコミ報道に対して私が怯えていることを見抜くと、はじめにマスコミへのさらし者にすることから守ってくれた態度とは打って変わって、今度はマスコミの騒ぎぶりをことさらに誇張して話し、私の恐怖心を一層刺激する。

 「田園調布には、テレビや週刊誌が押し寄せて大変な騒ぎだ。

 Y医師の家族は買い物にも出られずに、皆ノイローゼになってしまった。

 連日の取材ヘリコプターの低空飛行の音で、真ん前の婆さんが心臓麻痺で死んだものだから、これがまたテレビの話題になっている」

 「佐藤の別れた女房がテレビに出て、佐藤を返してくれって泣き叫んでいたぞ。

 お前との初対面の時に、佐藤の前でペコペコ揉み手している姿を見て、すぐに悪党だとピーンときたと言っていた」

 「東京ビルのSまでテレビに出てインタビューに答えている。どうやって折山が嘘をついたのかを身振り手振りで話す態度は慣れたもので、すっかり有名人になったつもりのようだ」

 「お前さんの過去の悪行を次々とマスコミにバラしているのは、友達や部下や身内の者じゃないかな。

 俺たちの知らないことまでテレビがどんどん報道している。

 お前さんの周りの者も、いい加減なヤツラだ」

 私は、留置場の収容者からも、週刊誌に載っていたという幾つかの記事についての情報を教えてもらったが、その内容たるや、およそ実際とはかけ離れた単なる噂話を面白おかしくまとめているにすぎないものだった。

 「フォーカスに載っていた銀座のママってのは愛人なのか?」

 「田園調布に住まわせた謎の女ってのは、一体誰のこと?」

 「入手した何億円っていう金は、どうやって隠しているの?」

 留置場生活だからほんの限られた情報源しかもっていない者たちですら、この程度の質問をしてくる。

 このことから推しても、テレビのワイドショーなどの番組が、この事件をどのように歪曲して扱っているのかは、大方想像できる。

 刑事からマスコミ報道の内容を聞かされると、その狂騒ぶりは、事実そのとおりだろうなと思わざるを得ない。

 さんざんに私を怯えさせておいてから、白石刑事は、全面自供した方がいいと言う。

 「お前さんが肝心のところを隠して、いつまでも謎にして残しておくものだから、マスコミもミステリー的な興味をもって、いつまでも追い回すんだ。

 こんなのは、どこにでも転がっている単純な強盗殺人事件じゃないか。

 死体が発見されて一件落着となれば、マスコミもパーッと燃え上がって、それっきりで終わりだよ。

 あとは人の噂も七十五日で、世の中の誰もが忘れ去る事件だ。

 周囲の人の苦しみを長引かせないためにも、早いところ全面自供して、ケリをつけろ」

そして、こう言って脅した。

 「女房はずいぶん性格のきつい女だなあ。調べに対しても感情的に混乱することもなく、堂々と応じていった。

 潔癖な女だと、担当刑事がほめていた。

 だけどああいうしっかりしたのが限界までいくと一番こわい。

 生ゆでにされてすこしずつマスコミに包囲されてゆくと、突然ある日、母子3人が梁にぶら下がっている、なんてこともある」

 このことは、私が最も心配していることだった。

 マスコミの騒ぎが今でも続いているとすれば、家族は追いつめられているに違いない。

 「お前さんが事件を否認しているものだから、世間の騒ぎも静まらないし、周りの者もどう対応してよいのか判らずに苦しんでいるんだ。

 すべて自白した上で、罪を認めて悔悟の気持ちを表してみろ。

 その時には皆が相当のショックを受けるだろうが、それもお前さんが逮捕されたことの衝撃で免疫になってることだろうから、今なら大したことじゃない。

 罪を認めて深く反省して頭を下げてる者をいまさら責める者なんかいない。

 お前さんの友達だって事件のケリさえつけば、あとは減刑嘆願書だって集めてくれそうな者ばかりだ。

 家族だって、先の見通しがつくから、今がどんなに苦しくとも耐えられるんだ。

 マスコミなど怯えていないで、早く決着をつけろ」

 白石は、このように私を説得したが、これは彼の本音を語っているだけに、私の心にも素直に響く。

 私もまったくそのとおりだと思った。

 このまま私が否認を続けることで、友人や家族がマスコミの標的にされ続けて破滅していくなんて、想像するだけでとても耐えられない。

 事件の真相は、裁判が始まってくれれば明らかになるだろうから、現在の自分にとっては、周囲の者たちを守ることの方が大切だと考える。

 私は白石に頼み込んだ。

 「どんな話でも認めるから、どう喋ったらいいのか教えてほしい」

 でも、この段階では、取調官もまだ事件のシナリオを完璧な形で描けるだけの裏付け資料を何ももっていない。

 佐藤の死体が出てこない限りは、私の供述を誘導することは不可能なのだ。

 

 

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