上申書・38 日航機墜落

     日航機墜落

 「飛行機が墜落して大勢が死んだので、世間じゃそのニュースで、テレビも新聞も大騒ぎだ。

 たまには折山にも新聞を見せてやろうと思って持ってきた。読んでみろ」

 ある日の取り調べで、安田・明神の両部長刑事が、こう言って私に新聞を手渡してくれた。

 逮捕以来1か月近くも活字を見ていなかった私には、新聞が読めるというだけでも何やら胸がつまってくる。

 刑事の言うとおり、1面から社会面まで、日航機が墜落したことと、その後の生存者のニュースなどでうまっている。

 家族に向けて手帳になぐり書きされた遺書が発見されたという記事では、思わず家族を思う気持ちが身につまされて、感受性が高まっている私は、新聞を読みながら泣きだしてしまった。

 「ご覧のとおり、新聞は飛行機事故のニュースであふれているだろう。

 ところで折山よ。自白するなら今がチャンスだぞ。

 今なら佐藤の死体が発見されても、そんな記事など載せるスペースがない。

 マスコミの眼が事故の方に向いているうちに、こっそりと死体を掘り出してしまって、いつのまにか一件落着という形にした方が、周りの者が皆助かるじゃないか。

 丁度お盆の最中でもあるし、佐藤にとってもいい時期だ」

 安田刑事は、私が死体のありかを供述しないのは、マスコミ報道を恐れているからだと思っているらしい。

 この機会にすべて自白してしまった方が私のためだと、本気になって説得を始めた。

 私自身も刑事の言うとおりだと思う。

 こんな大事故のニュースがあふれている時なら、マスコミが私の事件のことなどに注意を払う余裕がないから、マスコミに怯えている私にとっては絶好の機会なのだ。

 知っているならすぐに話してしまうのに、と本気で考えたが、こればかりは作り話をするわけにはいかない。

 私は、今までどおりに佐藤殺害には一切無関係だという弁明を繰り返す以外にどうしようもない。

 この日から安田刑事、明神刑事の2人が交代で私を責める形の激しい取り調べが2~3日続いた。

 私の耳元で大声で怒鳴り、罵倒する力ずくの自白強要である。

 朝から夕方まで、ずっと続く言葉の暴力には、すでに慣れているはずの私でさえ、両刑事に憎しみを感じるほどに厳しいものだった。

 この時ばかりは、夕方から始まる佐々木検事の取り調べの方がまだましだという思いにとらわれた。

 2人の刑事は、ともに最後には声はしゃがれて、眼は血走って、頬もげっそりとそげて、責められている方の私が同情したくなるような容貌になりながら、なお執拗に

 「佐藤の死体を出せ」

と供述を迫るのだ。

 しかし、刑事にいくら力ずくで責められても、私にとっては答えようのない事柄だったから、まるで逃げ場のない袋小路に追いつめられて、ムチ打たれているようなものだ。

 このまま続いたら、あまり大きなストレスのために最後には自分が発狂してしまうのではなかろうかと心配になる。

 限度を超えた強烈なストレスを与えて被疑者の思考能力を奪い、当局の描く犯行のシナリオを認めさせることは日本警察の得意とするところなのだが、この時には、私が認めたくてもシナリオができていないのである。

 私には、苦痛を与えられたという以上の意味は何もない。

 この時に受けた不条理な取調官の仕打ちは、私の心に深い傷となって残り、この後の取り調べの全期間をつうじて、私の、刑事に対する恐怖心が消えることはなかった。

 安田・明神の両刑事は、以前から私の福岡でのアリバイ供述を嘘の話だと決めつける強硬な態度をとっていたから、この時にも、私の福岡行きの弁解は一切許さない。

 それどころか、この福岡の話はすべて虚構であることを認めるようにと私に強要し、

 「二度と福岡の話はいたしません」

という趣旨の誓約までとったうえで、これを供述調書に作成し署名までさせた。

 2人の刑事は、当局が描いている田園調布における殺害シナリオこそが唯一の真実だと固く信じ込んでいたのだ。

 後日、安田刑事が私に述懐したことがある。

 「自分たちは、お前が佐藤を殺した犯人だと思っている。

 それに逮捕した時からのお前のマスコミに対する怯え方をみていると、あの日航機事故の時には、全面自供させる最高のチャンスだと確信した。

 家族のためにも、すべてを白状させて、お前を救うのは、この時しかないと思ったから、主任さんに特別許可を貰って、明神長と2人で全力を尽くして説得したんだ。

 自分の力が及ばなくて残念ながらお前を救うことができなかった」

 途中で、私が本当に佐藤の死体のありかを知らないのか、それとも想像を超えた希代の悪党なのかと悩んでしまったと苦笑する。

 2人の刑事がこう言うほどに、この時の取り調べは熾烈を極めたものだった。

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