上申書・40 孤立無援の悲しさ

  10.刑事が味方?

   孤立無援の悲しさ

 「下着の洗濯をしたいので、次の月曜日の取り調べの開始時刻を30分ほど遅らせて貰いたい」

このように私が頼んだ時に白石が嘲笑した。

 「なんだお前さんには、洗濯をしてくれる者もいないのか。住所不定のフーテンと同じだな。

 私は人間関係を最も大切にして他人を裏切らないような生き方をしてきた、なんて言ってたのに、聞いてあきれるよ。

 俺の捕まえた過去の犯人はどいつもこいつも社会の屑みたいな連中だったが、それでも留置場に入ったとなれば、差し入れ希望が殺到した。

 洗濯物も誰が洗うかで身内同士の取り合いになったこともある。

 こういう極限情況にいると、その人間が社会でどう信頼されていたかがすぐに判る。

 重大事件の容疑者が、自分でパンツを洗うために取り調べ時間を削ってくれと頼むなんて話は、今までに聞いたことがないよ」

 私の家族は、マスコミの眼を逃れて身を隠しているのだから、留置場の私の世話まで手が回らないのだ、ということは十分に認識していながら、それでも白石刑事からこう言われると、急に惨めな気持ちになってくる。

 ほかに身内の者が一人もいないわけじゃないし、友人・知人も大勢いたのだから、確かに言われるとおり、今の私が皆からどう思われているのかを証明しているとも言えるのだ。

 洗濯時間は認められなかったので、私は、第四留置場内で房長と呼ばれている最古参の収容者に事情を話して依頼してみた。

 幸い面倒みのよい親切な男だったので、週1回の洗濯日にはまとめて洗うから遠慮せずに出すようにとこころよく引き受けてくれた。

 これでとりあえず下着の交換についての心配はなくなったけれども、そのために他の収容者に迷惑をかけているのだという負担感を、私はずっと感じていたものだ。

 私が逮捕されてからそろそろ1か月近くも経過しようというのに、外部で私を助けてくれようとする者が一人も出現しないのが、私には不思議だった。

 私が殺人容疑を全面否認しているのだから、こんな私の言い分を信じてくれても当然だと思える何人もの友人・知人の顔が脳裏を横切る。

 そもそも私には、家族のことや友人・知人の動向など、この事件で影響を受けた人々の具体的な情報はほとんど入ってこない。

 何日かに一度は弁護人が来てくれたが、わずか20分間の面会時間では、取り調べの情況と安否を早口で報告するだけが精一杯で、社会の様子を尋ねるだけの余裕がないのだ。

 家族や仲間からの励ましやら支援のないことを、私が心配している気持ちを見透かしたように取調官は、わざとこの心配を増幅させるようにして、私の知人の供述を伝えたりした。

 「今のお前のことを心配する者なんて誰もいやしない。

 それどころか皆は過去のお前との関係がなかったように打ち消そうと必死だよ。

 殺人犯と親しかったとバレたんでは自分も誤解されかねない。

 誰かが味方になってくれるはずだ、などという淡い期待は、ありっこないから潔くあきらめろ」

 私の友人たちに対する不信感を煽って、孤立させようとするのだ。

 ほかの捜査員が友人からの事情聴取で入手したという私への悪口雑言を並べたてると、初めのうちは、そんなことを言うはずがないと確信していたのに、しだいに私の頭は混乱してくる。

 マスコミの虚偽報道によって、私はすっかり真犯人だと予断を与えられているだろうから、誰だって、今なお私が全面否認して闘っているのだという現状が正確に伝えられていないかぎり、私を殺人犯だという前提でしかものを考えられないだろう。

 そこへ警察の誘導が入るなら、私のことなど酷評しかされないのも当然かも知れない。

 知人たちの私に対する評価は、

 「時間にルーズでずぼらな男」

 「一攫千金の夢ばかり見ている大山師」

 「口がうまくて油断のならぬ人物」

 「女たらしで遊び好き、金のためなら人殺しもやりかねぬ」

という具合に、いくらでも悪口が並べたてられた。

 友人たちが私のことを、このように評していたと聞かされることは、私には衝撃だったし大きく心を傷つけられた。

 私は、金や物に対する執着心などは希薄で、むしろ心の豊かさをこそ大切にして生きてきたつもりである。

 愛や友情のためなら、自分の持っているすべてを捨てることも辞さない覚悟があったと断言できる。

 そして私の友人たちもこんな私の気持ちを十分に理解してくれていると思っていた。

 しかし取調官は、これが私の「独りよがりの勝手な思い込みだったのさ」と嘲笑するのだ。

 そしらぬ顔で友達然と交流していた連中に私は裏切られていただけなのかと考えると、自分の間抜けさかげんにあきれるとともに、自信を失って孤独感ばかりが大きくなる。

 5年前の私の行動についても、記憶に基づく私の供述が当局のシナリオに合致していない場合、取調官は、すぐに私の友人の供述を引用して、私の記憶の誤りだと決めつけた。

 「当時のお前が小金にも困って、あちこちから借金をして歩いていたという話は、Hや河西、そしてお前の妹まで供述してるよ」

 「田園調布の家の販売図面をお前がかいたのは、佐藤が死んだ7月下旬よりあとのことだったと、事務所にいたSが証言した」

 こう言っては、私の供述を訂正するように強要する。

 「お前がどうしても自分の主張を訂正しないというのなら、公判で皆に証言させるぞ。

 法廷でお前と友達が互いに『嘘つき』『そんなことは言ってない』と罵り合うか。

 ただでさえお前とは縁切りしたがっている連中だから、お前に罵倒されれば、さぞかし喜ぶことだろうよ。

 こんな細かな、事件の本筋に関係ないようなことまで仲間の証言を否定するんじゃ、お前が社会でますます信用されなくなるのも無理はないな。ますます孤立する一方だ」

 こうして、友人たちの供述との同調を求められれば、藁をもつかむ思いで人間関係の持続を望んでいる私には、とことんまで自己主張を貫くことは難しい。

 取り調べに際しては、私自身は常に冷静に対処をしていたつもりだったのだが、客観的にみれば、逮捕から1か月を迎えようとするこの時点では、もはや私には正しい情況判断のできる能力は失われて、すっかり催眠状態に陥っていたのだろう。

 家族や親しい友人、弁護人にまで不信感を抱くということは、それは相対的に取調官を信頼するということになる。

 自分の孤立無援の悲しさを認識すればするほど、たとえ表面的にでもこの寂しさに同情を示してくれる刑事に気持ちが傾いてゆく。

 今の自分の悲しい気持ちを本当に判ってくれるのは、眼の前にいる刑事たちしかいない、という錯覚に見事にはまってしまった。

 これが当局の狙いだったのだろう。

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