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上申書・41 情で縛る

   取調技術⑩情で縛る

 逮捕状を執行されたその瞬間に、私の所持品は取り上げられてしまったので、すぐにハンカチやチリ紙などの身の回りの物が必要となっが、私がこの買い物を頼むにも刑事しかいないのだということに気づく。

 一日で真っ黒に伸びる私の髭を剃ることも、寝起きで逆立っている髪に櫛を入れることも、十数時間も座ったままで硬くなった腰を伸ばすことも、刑事が許可しない限りは行えない。

 時間になれば3階の留置場から2階の取調室まで食事を運んで貰わなければならないし、風呂や健康診断の時間に合わせて留置場に連れ戻して貰うのも刑事だ。

 タバコを買ってきてくれるのも、そのタバコに火をつけてくれるのも取り調べ刑事だった。

 私にとって、とらわれの生活を維持していく上で、どんなに必要なことであっても、それが実際にできるかどうかは、取調官の判断に任されている。

 私がやってほしいと頼んでも、その希望がかなえられるかどうかは、その日の取調官のムシのいどころ次第なのだ。

 刑事のごきげんを損ねてしまえば、夕方5時に配られたはずの食事も冷たくなってから食べることになるどころか、深夜12時頃に留置場に戻されてから食べたこともある。

 また、早朝から深夜まで一滴の水分も与えられずに、パンだけをかじったり、夕食の飯を無理して飲み込まざるをえないこともあった。

 ヘビースモーカーだった私にとっては、眼の前に置いてあるタバコを、火が貰えないために吸えないということも苦痛だった。

 結局私は、なるべく取調官の機嫌を損ねないように計算しながら、彼らに譲れるところは妥協して媚を売り、その代わりに最小限の世話をやいてもらうより方法はない。

 刑事の機嫌のいい時などは、取り調べの途中でコーヒーやお茶をいれてくれることもあったし、昼食時には廊下にある自動販売機から牛乳を買ってきてくれさえした。

 便所への往復も手錠をはずしたままで行けるし、トイレの鏡の前で軽便剃刀を使って髭を剃ることさえ可能なのだ。 

 留置場から連れだした後の被疑者をどのように取り扱うかについては、取調官に全面的に任されているだけに、私がその日の取り調べに対してどのような態度をとったかによって、あとの処遇のピンとキリの落差は大きくなる。

 私が少しでも良い扱いを受けようと思うなら、取り調べに協力して刑事の得点稼ぎを助け、ある程度までは当局の描いている犯行のシナリオを認めざるを得ない。

 通常の事件なら、勾留期限は最長23日間なのだから、この期間は洗顔もせず、着替えもがまんして、風呂などにも入らずに、覚悟さえ決まれば真実を貫き通すことは不可能ではないのだ。

 しかし、私の事件では、初めから別件逮捕だったし、その後も長期間の留置場生活を余儀なくされることが判っていたので、限られた日数だけ耐えればなんとかなるというものではない。

 取調官との全面的な対立関係に陥らないように計算しながら、供述を小出しにしながら、細く長く人間関係を持続させるようにと心がけなければならなかった。

 佐藤殺害の嫌疑だけは、何としてでも真実を貫きとおす必要があったから、私は当局の描くシナリオのうちでは、せめて財産処分に関わる私の行動だけでも認める素振りをして、取調官に媚びるしかない。

 私の留置場生活で身の回りの世話をやいてくれたのは、加藤部長刑事である。

 朝、留置場から連れだして深夜に戻すことから始まって、その間取調室に座ったままの私に対して、タバコをすうか、喉は渇いていないか、便所へ行くか、と一日中気をつかってくれる。

 取り調べが緊迫した最中でも、時間になれば食事を持ってきて

「さぁ、休憩にしようや」

と声をかけ、温かいうちに食べさせるように気を配ってくれた。

 私が殺人罪で起訴されるまでの90日間のうち、加藤刑事が九州に出張して不在となった数日間があったが、それまでの加藤刑事の配慮が行き届いていただけに、この間の私の勾留生活は惨めなものだった。

 長髪は逆立ったままだし、髭も爪も伸びっぱなし、食事になってもお茶は出ないし、便所に行きたいとも頼みずらい。

 留置場までの往復も、乱暴に締めた手錠は手首に食い込むし、せきたてられて歩くときの階段の昇り降りは、手錠腰縄の私には、転んでも手を突くこともできないと思い、恐怖を感じた。

 加藤刑事が私に心をつかってくれる態度は、単なる取調技術の範囲内とも思えなかったので、私の方も自然と彼には心を開き、甘えるようになっていった。

 頼みごとがある時などは、他の刑事が席をはずして加藤刑事と一対一になった時を見計らって、こっそりと話したりする。

 加藤刑事の方も

「重大な供述をする時は、俺を無視するなよ。きっと俺が同席しているところで言えよ」

と率直に言った。

 逮捕以来孤立無援で厳しい取り調べに対抗してきた私にとっては、加藤刑事だけがわずかに心を開くことのできる相手なのだ。

 食事時の監視中やトイレまでの往復などで、加藤刑事と取り調べと無関係のプライベートな雑談を交わしながら、私は、人間らしい交流でどんなに心が慰められたか知れない。

 その代わり、加藤刑事からの頼みごとも断りにくくなる。

 裁判になってから、取調室で私が書いた自筆の略図や供述書が証拠として提出されているが、その大半は加藤刑事に指示されて彼と2人だけで書いたものである。

 彼は、ときには、

「この書面は他の刑事には見せないから、考えているとおりのことを書け。お前がいいと言うまでは、俺一人でしまっておくから」

と言って、私に上申書を書かせたこともあった。

 加藤刑事の私に対する親切な行為も、代用監獄における取り調べシステムとして巧妙に計算されたものだとは、なかば知ってはいたものの、私は周りの厳しさからの救いを求めるように、そのシステムに乗せられていった。

 他の刑事たちに対して頑強に否認し、互いに激しく罵り合った直後でも、加藤刑事が熱い茶をいれて黙って私に差し出してくれたりすれば、私の興奮状態も静まって反抗心も弱くなってゆく。

 取調官に対する個人的な憎しみなど跡かたもなく消えてしまい、あんな酷いことを言っても、これも仕事なんだから許してやろう、と妙に話のわかる態度を示してしまった。

 もっとも加藤刑事の私に対する面倒見は徹底していて、彼が単に取調技術だけで私の世話をやいていたとは、今に至っても到底考えられない。

 取り調べのあいまに、他の刑事にはこっそりと郷里の山形から送ってきたと言っては、柿やら梨やらを持ってきて皮をむいてくれた。

 また秋の彼岸の日には、「女房の手作りのおはぎだ」と言って6つのおはぎを差し入れてくれる。

 私はありがたくて涙がこぼれそうになりながら食べたことを覚えている。

 私との雑談で、1010日が私の結婚記念日だと話したのを覚えていて、この日の昼に突然に大盛りのラーメンが取調室に届いたのも加藤刑事が配慮したものだった。

 殺人罪の勾留期限が迫っていて、私と取調官との対立は最も厳しい時期であったが、私はこのラーメンには本当に涙がこぼれ落ちた。

 私にとっては、これが逮捕以来3か月ぶりで食べるなつかしい食事だった。

 他人の情からすべて見はなされた獄中生活3か月の私にとっては、結婚記念日のお祝いだというこの一杯のラーメンの価値は言葉に表せないほど嬉しいものだったのである。

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