上申書・42 演技する

    取調技術⑪演技する

 加藤刑事に対して、私が心を開き、いろいろと語るように仕向けたのは、結局は4人の取調官の連係プレイが功を奏したということなのだろう。

 4人の刑事は、明確に取り調べ上の役割を分担していて、私を脅しつけ力まかせの強圧的な取り調べをする者、その逆に私に同情し慰める者、そして論理的な説得をする者に分かれ、それぞれの役目でみごとな演技をしていた。

 大声で罵倒し、聞くに耐えない暴言を吐いたり、ときには私の身体に手をかけたりして威嚇し、私を萎縮させてしまう役割は、安田・明神の両刑事である。

 彼らは私から嫌われ、二度と顔も見たくないと私に思わせれば成功なのだから、毎朝の取り調べの開始時には、私の顔をみたとたんに皮肉を言って私に喧嘩を吹き掛けてくる。

 彼らの発する悪罵のために、私は何度も絶望的な思いにさせられたものだ。

 そしてタイミングを計って、今度は慰め役を受け持つ加藤刑事が登場して、ズタズタに裂けた私の心を修復しようとする。

 「いくら嫌疑が濃い容疑者だからって、あそこまで言いたい放題に言うことはないじゃないかなぁ。

 だけどあの2人も何もお前が本当に憎くて罵るわけじゃない。立場もあるんだから理解してやれよな。

 でもお互いにいつまでも喧嘩ばかりして嫌な思いをしてるのもつらいから、できるだけ早く知っていることは皆話さなけりゃな」

 日頃から私と親しくしている気安さで優しく慰めつつ説得するのだ。

 ついさっきまで、もうだめだというまでも痛めつけられて精神的にも極度の緊張を強いられていただけに、加藤刑事からちょっとした理解を示す優しい言葉をかけられただけで、私はすぐに感激してしまう。

 威圧からの精神的緊張が少しずつ解けはじめて、やっと私の心がなごみ、少しずつ反抗心を薄れさせていく頃になると、待ち構えていたように白石主任刑事が現れるのが常だった。

 白石主任は、理詰めで私から供述を引き出す役目である。

 常に冷静な態度を崩さず、論理的な説得によって私から自白調書を取ろうとする。

 私との議論が高まっていても、これが感情的な論争になりそうになると、安田刑事にあとを任せて退席してしまう。

 そして、安田・明神両刑事の罵倒型の取り調べの時も、また加藤刑事の懐柔的説得の時にも、自分はそれに巻き込まれないようにしているようにみえた。

 黙って取調室の片隅に控えているか、わざと退席してしまうことも多かった。

 彼ら4人の取調官が、互いに自分の役割を心得て演技し、その連係プレイによって私の心を翻弄しながら自在に操ろうとしていることは、薄々私にも判っていた。

 だから、はじめのうちには、かれらの芝居気を冷やかに眺めていたのだったが、毎日繰り返される巧妙な取り調べテクニックの渦に、いつのまにか私も巻き込まれてしまい、最後には当局の狙いどおりの心理状態に追い込まれている。

 なにしろ、朝9時すぎから深夜12時まで、毎日14時間の取り調べが90日間フルに続いたのだ。

 千数百時間も同じ取調官と顔を合わせていれば、私の心の変化など、彼らには手にとるように見えてしまったことだろう。

 私の方は、さまざまな暗示をかけられているうちに、5年前の記憶など、もともと定かではなかったものだから、いよいよ混乱してきて、虚実が入り交じってしまったのである。

     次のページへ進む   上申書の目次へ戻る   ホームページのTOPへ戻る