上申書・43 嘘を供述しろ

 11.絶望状況(再逮捕第2週)

   嘘を供述しろ

 「今まで725日には福岡で佐藤さんと会っていたと供述してきましたが、、これはすべて作り話です。今後は二度と福岡の話はいたしません」

 このような内容の 供述調書を白石主任が作成して、これに署名しろと強制してきた。

 この瞬間に私は、警察はいよいよ真実を究明することを放棄したな、何が何でも当局のシナリオどおりの事件をでっち上げる気だな、ということを理解した。

 こう言われたときの私は、日航機事故後の連日に渡る厳しい調べに精も根も尽き果てていたし、何十回となく真実を語っても、それをウソだと決め付けて本気で裏付け調査をしようとしない当局のやり方に絶望していたこともあって、白石のこの署名強制をとうとう受け入れてしまったのである。

 私の言うことがそれほどに信じられないのなら勝手にしやがれ、と半ば自暴自棄の気分で、白石の作成した調書に署名した。

 これまでの3週間近くの間に、私はどれだけ多く、この福岡で佐藤とあって、市内や大宰府へドライブしたという、はっきりとした自分の記憶どおりの供述をして、そしてそのたびに取調官からこの話をウソだと決め付けられてきたことだろう。

 当局のシナリオは、23日の夜に田園調布で私と佐藤が喧嘩をして、殺害事件に発展したに違いないというものだから、この話と矛盾する私の福岡の話などは頭からはねつける。

 そしてこのシナリオの線に沿った供述をしろ、と責められ続けてきた。

 とっくに取調官の自白強制テクニックに屈服させられていた私は、すでに彼らの想定シナリオのうち、23日は確かに喧嘩しました、そしてその時に300万円を盗りました、などという大事な部分を認めさせられてすらいた。

 しかし肝心の、殺害後の死体をどのように処分したのか、という点に関しては、取調官の誘導が何もないので、私にも答えることが出来ない。

 東京湾に沈めた、などという苦し紛れの言い訳をして、死体が発見されなくても済むような話を作ったこともあったが、一見して分かる作り話では刑事は納得しなかった。

 5年前の7月下旬の私の行動を時系列順に並べた、詳細な表を作成していた取調官は、全く空白になった一日の行動を思い出せ、と何度も言った。

 この空白の25日は、私にとっては空白どころか福岡で佐藤とドライブした記憶が鮮明なのだが、これを何度説明しても取調官は信じようとしないので、彼らの一覧表の25日だけがいつまでも埋まらないだけなのだ。

 「25日の自分の本当の行動を思い出せ」

 「この日は福岡で佐藤と会っていた」

 「この野郎、何度本当のことを言え、といったら分かるんだ」

 ほぼ3週間にわたる毎日の調はこの繰り返しだった。 最後には取調官から私が嘘つきと罵られ、殺人鬼!うじ虫やろう!と怒鳴られて1日の調べが平行線のままで終了するのが常だ。

 それなのにこの日は、私は福岡の話を二度としません、と約束させられたのである。 

 これは私にとっては、二度と新事実の話をしてはいけないと命じられたのと同じだった。

 そして、福岡における私の行動の裏づけ調査などは、これ以上、一切する気がないことを当局として私に宣告することでもあった。

 後はただ当局の描く犯行シナリオを私に認めさせて、佐藤の死体だと考えても矛盾しないような人骨の一部でもどこかから発見されたりすれば、この事件は一件落着としようという魂胆に違いない。

 私が佐藤をそこへ埋めた、という話が作られて、想定どおりの一貫した犯行ストーリーが予定通りに完成する。福岡の話を封ずることは、その先ず一歩なのだ。

 この日以降の私は、25日の行動を一切記憶していない、で通すしかなくなったから、取調官の持つ私の行動一覧表には空白の一日が相変わらず残っていた。

 当局のシナリオでは、この日には私が死体を処分したことになっているのだから、どこかから佐藤らしき死体が発見でもされぬ限り、この日の私の行動シナリオは作りきれない。

 捜査当局が過去の発見死体の再点検やら、洗い直しを始めただろうことは十分に想像できる。

 刑事は私の逮捕される数ヶ月前に有罪判決のあった無尽蔵事件を例に引いて、こうなれば死体など発見されなくとも事件は立件するぞ、状況証拠だけで十分に有罪判決は可能なのだ、と盛んに言う。

 もはや私の真実の主張などは全く聞く気がなくなっている取調官の態度を見ると、私の絶望感はますます大きくなっていった。

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