上申書・46 自殺の覚悟

    自殺の覚悟

 死ぬしかないな、と考え始めたのも、心身ともに疲労の極に達していて思考が散漫になっていたためだったろう。

 逮捕されてから40日もたった頃の私は、取調官の言うとおりにどんな内容の調書であっても、どんどん署名でも何でもしてしまいたいという誘惑にかられていた。

 そして、この密室から解放されたらどんなにいいだろうかと、そればかり考えていた。

 刑事の圧力にこれ以上抵抗し続けることは無理だと自覚していたのだ。

 しかしその一方で、私が万が一にも殺人を認めさせられたなら、苦しさに負けて嘘の自白をしたことに恥じて、自殺するしかないなとも思い込んだのだった。

 警察は、私の真実の主張など聞く気はなく、どうしても当局の描いた犯行シナリオを私に認めさせる気だし、場合によっては薬を使って私の洗脳まで企んでいるらしい。

 これに対して私には、警察に対抗する有効な手段は何もないのだから、時間が経つほど私が押し込まれてますます苦しくなることは判っている。

 せめて、嘘の自白をすることの責任をとると同時に、捜査当局に対する抗議の意思表示として、自ら命を絶つことしか残された方法は思いつかなかった。

 こう結論づけた後の私は、毎朝の取り調べが開始されるまでの留置場での自由時間を使って、この監獄の中で、いかにしたら自殺することが可能かを夢中になって考え始めた。

 一つは房内のトイレで縊死することである。取調室の中で展開される刑事や検事との激しい闘いに疲れ果てて、

「殺したとでも、埋めたとでも、好きな調書を作ってくれ」

と叫びそうになったことは数多くある。

 そのたびに私は、便所の中に吊り下がった自分の姿を思い浮かべて、

「本当に自分は極限状態にあるのか、この一線を超えて自暴自棄になったら死ぬしかないんだぞ、今の、この苦しさは生命を引換えにするほどのことなのか」

と自問自答して我に返る。

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