上申書・56 あと2つの女性変死体が出た

    あと2つの女性変死体が出た

 私がほっと息ついで、少しだけ気持ちに余裕を持ったのもつかの間、私は白石主任の次の言葉で、この日3度目の衝撃を受けることになってしまった。

 「お前さんが殺ったんじゃないとすれば、一体誰が佐藤を殺したことになるんだ。

 佐藤と一緒に羽田から飛び立って行ったという二人の台湾の女が犯人だということか?」

 私は逮捕直後から、佐藤と会った最後の光景は、二人の台湾娘の愛人と共に羽田空港から旅立つ姿を見送ったときだと供述していたから、白石はこのことを言っているのだ。

 実際に私がこの光景を見たのはずっと後の昭和56年になってからのことであるし、5年前の7月24日夕方に、佐藤が一人で福岡へ向かった記憶は鮮明だったが、今更事件の本質に無関係なことで白石の誤解を解く気になれず、私は生返事で、

「多分その可能性はあるのじゃないか」と答えてしまった。

 すると白石はすべて合点したように言い始めた。

 「お前さんが指示した宝満山麓の地図の3つの丸印の中から、それぞれ一体ずつ合計三体もの変死体が発見されていることは、当人のお前さんが良く承知しているんだろ?

 佐藤以外の二体は中国服を着た若い女だったから、お前さんの話との辻褄も合っている。

 宝満山は死体の捨て場じゃないんだし、今までにこの三つ以外に死体が転がっていたことなんか無いんだ。

 当然この三つのホトケさんは相互に関連が合って一連の事件だと、地元警察でもにらんでいたそうだ。

 佐藤を殺ったのが二人の女のほうだとすると、この台湾女をやったのがお前さんの仕業なのか?」

 三つの変死体のあった場所を指示して真犯人としての秘密を暴露した以上、この3人連続猟奇殺人事件からは無関係だとは言わせない。仮に私がしゃべった、ホテルで佐藤が死んでいたという話が真実だとしても、それならそれで、次は2人の台湾女の殺害についての追及は免れない、というのだ。

 白石主任からこのように聞かされた私は、変死体が佐藤本人だったという話や、この死体の異常な損壊状況を知ったとき以上に大きな衝撃を受けて、言葉を失った。

 陰茎まで切り取られているという異常な佐藤殺害事件の犯人にされまいと必死で言い逃れ、とりあえずの時間稼ぎが出来たと安心したその先には、3人連続猟奇殺人事件という、もっと大きな罠が待ち構えていたのである。

 「お前さん、えらいネタを出してくれたな。こりゃぁ、明日の新聞はまた大騒ぎになる。テレビも週刊誌も喜ぶことだろうよ」

 話をしながら自分自身もだんだんと興奮してきていた白石主任は、愉快でたまらぬように言う。

 逮捕以来のマスコミ動向に過敏になっている私の気持ちを逆なでし、ただでさえ絶望的になっている私の精神状態をさらに追い込むのだ。

 この日の取調べでは、全く予期せぬ事態の進展に衝撃を受けて、もはやこの後どう対処すべきなのか、私には判断つかなくなった。

 午前中だけで思考は混乱し、心はすっかり打ちのめされてしまって、昼食のパンも全く喉を通らない。

 最も気になったのはマスコミ報道だった。

 三人連続猟奇殺人事件の犯人だと名指しされて、面白おかしく報じるテレビや新聞に晒されている自分の姿が目に浮かんでどうにもならない。

 今度は、セックスがらみの興味本位の報道で、私の初めの逮捕のとき以上の騒ぎになるに違いない。

 テレビカメラを突きつけられて脅えている妻や子供たちの姿まで想像できる。

 その前に何とか家族だけでも逃がしてやることは出来ないだろうか。私はこのことばかり考えていた。

 もはや、どんな弁解も言い逃れも無意味だとしか思えない。

 午後の取調べが始まって直ぐに、弁護士面会の知らせがあった。

 私は、願いが天に通じたのではないかと喜んで、あせって面会室に向かう。そして松原弁護士の顔を見たとたんに、今までの緊張が一度に緩んで、声を上げて泣き出してしまった。

 しかし、面会時間はわずかしかないのだから、こんなところで感情を静めている時間はないのだと自分に言い聞かせる。

 「今日、直ぐに家族を東京から離れたどこかへ逃がしてやって欲しい。

 折山などという珍しい名前では、いつまでもマスコミに追われるから、直ぐに離婚の手続きをして、子供たちには妻の姓を名乗らせてやって欲しい」と頼み込んだ。

 これだけを弁護士に言うと、後は再び涙声になってしまったが、今朝からの衝撃的な取調べの様子を話した。

 しかし、精神的に混乱しているものだから、この時に何をどうしゃべったのか、ぜんぜん覚えていないのだ。

 残った10分程度の面会時間内ですべてを話そうと思うものだから、かえってまとまりのつかぬ話になったことだろう。

 私は松原弁護士が、私の言葉を盛んにメモしているのを見て、心の中で「時間がもったいないからメモなんかとるな。それよりも一言でも多く、話を聴いてくれ」と叫んでいたことを鮮明に覚えている。

 弁護士は、今朝の新聞を読んで心配になってきたのだと言った。

 新聞には、私が自白した場所で5年前に佐藤の死体が発見されていた、と報じられているという。

 それならば、もっと早い時間に面会にやって来てくれて新聞の情報を私に伝えていてくれたなら、心の準備も出来ようし、私もこれほど無理な作り話をする必要がなかったし、連続殺人犯の汚名も着ることはなかったろうと悔やんだが、後の祭りだった。

 でもすでに私が佐藤の死体の存在を自白したと報じられているという事実は、これでは私が真犯人だという印象を一般に与えてしまうではないかと、私を絶望的にさせるのに十分のことだった。

 今になって振り返ってみれば、この日には2度目の別件の起訴があってから、次の逮捕状は執行されていないという、丁度、境の期日に当たっていたのだ。従って、弁護士の面会にも検事の時間指定制限などなかったはず。

 予め私がこのことを知っていれば、ゆっくりと順序だてて話をすることが出来る。

 私もこれほど取り乱すことはなかったろう。

 しかし、いつも通りの20分面会だと思う私の話は、あれもこれもと詰め込みすぎて、支離滅裂の言葉になってしまった。

 多分、松原弁護士は、私の話の意味を正確に把握することも出来なかったに違いない。

 この事件捜査を通じて、今日が最大の窮地に陥っているというのに、これからの私がどのように取り調べに対処して行ったらよいのかについて、弁護士から的確な助言を受けることも出来なかった。

 面会を終えてから再び刑事たちの取調べが始まったが、午前中からの私の茫然自失とも言うべき状況は続いていて、何を尋ねられても反応しなくなっている。

 私の指示した3箇所からそれぞれ別個の3人もの変死体が出てきたということが、およそ想像の及ばぬ出来事なので、もはや事件について考えをめぐらすことは私の能力の埒外なのだ。

 刑事が脅そうが、なだめすかそうが、私は何の弁解もせずに黙ったまま、すっかり意気消沈していた。

 さすがの刑事にも、取り付く島のないようで、この後の調べは全く進展しなかった。

 調べが進まないと見るや、刑事たちは盛んに取調室の出入りを繰り返していたが、その様子から窺うと、私が語ったホテルからの死体運び出しの供述や、他の2女性の変死体との関わりについて、どのように評価すべきかの検討が交わされていたのだろう。

 深夜になってからやっと結論を出し、ホテルの話は単なる作り話と決め、従って他の変死体と私との関わりもなかったものと捜査方針を決定した。

 この線に沿って白石主任が私を説得し始めたのは、この日の最後の段階だった。

 「自分たちは佐藤一人だけの行方を解明すれば済むんだから、何も宝満山で迷宮入りになっている他の死体まで片付ける義理は無い。

 お前さんが、佐藤を殺したのは多分、同行していた2人の台湾娘だろうと言うものだから、それならその女の方を殺したのがお前なのだろう、という話になってしまうのだ。

 どうだろう、話を最初に戻して、自分で責任の負える範囲の話でとめて置いた方が良くは無いか」

 そして、ホテルに行ったら佐藤が死んでいたという、私の今朝の供述を取り消して、太宰府裏山で佐藤と喧嘩になってつい殺してしまったという、当局の描くシナリオを認めさえすれば、今後自分たちは二度と、他の2女性の変死体について追求はしない、と言う。

 しかも連続殺人などという、残りの2つの死体に関する情報はマスコミに一切流さないことを約束するから、私の家族が新たな騒ぎに巻き込まれずとも済む。

 今の私にとっては、それが一番良い方法だと説得した。

 「お前さんの気持ちを一番理解しているのは俺たちなんだ。

 悪いようにはしないから、すべて任せて置け。

 お前さんが気にしているらしいから、陰茎を切り取ったことなど、何もしゃべらなくても良い。

 こんなことは全体の流れの中じゃ大して重要じゃないんだから、調書に書かなくても構やしないんだ。」

 そう言いながら白石主任は、急いで明神部長に口述筆記させて、3枚ほどの簡単な自白調書を作成した。

 河原で喧嘩した末に、石で殴って殺害したという、当局が想定している筋書きをそのまま書いたものである。

 「ほら!こんなに簡単にまとまったよ。

 お前さんの悪口など何も書いてない。これだけ認めれば、あとは何もしゃべる必要もない。

 家族がマスコミに追い回される心配もなくなるし、この事件はこれで一件落着、他に問題は何もない。

 今日は疲れただろう。さぁ、これに署名して、今夜の調べはこれで終わりにしよう。ゆっくり休め。」

 早朝からの調べで散々に精神的なショックを受け続けてきた私は、すでに疲労も限界に達していたし、正常な判断能力も失われていた。

 白石主任の言葉は、心から私のためを思って助言してくれているように思えてくる。

 とにかく明朝の新聞に、3人連続猟奇殺人事件というおどろおどろしい見出しが並ぶのを避けるには、白石の助言に従うことが最善の方法だとしか考えられない。

 白石に促されて、まるで夢遊病者でもあるかのように、フラフラと私はこの自白調書に署名してしまったのである。

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