上申書・57 土壇場での対決

 15.見納め(8月30日~9月1日)

   土壇場での対決

 山中の小川で佐藤を石で殴り殺した、という調書に署名すると直ぐにこの夜の取調べは終わり、私は留置場へ帰された。

 いつものように深夜の12時近くのことである。

 横になって目を閉じて、錯乱していた気持ちを落ち着かせながら今朝からの出来事を思い返しているうちに、私は自白調書に署名してしまったことの重大性に気付いた。

 私の自白さえあればこの事件の有罪は間違いないから慎重にするようにと、あれほど弁護士から助言されていたではないか。

 いくら連続殺人の追及から逃げるためだったとはいえ、これで少なくとも佐藤殺しの容疑は固まってしまったではないか。

 もはや取り返しはつかないのだ、と考えると自分の余りの不甲斐なさが情けなくて泣けてくる。

 そして考えた事は、捜査当局に抗議するために、命を絶つ時がいよいよやって来たな、ということだった。

 やってもいない殺人を認めるような自白調書に署名して、無実の罪を背負わされる事が決定的になったときには、それが取調官のトリックに騙されたものであれ、麻酔をかけられた結果であれ、拷問に屈したものであれ、理由を問わず自殺して抗議の意思表示をする、と決めていたのだ。

 こんなに意思の弱い人間であったなら、生きている価値がない、せめて誰にも迷惑をかけぬように、自分で始末をつけねばならない。

 次回の面会時に弁護士に対して、不本意な調書に署名した事情を説明して真実を訴え、家族への最後のメッセージを託してから決行しようと決心した。

 昨夜も眠れなかったのだから心身ともに疲れ果てているはずなのに、死ぬと決めたとたんに、過去のいろいろな思い出が去来して、とても眠るどころではない。この夜も一晩中泣き続けていた。

 翌30日の朝、いつもの時間に調べ室へ連れ出される。

 今朝の刑事たちは事件が全面解決したといって、さぞかし浮かれていることだろうと想像していたのに、取調室の雰囲気はどうも沈んでいるのが不思議だった。

 最初に白石主任が、昨夜遅くに作成した調書を目の前に広げて、私に見せながら言うではないか。

 「念のために確認するんだが、これが真実だと受け取って良いんだな?」

 こんなことを訪ねられるのは私には全く意外だったが、あわてて「いや、これは全くの作り話です」と否定した。

 「お前がいい加減なことばかり言うものだから、全員総入れ替えだよ」とふてくされている。

 どうやら今朝の捜査会議では、今の4名の取調べ担当刑事は批判されたらしい。

 今までの私の供述が転々としてきていたし、昨日一日だけでも大きく3度も変わっているのは、取調べ能力に問題があるとみなされたのではなかろうか。

 いずれにしろ、当局としては、昨夜の調書をもって私が犯行を前面自供したもの、とは取っていないことは確かである。

 私が悲観的になっていたほどには、捜査本部の者はあの調書の価値に重きを置いていなかったのだ。

 私は、まだ全面的な屈服をしたのではないことを理解して、かすかな希望を持った。

 それならまだ私の闘いは終わったわけではないのだから、抗議の自殺なんて早すぎる、と気を取り直す。

 こうなれば白紙に立ち返って、先ず私が署名した供述調書を全力を上げて否定するしかない。

 「昨夜は感情的にメロメロになっていて、、2人の女性殺人まで背負わされるのが怖くて、つい署名に応じただけだ。

 本当は佐藤殺害も、2人の台湾女性についても、私は一切関与していない」

と改めてはっきりと、調書の内容を否定した。

 そして、ホテルで死んでいた佐藤を運び出して捨てた、という昨日の話こそが真相なのだ、と強調する。

 今の私にとっては、なんとしても5年前にホテルで怪我をしたらしい女性を探し出して話を聴き、佐藤の福岡での行動を明らかにすることこそが、危機を脱する唯一の方法だと思えたからである。

 白石主任は私の断固とした否認の話を、途中でさえぎることもなく聞いていたが、

「よし、分かった。仕方ない、ありのままを報告するしかないな」と諦めたように立ち上がり、保田部長を伴って、取調室を出て行った。

 残った明神部長は、予め用意していた質問事項を記した紙片を取り出して、ホテルから死体を運び出すことが不可能な理由を次々に指摘して、私の話をもう一度撤回させようとする。

 特に力説していたのは、死後硬直の程度は素人の想像を超えて強いものであって、、これを段ボール箱へ詰められるわけが無いというのだ。

 これに対して私は昨日のように必死で辻褄あわせをして譲らない。

 それならどうやって死体を縛ったのかやってみろ、という明神部長に対して、膝の曲げ方や両手を交差させて体を縮めていくやり方を、細かく説明したりもした。

 そして明神、加藤の両刑事に対して、騙されたと思ってこのホテルを探し出して欲しい、そうすればきっと真相がはっきりするんだから、と何度も頼んでみた。

 しかしいかに熱心に説明したとしても、死体を段ボール箱に詰めて、白昼堂々と都市型ホテルから運び出すという話では、あまりに奇抜すぎる。

 最後には明神部長も、こんな筋書きに固執し続ける私に呆れ顔になってしまった。

 午前中は白石主任が居なかったので、このようにして正規の取調べというよりは、明神、加藤両刑事と私との雑談風の対話があっただけで終了した。

 昼食後の取調べは佐々木検事の担当となる。

 検事は私と机を挟んで着席するや否や、

 「私は君の与太話などに付き合う気はないからね。

 山の小川を現場とする佐藤殺害を前提にして話を聞かせてもらう」

と強く宣言して、私のホテルの話などは頭から聞こうとしない。

 太宰府の裏山での犯行は、今までの状況証拠だけで十分に起訴できるし、有罪判決の獲得できる、と検事は強調し、しゃべりたくないなら、これ以上自白してもらう必要はない、とさえ言う。

 こうなれば私も刑事の調べに対するのと同様に、

「私は佐藤の殺害などには関与していない。大体あの死体は、猟奇犯罪によるものであって、私の倫理観から言っても、絶対に私の犯行ではあり得ない。猟奇事件の犯人にだけはされたくない」

と言ったきりで、あとは沈黙するしかない。

 検事の調べに臨む強気の態度から見ても、私が太宰府のかわらで砂糖を殺害したということは、もはや動かせない事実だと考えていることは明らかだった。

 そうだとすればやはり、昨夜、署名した自白調書が最終的には決定的な証拠とされてしまう。

 私は改めて深く後悔すると共に、もう二度と殺害容疑を認めることはするまいと決心して、佐々木検事がヒステリックになって自分のシナリオを押し付けるのに対して、沈黙を押し通したのである。

 この日(30日)の夜になってから、私に対して3度目の逮捕状が執行された。

 いよいよ本件の殺人容疑による逮捕だろうと覚悟していたのに、またもや別件逮捕である。

 このことから、取調べに臨む強気にも拘らず、捜査当局はまだ私の殺人容疑を固めるだけの証拠を集めきっているわけではない、と知る。

 即ち、私の自白調書を決定的な証拠だとは見なしていないことを表しているので、私は再びかすかな希望を抱いてみた。

 状況は不透明で、まだ危機を脱したというわけではなかったが、私は、一旦決心していた抗議の自殺をしばらく先に延ばし、当局の出方をもう少し見てみようという気になっていた。

 決意は固かったはずなのに、何とか理由をこじつけて実行を先延ばしにしたというのは、この土壇場にいたってもなお、死ぬのが怖かったのだろうと、今振り返って思う。

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