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上申書・58 この世で最後

    この世で最後

 翌1日の朝食後のひと時、いつものように留置場内の囚人たちが雑談を交わしているときに、突然に第4室に収容されていた熊谷常務と呼ばれている人が、大声で私に話しかけてきた。

 「折さん、全面自供したんだってね?

 さらに女性2名を殺した連続殺人だ、なんて新聞に大きく出ていたぜ。一体、どうなっているの?」

 白石主任は私との約束を破って、2体の女性変死体の情報までマスコミに提供したらしい。

 テレビや写真週刊誌が連続猟奇殺人事件だとばかりに騒ぎはじめた様子が目に浮かぶようで、私には熊谷常務の言葉はショックだった。

 どうやら今になっても当局は、佐藤だけでなく、二人の台湾女性の殺害まで私に押し付ける気になっているらしい。

 しかも、これらの事件を私が自供したように発表するとは、いくら警察が嘘つきだといってもひどすぎる。

 やはり事態がここまで進展してしまった以上は、決心していた通りに自分の命をかけて無実を訴え、警察の理不尽さを暴露して、始末をつける以外にはなかろうと。改めて思い始めた。

 熊谷常務に対して、その新聞記事は虚報であること、私は犯行自白などしていないのに、当局が事件でっち上げのために恣意的にウソの情報を流しているんだということを、私は大声で説明した。

 互いに離れた房にいる相手に対して、姿も見えぬままで金網越しに話すのだから、この会話は看守はおろか、第4留置場に居る全収容者に筒抜けである。

 皆は日頃の私に対する取調べの厳しさに注目していたし、私が初めから冤罪を主張していることを知って、私の事件の行方に興味を持っているものだから、私と熊谷常務のとの会話に耳を澄ませていた。

 5室に居るリーダー格の副島房長をはじめ、何人かの囚人が次々と私の説明に対して質問するのに答える形で、私の事件の概略と現在の進展具合、それに対する私の弁解の内容を出来るだけ詳しく説明する。

 太宰府の宝満山麓で5年前に変死体が発見されていたこと、この死体は佐藤ではないと聞いていたし、とっくにこの事件は解決済みだと思っていたので、私のアリバイに利用するつもりでこの死体発見現場を図示したこと、私がこの場所を知っていたのはたまたま西日本新聞のこの事件記事を読んでいた為である事、私が地図に記した3箇所の丸印からそれぞれ一つずつ合計三つの変死体が発見されていたという、まるで三流小説以上の偶然が起きていて、私がこれら3人の殺害犯だと決め付けられていること、いずれも私には覚えのない死体なのだが、警察はどうしても私を連続殺人犯にでっち上げるつもりで居るらしいこと、などである。

 私は自分が自殺した後に、その行動が当局に対する抗議行為であることを一人でも多くの人に証言してもらうには、ちょうど良い機会だと考えた。

 この留置場に居る10数名の囚人たちは、私が必死で無実を訴えていたことを証言してくれるに違いないと思うから、みなに分かりやすいように、丁寧に取り調べの経過を説明する。

 私を騙して自白調書に署名させ、マスコミに歪曲した情報を流している当局の姿勢が分かった以上は、どうしてもこれに抗議して、恨みを晴らさねばならないのだ。

 運よくこの日には、松原弁護士が離婚届の用紙を持って面会に来てくれた。

 そして私の家族は私の指示通りに、マスコミからの攻撃を避けるために、栃木県の山奥に逃がしてくれた、と伝えてくれた。

 私は離婚の書類に署名しながら、これでこの事件についての私の弁解も妻や子供に伝えられないままに縁が切れてしまうのかと思うと、無性に悲しかった。

 また、明日から新学期が始まるというこの日に、夜逃げするように姿を隠さざるを得なかった2人の息子のことを考えれば、あまりにも哀れで胸が張り裂けそうになる。

 それでも、これから獄死しようとしている自分にとっては、家族に及ぶ迷惑を少しでも軽く出来るだろうと、少しはほっとするのだ。

 弁護士との面会を終えて取調室へ戻った私は、すっかりしょげてしまってメソメソ泣いてばかりいるので、とても取り調べにはならなくなってしまった。

 私のあまりの大きな落胆振りに、刑事たちも事件の追及はすっかり諦めてしまって、かえって私を励ましてくれる始末。

 彼らは、私が自殺を胸に秘めているせいで、余計に感傷的になっていることなどは夢にも知らず、ただ、離婚のショックがこんなに大きいのだとばかり考えている。

 加藤部長が、もしも息子に伝言があるのなら届けてやるぞ、と気を効かせてメモ用紙を渡してくれた。

 私はこれで直接に子供たちに語れると思ったが、事件に関わることを書くことを禁じられたので、自分の無実を訴えるわけにはいかない。

 それでも私が獄死した後で読み返してみれば、なるほどこういう意味だったのかと分かるように、抽象的な言葉ではあったが、遺書を残すつもりで手紙を書いた。

 刑事に自殺の決意を悟られぬように、離婚の弁解を綴った様に装ってはいたが、私はこのメモがこの世で最後の私の直筆のメッセージになるだろうと思いながら、家族への永遠の別れの言葉のつもりで書く。

 家族と過ごした楽しかった記憶ばかり思い出されて、1行記すたびに新しく涙が溢れる。

 「お前のそんな悲しそうな顔を見て居たんでは、とても怒鳴りつける気になれない。今日は、こりゃぁ休戦だな」

 今までは私に対して甘い顔など見せたことのなかった明神部長がこう言うと、いつの間にか幕の内弁当と果物の盛り合わせを取調室に運んできて、これでも食べて元気を出せ、と渡してくれた。

 感情が高ぶっている私は、このとたんにまたも、ドッと涙を溢れさせる。

 逮捕以来の1ヵ月半ぶりに口にするまともな食事だったが、私には味が分からなかった。

 パイナップルやメロンを切った果物の盛り合わせも、小さなかけらを一切れだけ無理して口に押し込んだだけ。

 弁当の煮物や卵焼きにしても、それから蓋つきの吸い物椀にしても、その彩りの美しさに見とれるばかりで、とても喉を通りそうも無い。

 どれもこれも、この世の食べ納めかと思えば、涙や鼻水と交じり合った塩味しか感じなかった。

 「そんな情けない様子をしていないで、顔でも洗って来い。ついでに髭でも剃って来い」

といって洗面所へ連れて行ってくれたり、新しくお茶を入れ直してくれたり、常より優しく気を使ってくれる刑事たちの仕草までが、一つ一つ心に響いて、ますます胸が一杯になってしまう。

 死ぬと決めたとたんに、この世のあらゆる物やすべての人がいとおしくて、未練がましい。

 翌9月1日には3度目の逮捕容疑で身柄送検された。

 昼間に検察庁へ連れてこられたのは、この事件の逮捕以来初めてのことである。(1ヵ月半ぶりに陽の光を見たことになる。)

 佐々木検事の部屋は、日比谷公園に面した東向きの明るい場所で、私の行ったときにはまだ午前中の太陽が差し込んでいた。

 窓を背にして席を占めている検事の正面に座った私には、窓から外の風景が丸見えなのである。

 公園の豊かな緑の樹木の上に大きく広がった澄んだ青空が目に映った。

 遠景になった高層ビルの空高くに、いくつもの真っ白な雲の塊が風に流されていくのも印象的だった。

 ちょうど台風一過という風情で、内堀通りの銀杏並木がザワザワと大きく揺れていたり、地上に散り積もった落ち葉が風に舞い上がって、、まだその余韻を残している。

 こういった窓の外の景色が輝いているのに圧倒されてしまって、検事の言葉は上の空で、私は目を外の光景に釘付けしたまま涙を溢れさせていた。

 逮捕以来50日間もコンクリートの箱の中に閉じ込められ、人工照明と空調の空間で生活してきた私には、窓から入ってくる風の気配を感じるだけでも心が騒ぐ。

 溢れる太陽の光を見て、また、50日ぶりに目の焦点距離を無限大にして遠景を見たことで、生理的に快い感情を呼び覚まされて、感情が高まったのだ。

 ましてやこの日の私は、すでに自殺する決心をしていたから、見聞きするものすべて、これが最後だという気になっていて、感受性が鋭敏になっている。

 検事の問いに対して適当な生返事をしながら、目は窓の外へ向けたきり、いつまでも涙を滴らせていた。

 こんな私の様子を、悔悟心に目覚めたとでも勘違いしたのだろうか、佐々木検事も尋問を簡単に打ち切って、あとは黙って私を眺めているばかり。

 もはや他人の目や、思惑など気にしなくなっている私は、これがこの世の見納めなのだと感動しながら、思う存分に日比谷公園の上空の光景を記憶に焼き付けていたのだ。

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