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上申書・61 泣き落とす

 16.検事の翼下(9月初旬)

   取調技術⑫泣き落とす

 私は、白石主任に福岡県太宰府の河原における佐藤殺害の自白調書をとられたが、その後は、断固として否定し続けていた。

 「今頃、主任さんは捜査会議で吊るし上げられている。

 これだけ豊富な手持ち札を揃えていながら、お前の口を割れなかったというんで、多分お役御免になるかも知れない。

 重大事件の取調主任だもの、普通なら捜査会議のヒナ壇の中央に座って全員に顎で指図できる立場なんだけど、お前のおかげで、今の主任さんは後ろの方の席で小さくなっていなけりゃならない。

 俺たちも肩身が狭いよ」

 明神部長刑事にこう言われると、すでに50日間も顔を突き合わせていて、それなりに取調官の苦しい立場も判っている私としては、何だか後ろめたいような気にさせられてしまう。

 「もしも担当替えということになれば、今度は俺たちとは反対のタイプのすごい厳しい刑事たちがやってきて、お前はギューギューと締め上げられる。

 お前も判っていると思うけど、主任は捜査四課じゃ“仏の白石”と呼ばれていて人情厚いので有名なんだ。

 いまさら新しい刑事に代わって、初めに戻って締め上げられるよりは、気心の知れた俺たちが担当していた方がお前にとってもいいんじゃないか。

 俺たちを困らせていないで、自白してくれよ」

 「正直言ってこれだけ件の取り調べを担当できるなんてチャンスは、そうあることじゃない。

 それだけに担当をはずされるのは残念なんだ。

 折山さんよ、頼むよ。

 あんまり取調官をふり回したりしないで、まっすぐ一本道の話にまとめてくれや」

 2人の刑事の説得も、最後にはもう哀願調である。

 私に愚痴っている言葉が、彼らの本音であることが判るだけに、私としては何とかしてやりたいという気になってしまうのだった。

 佐々木検事ですら、得意の権力を誇示した強硬策が通じなくなると、最後には私に泣きごとを並べ始める。

 「自分たち検察官は、休日出勤しようと、毎日深夜の午前様の帰宅になろうと残業手当てなんて一切つかない。

 家じゃ赤ん坊を抱えているものだから女房一人じゃ赤ん坊を風呂に入れることもできずに、どんなに遅くなっても私が帰るまで風呂も使えずに待っているんだ。

 休みはなくなるし帰宅は遅いし、わが家の平穏も脅かされている。

 この事件を担当してから、すっかりペースが狂ってしまった」

 「この事務官は前任地の浜松から、自分が責任をもつからついてこい、と言って連れてきて現在夜学へ通わせている。

 ところが君の事件に関わってからは、学校へ行くどころじゃなくて本を読む時間もなく、何のために東京に来たかと悩んでいる。

 このままでは前期の試験も通らずに留年も決定的だな。

 これも君がいい加減なことばかり言って、さっぱり取り調べが進まないからなんだ」

 「刑事さんたちの様子をみてみろ。

 このところみんな眼が落ちくぼんで顔色も悪くなっている。

 白石さんの心臓の調子も特に悪いというぞ。

 このままでは全員が身体をこわすのが眼にみえている。せめて夜の8時、9時には帰宅できるようにしてやらないか。 

 君の心がけひとつで皆が助かるんだから」

 考えてみれば、何という勝手な言いぐさなんだろう。

 証拠もなしに勝手に市民を監禁して責めているのは自分たちなのである。

 しかし、密室での長期勾留ですっかり催眠術にかかったようになっている私には、佐々木検事のこの理不尽な泣きごとの意味が判らなくなっている。

 取調官から繰り返して愚痴られているうちに、皆に迷惑をかけていることの全責任が自分にあるかのように錯覚してしまう。

 そのたびに「申し訳ありません」と、心から頭を下げてしまうことが多かった。

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