上申書・64 またも逆転

    またも逆転

 9月2日、午前中の刑事調べのとき、捜査当局の描く犯行シナリオが大きく変更されたことを知らされた。

 「捜査官の実地検証の報告やら、現地の資料分析の結果、佐藤の殺害現場は、お前の言ってた山の中の川原じゃないことが判明した。

 現場にあるのはチョロチョロと流れる水溜りみたいな小川だというし、今にも虫が出てきそうなところで、とても水遊びなどできるような川じゃないという報告だ。

 地元の警察でも、仏さんはどこからか、運び込まれたものだと判断していた」

 白石主任はこう言って、河原を殺害場所だとしていたいままでの調べの誤りを認めたのである。

 私は急に視界が晴れたような気がした。

 河原で殺害した、などという不本意な自白調書に署名したことが精神的な重荷になって、この数日間、自殺することまで決意して苦しんでいたのだ。

 それなのに、取調官が自ら、そのときの自白調書は内容虚偽だと認めるのだから、私の重荷はすっかり取り除かれたことになる。

 こうなれば自殺して警察に抗議する必要もないし、私の犯行の証拠として採用されることも心配せずに、振り出しに戻って取調官と対等に対決してゆくことが出来るのだ。

 白石主任の言葉を聴いて、あぁ、これで死なずに済んだと、私は内心、小躍りしたいように嬉しかった。

 さらに白石主任の言葉は、目下、私の供述したホテルの捜索を開始していて、それらしいのも見つかっているというのだ。

 私は、これで佐藤殺害の真相に近づけると、二重の喜びに浸る。

 「ホテルを特定するのに、お前さんも協力しろよ」といわれて、白石主任から差し出された福岡市内のホテル一覧表の中から、見覚えのあるホテル名を探し出そうとした。

 わずか10軒足らずの著名ホテルの中からだったが、私には5年前に佐藤と立ち寄っただけのホテルの名をどうしても思い出せない。

 白石主任が「これじゃないか?」といって、露骨に誘導してくれたが、それでも、これだといって特定できなかった。

 今の時点ではまだ、宿泊者名簿の中に、佐藤の名も、その同伴者らしき人物の名も見当たらない、と白石主任は言うが、警察が本気で調査しさえすれば、これが発見されるのも時間の問題だと、私は期待を大きくしていた。

 しかし当局は、山中の河原を犯行現場だとする殺害シナリオを自らで取り消したあと、今度はこのホテルこそが殺害場所であるという新しいシナリオに書き替えたようだ。

 そして、太宰府裏山で発見されていた二人の女性死体も含めた三人連続殺人事件として全体像をとらえ直して、私にこの三人との関わりを認めるように追求し始めた。

 すでに連続殺人事件を私が自白し始めたというウソの情報をマスコミに流しているくらいだから、いずれこのような追求もありうるかも知れぬと半ば覚悟していたので、この日の私にはさほどのショックはない。

 ウソの自白調書を認めたことの重圧感から自殺まで思いつめていたのだから、この苦しみから解放された今となっては、取調べが如何に過酷なものであっても、二度と同じ過ちは繰り返さない。

 刑事たちからどんなに激しい恫喝を加えられようとも、取調官に妥協して不本意な供述は絶対にするまいと、堅く決心して私は動揺しなかったから、新シナリオによる刑事たちの調べは何の進展もしなかった。

 午後からは佐々木検事の調べである。

 河原を犯行場所だと考えていたのは誤りだったと捜査当局が結論付けたことを知っている私には、もう自白調書の重圧感がなくなっていたから、昨日までのような、自殺を覚悟して憔悴しきった態度はない。

 検事に対しても正面からはっきりと、佐藤殺害については何の関係もないのだと断言して、この日の取調べが始まった。

 検事はこの日もなお、私が河原で佐藤を殺したに違いないという自説を強硬に主張している。

 警察がすでに誤りを認めているシナリオだというのに、今もって検事がこれに固執しているのはなぜなのだろう?

 ただ理由も無く、これが正しいと決め付けるだけの佐々木検事に対して、現場検証までして誤りを認めた警察の見解が正しいことは、ちょっと話を聞いただけの私にも直ぐに判断できる。

 なるほど、これが刑事と検事の巧妙争いなのかと私は納得したので、かえって気持ちが冷静になってしまい、この結末がどうなるのかと興味を抱いてしまった。

 検事は自説の太宰府河原における犯行を私に認めさせようと、いつものように全力を尽くして取り調べのテクニックを繰り出してくるが、私はますます冷静になって、検事の態度をじっくりと観察し始める始末。

 このときに佐々木検事は、傷害致死でまとめてやるから自白しろと、利益誘導しようとしたのだが、この経緯は前述した。

 検事からこのような申し入れがあったときに、私はすばやく計算してみた。

 検事が私に押し付けようとしている河原での殺害犯行は、すでに誤りだと分かっているのだから、いっそのこと、この検事の誘いに乗って誤ったシナリオの供述をして、誤った訴追をさせることも一つの方法だという点である。

 というのは、捜査当局が今更捜査を誤ったからといって、振り上げた手を下ろすはずの無いことは十分に思い知った。

 今までにも、田園調布の自宅で殺害したというシナリオを引っ込め、次に太宰府河原での犯行シナリオを訂正している。

 情勢が変われば、それに合わせて犯行シナリオを書き換えるだけのことで、私を佐藤殺しの犯人に仕立てようという考えは一貫しているのだ。

 何の確証もない事件そのものをでっち上げて、かなり強引なやり方で私に対する捜査をここまで継続してきたのだし、たびたびのマスコミ操作までして、大々的に警察権力の成果を宣伝してしまった以上、どんなことをしても私を犯人にするという当局の意志は固いと見なければならない。

 佐々木検事ですら、私の取り調べによって自白や新事実が何も発見されなかったとしても、強制調査に着手した時点で、起訴に持ち込むことは検察庁として決定済みだった、というのだ。

 従って、警察と検察の段階では、私が無実と判断されて釈放になる可能性は、どう考えてもゼロだった。

 裁判によって無罪を獲得するしかないのであれば、弁護側の反証がし易い形の起訴に持ち込むことも、私には大切な闘い方なのである。

 しかも佐々木検事は傷害致死でまとめようというのだから、最悪の場合でも私の傷はずっと浅くなる。

 警察当局は私を三人連続殺人犯とみなして、てぐすね引いて取り調べ体制を整えているのだから、この刑事たちの理不尽な追求から逃れるためにも、 ここは佐々木検事の言い分に従っているほうが私にとって有利ではないか。

 このような計算をすばやく頭に描いてみた結果、私はこの日からは検事に媚びて、河原における犯行シナリオを認めることにした。

 警察と検察の捜査方針の不統一な点に乗じて、かえって取調べを混乱させてしまい、時間を稼ごうと決めたのだ。

 その内にはきっと、佐藤と関わったホテルと女性も判明するだろう。

 私は河原を現場だとする検事説による殺害犯行を積極的に認めていった。

 私の狙っていた通り、翌日からの取調べは主として佐々木検事が担当するようになった。

 午前中の2、3時間を除くと、深夜までの残りの時間は、私は常に検事の翼下に置かれる。

 折角思い通りの供述をしてくれるようになった被疑者を警察の手に渡して、再び供述を混乱させられてはたまらないと、佐々木検事が考えていることは態度で分かる。

 確かに午前中は刑事調べもあったのだが、それにしても彼らは、検事が河原での犯行を前提にして調べを進めていることを承知しているから、自分たちが勝手にこれを否定して、別個の犯行シナリオを私に押し付けるわけにもいかない。

 「もう一押しで完全に落とせるはずだったのに、俺たちの手からうまく逃げやがったな。

 お陰で、こちらは仕事にならなくなってしまった。

 しかし、良い加減なことばかり並べて、若い検事さんをたぶらかすんじゃないよ。

 ホテルが現場だっていう証拠も挙がっているんだ」

 白石主任のこの言葉は、私が検事にしゃべっている河原での犯行の話が、全くの作り話であることを承知していながら、自分たちではどうすることも出来ぬことを皮肉って言っているのだ。

 こうして私は検事の喜びそうな作り話をしながら、刑事の調べから逃れ、警視庁における135日間の勾留の内で、精神的には最も楽で安定した10日間ほどを過ごしたことになった。

 検事は交代要員が居ない立場だということもあって、多彩な取り調べテクニックを駆使することも出来ず、長時間たてばどうしても画一的で、単調な調べにならざるを得ない。

 私に対するストレスの大きさは、刑事調べのときとは比較にならぬほど、格段に少ないのだ。

 この期間中、警察庁ではこの事件に選任で関わっているもう一人の大野検事を福岡へ出張させて、私の供述の裏付け調査をさせている。

 しかし、もともと佐々木検事の予断に沿って、私が辻褄合わせの作り話をしただけなのだから、虚構シナリオの裏付けなど取れるはずも無い。

 大野検事から、太宰府の河原の現況やらホテルの状況の報告を受けた後に、ある日の佐々木検事は血相を変えて激しく私に詰め寄ってきた。

 「折山!私はどうやらすっかり君に騙されていたらしい。

 河原の話は何もかもでたらめだというではないか。

 今日からは本当のことを話してもらうぞ。

 佐藤さんを殺したのはホテルの客室だな?」

 10日も前に警察側が出していた結論に、検事もやっと到達したのだ。

 しかし、今頃になって検事がいくら怒鳴ろうと、罵ろうと、いつかはこうなると分かっていた私には何の苦しさも感じない。心の中では、佐々木検事に勝ったぞ、ざまを見ろ、という思いのほうが強かった。

 三度目の別件逮捕容疑が、勾留期間の半分を残して、すでに9月10日に起訴された。その後、次の逮捕状の執行も無いままになっていたので、私は、別件逮捕は全てこれで終りだ、本件の殺人容疑が残っているだけだ、と判断していた。

 別件逮捕事件の処理をすばやく片付けてしまったのも、佐々木検事は私の河原を現場とする犯行が真実だと思い込んでいたので、これ以上は別件で勾留する必要がないと考えてしまったに違いない。

 私が検事の言うなりを認めてきたのは、取り調べ期間を縮めるという面でも効果があったのだ。

 永遠に繰り返すといって脅されていた別件逮捕の心配がなくなって、先の目途がついたと思うから、私は今後の闘い方の作戦を立てられるようになった。

 あとは、わずか23日間と少しだけ苦しめばこれでカタがついて留置場から移管されるのだ、と考えれば、どんな拷問にだって耐えられる。

 取調官に媚びて、日常生活の面倒を見てもらう必要もない、髭など剃そらなくったって運動や入浴をしなくたって、二十日間のことなら耐えられる。

 佐々木検事が豹変してからの私は、取調官が押し付けてくる虚構シナリオについては一切を否認すること、場合によっては黙秘して鋭く対立しても構わないと決めて、これを実行した。

 刑事も検事も、今までと同じように勝手な供述調書を作り上げては、何とかこれに署名させようと繰り返して強要してきたが、私はもう、彼らの要求には一切応じなかった。

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