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上申書・65 肉親の情を利用

 17.先が見えた(9月中旬)

   取調技術⑭肉親の情を利用

「おいっ、女房に会わせてやろうか」

 私が逮捕されてからしばらくの期間、刑事たちはときどきこんな誘いをかけてきた。

 しかし家族の情を利用して私の理性を混乱させ、その隙に思いどおりに私を操ろうという古典的な取調法だというのが判っているから、私は刑事に対して

「その必要はない」

とはっきり拒絶した。

 すると彼らは私の言葉を逆手にとって

「折角俺たちが親切に言ってやっているのに、その好意を無にする冷たい男だ。

 女房子どもの心配もしない無責任な奴。

 いかにも人殺しにふさわしい言いぐさだ。

 お前はやはり人間じゃなくてウジ虫だったのだ」

と罵倒する。

 密室に監禁された以降の私にとって、もっとも気掛かりなことは家族や肉親の動向だった。

 たまの面会で弁護士がほんのひとこと簡単な様子を伝えてくれる以外には、逮捕以来ずっと家族の情報を断たれているのだから、本当は妻に会っていろいろと話がしたかった。

 まずこの事件が冤罪であることを知ってもらって、それなりの支援態勢を整えて貰いたかったし、残された家族の今後の生活をどうするかの打ち合わせも必要だ。

 それに何よりも、私の無実を証明することになる資料を含む私の事務机の周囲の書類の管理も頼みたい。

 私が妻に会いたくないはずがないことを十分に承知しながら、取調官は私の口から直接に、会いたくないという言葉を言わざるを得ないように仕向けただけなのだ。

 このとき私が会いたいと言えば、その代わりにこれを認めろ、ああ言え、こう言うなと条件づけられることは決まりきっていた。

 9月中旬になって、私が佐藤の死に関する一切を否認して、何も供述しなくなったころのある日、私の取り調べを佐々木検事が担当している時間を利用して、白石主任と安田部長刑事が私の母に会いに行った。

 すでに私の生い立ちなどの捜査上必要な情報については、とっくに母の供述調書を作成していたから、この時の2人の刑事の狙いは別のところにある。

 私の友人が事実無根の訴えを起こして春日部の家に仮処分をかけ、その結果、母は失意のままにこの家を立ち退いて、妹夫婦の家に居候になっていたらしいが、2人の刑事はそこまで訪ねて行ったという。

 仕事を終えての帰宅途中で突然に逮捕されて以来、私は家族や友人との交流を一切禁止されていたから、警視庁の密室の中で私が一貫して無実を言い続けていることなど、誰も知らない。

 捜査当局はマスコミをつうじて、いかにも私が犯行を全面自供したかのような虚偽情報を流して世論操作を図っているので、このマスコミ報道でしか私の動向を知り得ない者は誰だって、私がまさか無実を叫んでいるとは、思いもよらなかったろう。

 母もこの虚偽報道にしか接していない一人だったに違いない。

 私が無実を主張しているなどとは知らなかったからこそ、私の友人からの理不尽な仮処分の訴えに対しても何の反論もせず、私に対して真実の確認もできないままに、春日部のわが家を無条件で明け渡したのだ。

 白石主任から聞くところによれば、訪れた2人の刑事に対して、母は私が世間を騒がせたことを、ただ平身低頭して謝るばかりだったという。

 そして、本来は親としてのうのうと生きていられる身ではないのだが、自ら命を絶つ勇気もない、せめて息子が犯した罪の償いのほんの一部のつもりで、自分の死後に献体して社会の役に立ててもらうつもりだと、泣いて語っていたという。

 刑事は、母と妹を前にして、私の取り調べが順調にいっていないことや、素直に私が取り調べに応じないので困っているとでも言って責めたのだろう。

 そもそも私を責めあぐねて、私のウィークポイントでもつかむヒントはなかろうかという気持ちでわざわざ出かけて行ったのだ。

 こんな刑事に対して母や妹がただただ恐縮するその姿が眼に浮かんで、私は胸がかきむしられた。

 献体まで口に出したところに、母が絶望の底にいる心情が伝わってくる。

「お袋さんが心配していたぞ。

 すんだことは仕方がないんだから、あとは男らしくやってしまったことの責任はとるように、何もかも刑事さんにまかせて、卑怯な隠しごとなどせずに潔くすべて話すようにという伝言を頼まれた。

 お前さんがこれだけの事件を起こして改悛してないんで、ずいぶん苦しんでいるようだった」

と白石は言う。

 冗談じゃない。

 証拠もなくして平穏に暮らしている市民を逮捕して、周りの者まで破滅させているのは、自分たち警察じゃないか、と冷静に考えればすぐに判ることなのに、現実にこうやって肉親が苦しんでいる姿を示されれば、理屈より先に感情的になってしまって、いかにも私自身の責任のように思えてしまう。

 私は、白石の話に涙を溢れさせながら、自分さえ刑事たちの言うなりになりさえすれば、母にこんなつらい思いをさせずに済むという錯覚に陥ってしまって、あやうく刑事の作り上げた犯行シナリオを認めそうになってしまった。

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