上申書・66 三浦和義氏逮捕の日

    三浦和義氏逮捕の日

 9月11日、今日はいよいよ強盗殺人という本件の容疑で逮捕されるなと、私は覚悟を決めていた。

 前日に私は、再々逮捕容疑で起訴されたが、これは勾留満期まで10日も残す段階での意外な早い起訴だったから、捜査当局は本件逮捕の体制を整え終わったから、もはや別件で勾留しておく必要もなくなったのだろうと考えたのだった。

 いつものように75号取調室の前までくると、通路を挟んで真向かいにあたる66号取調室の様子が何やらあわただしいのに気づいた。

 刑事に尋ねると、

「ああ、あれは一課の連中だ。いよいよ中央突破するらしいな、“ロス疑惑”だよ。

 なかなか難しい事件だとみていたが、いよいよやると決めたからには、何か俺たちには判らん確証を握ったんだろう。

 ポルノ女優一人の証言じゃ弱いからな。

 三浦もこれでおしまいだ」

と白石が言う。

 取調室は、同じ広さのものが通路を挟んで両側にズラリと並んでいるのだが、そのうちの66号室にはカーペットが敷かれ、毛布などの仮眠用具まで持ち込まれている。

 魔法ビンやらコーヒーカップ、お茶の道具を運び入れている捜査官もいた。

 私はこの様子を見て、なるほどなと思う。

 重大事件の取り調べともなれば、交代要員の休憩スペースまで確保して臨まなければならないのか。

 私の事件についてみても、初めに使われた65号室が今では4人の刑事の休憩室になっているし、その隣の64号室には係長がつめていて捜査全体の指揮をとっている。

 ほかに2組の検事と事務官が常時ここに出張してきているので、そのための部屋も必要だろう。

 私の取り調べの様子を刻一刻と報告されながら、自白誘導のための次の作戦を立てている捜査官が何人も控えているのだから、私が今の眼の前にいる2人の取調官だけを相手にして闘っているだけではないのだと、改めて認識させられた。

 翌12日の朝、私が75号取調室に引き出されていった時には、すでに三浦氏の取り調べは開始されていた。

 私の部屋の斜め前に位置した69号室からは、取調官の激しい罵声が聞こえているし、ドアの前では控えの取調官が耳をそば立てて中の様子を窺っていた。

 私の取り調べでも行われていたように、タイミングを見計らって効果的に交代しようと構えているのだろう。

 間断なく続いている怒声や机を叩く音が、通路を挟んだ私の取調室にも入ってくる。

 耳を澄ませていれば、取調官の言葉の断片までもが聞きとれる。

 私が逮捕された直後の取り調べが、ちょうどこれと同じく罵倒制圧型だったっけと思いながら、それと同じことが今、三浦氏の眼前で再現されている光景が想像できて、私は身につまされた。

 三浦氏は逮捕されたとしても完全黙秘をとおすだろう、とのマスコミ報道があったことなど思い出して、刑事の拷問なんぞに負けるな、絶対に供述調書に署名などするな、と心の中で応援してしまった。

 私の取り調べも安田・明神両刑事の罵声によって開始されることが毎日の日課となっていたのだが、この日、私は着席して刑事と対決しようと身構えた時にはすでに69号室からの激しい声が筒抜けに聞こえている最中だった。

 安田刑事は、私を脅すためにやっと大声を張り上げようとしたものの、向こうの怒鳴り声が気になって、どうにも気勢が上がらない。

 こちらも怒鳴ったりすれば、二重唱になってしまうのだ。

 大声で容疑者を脅しつける刑事の言葉などというのは、当事者にとってはすくみ上がるほどに恐ろしいものであっても、これを第三者が冷静になって聞いていると、支離滅裂でとうてい理性で判断しがたいものが多い。

 この日に69号室から聞こえてくる声も、

「このクソ野郎、テメェなんかぶっ殺してもいい許可貰ってんだ。

 死ねェ、バカ野郎、死ね、死ねェ」

「人殺し、テメェなんぞ死刑だ、判ってんだろ、ゴキブリ野郎」

「返してくれェ、返せよォ、返せェ。帰りたいよォ、一美を返せェ。

帰りたィー、帰るう」

などという言葉といっしょに、金属の灰皿で机や壁を打ち鳴らしているのだ。

 なんだか私のときよりずっと下品な言葉が使われているようだが、でも、どんな事件でも同じような取調法なのだな、と妙に納得してしまった。

 まじめに耳を澄ませていると、よくまあ次から次へとあのような罵詈雑言を思いつくものよとあきれながら、だんだんとおかしくなってしまう。

 保田、明神両刑事の思いも私と同じだったとみえて、最後には顔を見合わせて苦笑してしまい、とてもこの日は私の取り調べにならない。

 午後早々に佐々木検事の取り調べが始まった。

 この日の検事は、今までずっと福岡県太宰府の河原を殺害現場だとしてきた方針を一挙に転換して、今度は福岡市内の城山ホテルの客室で殺害したことを認めろと、激しく詰め寄ってきた。

 佐々木検事が初めて私の取り調べ担当としてやってきた頃がそうだったように、この日も私を力づくで責めたてて何とか自白させたいと、あせる気持ちが表情に出ていた。

 しかし私は、すでにこの逮捕勾留劇にも先が見えてきたと判断していたし、もう二度と取調官の誘導にのって迎合したりするのは止めようと決心した後のことだから、検事が眼を吊り上げてヒステリックにわめこうと、私の人格をけなそうとも、私は動じない。

 それに69号室からは断えず三浦氏を罵る声がしていたから、この日ばかりは佐々木検事の私を挑発する悪口も大幅に効果が減じられてしまう。

 検事の言葉がふっと途切れたときに、

「俺はバカだよォ、バカなんだァ、バカな女を使った大バカだァ。

バカだよォ、和義はバカ者だァ」

「帰りたいよォ、返せよォ、返してくれェ、一美を返せェ」

という同じ言葉の繰り返しが聞こえてきた。

 この言葉は検事にも同じように聞こえているに違いない。

 私はこの言葉を聞いて渋面を作っている検事の顔を見て、思わず笑ってしまった。

 佐々木検事は、こんなバカげた怒声の聞こえる中で、なおもまじめに取り調べをしようと必死なのだ。

 検事は、私の表情に浮かんだ笑いを見てとると、烈火のごとく怒って、再び私を罵倒し始めたが、検事が真剣に私を追及しようとすればするほど、大声を出せば出すほど、それは69号室からの罵声と混じり合って奇妙な雰囲気を醸しだす。

 私は、笑いをこらえるのに大変であった。

 このような悪条件ではあったが、検事は自ら作り上げてきた、Sホテル客室で殺害したという犯行シナリオを私に押しつけようと執拗にねばっている。

「君がいくら否認しようと、我々はもう君を起訴することに決めているのだ」

と脅す検事に対しては、決まっているのなら今さら私に自白させる必要もないではないか、勝手にやってくれ、と開き直るしかない。

 69号室からは、絶えず三浦氏に投げつけている異様な叫び声は続いていたから、検事の挑発につい乗せられて冷静さを失いかけそうになる私も、この声を聞くたびにハッと我に返ることができた。

 この日ばかりは、いかに検事が得意の取り調べテクニックを駆使しようと、以前のようには私を催眠状態に引き込むことはできなかった。

 夜中の11時ごろになって佐々木検事の10時間もの取り調べがやっと終了した(注9)。

 この時間になってやっと69号室からの物音はしなくなっていたが、三浦氏に対する激しい罵声は、私があきれるほど一日中よく続いていた。

 そのせいで検事のグッタリと疲れきった姿が印象的だったが、それに引きかえ私の方はなおも耳を澄まして69号室の様子を窺う余裕すらあったのである。

 この日は、取調官たちも三浦氏取り調べの雑音に、よほど気が散ったとみえて、5日後の17日に、当然のことのように私は別の取調室に移された。

 三度目の引っ越しで私の部屋になったのは、ずっと離れた25号室である。

 ここからは、もう一課の刑事たちが三浦氏を罵倒する声は聞こえない。

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