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上申書・67 極刑に処す

    極刑に処す

 裁判になってからの佐々木検事の証言によれば、136日間の全勾留期間中に、ホテルで佐藤を殺害したと私が犯行を自白したのは二度あって、それは9月1日の夜と、もう一度がこの9月12日のことだったという。

 実際にはこれは、この裁判で立証責任のある当事者である検察官佐々木善三の偽証である。

 この日は、三浦氏に対する厳しい追及の罵声が聞こえてくる中で、私の立場からみれば珍しく自己を失わず、検事の取り調べテクニックに引き込まれることも、催眠状態に陥ることもなく、マイペースで冷静に対応することのできた数少ない一日だったのだ。

 “ロス疑惑事件”については、この当時の誰にとっても大変に興味のあることであって、昨夜遅くに逮捕されたのだというニュースは、この日の朝の留置場内にもすぐに伝わっていて、三浦氏が果して自白するだろうか、立件できるだろうかと留置人たちの話題を独占していた。

 この私にしたところで自分の立場を忘れて、“ロス疑惑事件”捜査の行方に興味があった。

 ましてや、三浦氏の取り調べの様子が断片的ながらも自分の耳に直接に聞こえるというチャンスに恵まれたのだから、私は、つい耳を澄ましてしまう。

 自分の取り調べなどよりも、この三浦氏の動向が気になり、私の注意はずっと通路を挟んだ斜め前の69号室に向っていた。

 こんなに他の事件に興味をそそられた特異な日だというのに、逮捕以来60日間も否認を続けてきた私の気が変わって、なぜか急に殺害犯行を認め始めたなどあり得るはずがない。

 佐々木検事は、私の犯行自白なるものをでっち上げるについて、この日が三浦氏逮捕の初日であって、その取り調べの罵声が私のいる75号室まで筒抜けに聞こえていたという事実を失念したままで公判証言の手順を組んだに違いない。

 なにより、この12日には私が自白したと公判で伝聞証言しているにもかかわらず、佐々木検事は肝心の自白調書を作成していないのである。

 この日は10時間以上にわたって私を取り調べたというのに、その供述がどのようなものであったのか詳細に証言しようともしない。

 また、調書を作成しなかった理由も述べない。

 9月12日の私は、検事が今までの自説を変更して、またも新しい犯行シナリオをもち出したことに反発して、佐藤の殺害との関わりを一切否認したというのが真実である。

 私が何も供述してないのだから、検事が具体的な伝聞証言をできるわけもないし、また供述調書が存在しないのも当然だ。

 私は、すでに一連の捜査取り調べに先が見えたと考えて、否認の姿勢を崩すことはなかった。

 なお佐々木検事は、9月14日に自白調書を作成したが、私に署名を拒否されたと証言している。

 これも不思議な証言である。

 私が自白したのは9月1日と12日だという検事の証言を信じたとしても、それでは14日には私の自白がないまま、勝手に自白調書だけを作成したとでも言うのだろうか。

 とにかくこの事件では、あとから供述調書が作成されてみたり、さかのぼった作成日付が記入されたり、ありもしない自白なるものがでっち上げられたり、取調官はきわめて雑な処理の仕方で、私の取り調べを進めていたことがよく判る。

 9月11日を相当過ぎたというのに、私に対する本件の強盗殺人容疑の逮捕状はなかなか執行されなかった。

 留置場では

「折さん、こりゃもしかすると本件の逮捕はなしで、デカさんはバンザイするのかもよ」

などと冷やかされたりしたが、日が経つとともに私自身も内心では、本当にこれで終了なのかも知れないと思ったりする。

 いずれにしても当局には、まだ私を逮捕できるだけの証拠が揃っていないことは確実なのだから、そう思いながらみていると、刑事にしても検事にしても、あせっている様子がよく判るのだ。

 私は、このころには、取調官の言動や態度をゆっくりと観察できるほどの精神的な余裕をとり戻していた。

 佐々木検事は、このころの私は自暴自棄に陥っていたと証言しているが、これは検事の勘違いである。

 それどころか、私はこの事件の勝利を夢みるほどに精神的には安定している毎日であった。

 私に言わせれば、佐々木検事の方こそ自暴自棄だったのだ。

 今までに自分が確信をもってこれしかないと考えていたシナリオは、二度も覆ってしまったのである。

 検事は、上司に対してもまた警察当局に対しても顔を潰してしまって、何とか名誉挽回を賭けて私の取り調べに当たっていることは明らかだった。

 このころの数日間は、検事は私の眼には狂ったとしかみえないようにすさまじい形相で、激しい取り調べを行った。

 人格をけなしたり、汚い言葉を投げつけたりして私を挑発しようと必死にみえる。

 ある日のこと、佐々木検事は私を死刑にしてみせると言い放った。

 「君のように性根の悪い男を調べたのは初めてだ。

 君にとっても有利な事実を最大限に網羅して調書を作って、なるべく寛大な判決になるように裁判官にも頼もうと思っていたのに、君の方からそれを拒否するのでは仕方がない。

 君がしゃべらぬ以上、われわれは最悪の犯行状況を想定して起訴するしかないが、これは君には大変に不利になるぞ。

 強盗殺人罪には法定刑が死刑と無期しかないんだ。情状の良い者は無期で、改悛もしていない悪質な者は死刑になる。

 われわれ検事が、君の情状を全く酌量しない論告をしたら、裁判官だって、君の場合には極刑を選択するしかないではないか」

 「私は極刑を覚悟して闘っているのだ。無実の者を証拠も無しに死刑に出来るものならやってみろ。結構じゃないか」と私は答える。

 「よぉし、君がそこまで言うのなら死刑にして見せようじゃないか。

 なぁに、本当は死ぬのが怖くて震えているくせに、口先だけで強がってみてもダメだ。

 本当に有期のある者なら、とっくに責任を取っているはずだ。」

 検事がここまで挑発してきたので、私は自分の覚悟の程を見せてやろうという気になってしまった。

 どうせ一度は自殺する準備をしていたのだし、今でも無実を主張するためになら、自殺する覚悟は出来ている。今、この場で検事に挑発されて実際に死んで見せることも、全く無意味ではなかろう。

 検事と私とのやり取りは事務官が聞いていたから、私の自殺の理由が無実を主張するが故のものであることは証言してくれるだろう。

 「死んで無実が晴れるのなら簡単だ。

 死ぬことなんか少しも怖くないということを見せてやろう」

私はこう言いながら立ち上がると、腰縄を解き、そのまま検事の脇をすり抜けてドアのほうへ歩き始めた。

 前から計画したとおり、階段の踊り場にあるロッカーを利用して首を吊るつもりだった。

 「君!どうしようってんだ、止め給え。

 中田さん、直ぐに刑事さんを呼んできてくれ」

 佐々木検事は、私の態度を見て、本気で死ぬつもりだと見抜いたのだろう。あわてて私を引き止めながら、事務官に大声を出していた。

 そのあわてぶりがあまりに真剣なので、私はこれだけで気が済んだのである。

 私が取り調べに対処している態度が冗談などではなく、命を賭けるくらいに本気なのだということが、検事に伝わりさえすればそれで良い。

 私がおとなしく自席に戻ったので、立ち上がっていた事務官も刑事の控え室まで駆けつけずに済んだし、検事も落ち着いてきた。

 しかし、その後で、「これでもう切り札もなくなったし、君を説得しずらくなったな」と自嘲気味に言う。

 実際に、このことがあったあとは、検事の権力を誇示した力づくの取り調べは全くなくなってしまったし、その取り調べ回数自体がグーンと減ったのだ。

 私はとうとう佐々木検事を完璧に打ち負かしたな、と内心、満足していた。

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