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上申書・72 仲間割れ

   仲間割れ

 珍しく留置場へ私を迎えに来たのは明神部長だった。

 この役目は、ほとんど加藤部長か保田部長に決まっていたのだ。

 私と刑事たちとはすでに2ヶ月もの長い間、狭い密室の中で顔を突き合わせてきたから、取調官と被疑者という立場を越えて、お互いに顔色を見ただけで異変を察し合える間柄になっている。

 この日の明神部長は殺気立っていて、荒れているなと私には思えたので、取調室へ入ってから、「何かあったんでしょ?他の刑事さんが誰も居ないなんて変だもの」と尋ねてみた。

 すると突然に明神部長が加藤部長を罵り始めたのだ。

 「加藤長が主任さんにたてついた。

 確かにこの事件では加藤長がポイントを稼いだよ。だけど俺たちはチームワークで仕事をしているのだから、その方針に逆らうなんて絶対に許せない。

 あんな男ははずせ、って言ってやったよ。もう、顔を見るのもいやだから、あの男はきっと本部からどっかへすっ飛ばしてやる」

 私の取り調べに当たっていた4人の刑事の内、白石、明神刑事はこの事件を直接担当している3係に所属していたが、加藤刑事は2係から、保田刑事は1係からの援軍だった。

 捜査4課が総力を上げて取り組んだ事件と見えて、混成部隊で編成されていたのだ。

 しかし、短期決戦ならともかく、これだけ長期間の取調べともなると、寄せ集めチームでは意見の相違や亀裂が生じることも、止むを得ない面もある。

 4人の刑事はそれぞれの役割を分担していたが、私としては、罵倒・強制型の取調べをする保田、明神刑事よりも、面倒を見てくれるか当刑事の方になついて行くし、重大な情報を提供するときも加藤刑事にだけしゃべることが多かったのだ。

 会議では、自然と勝とう刑事の発言が確信をつく場面も増えて言ったと思われる。

 明神部長の口ぶりから見ると、この日の刑事同士の意見には相当の対立があったようだが、私には日ごろの4人の刑事の態度から見て、とうとう衝突したのか、という思いもあった。

 今までに少なくとも2度は大きな意見の対立があったことは私も感づいていた。

 先ず、8月初旬に、福岡への出張捜査の是非について、加藤部長はこれを行うべきだと主張し、保田部長は必要なしとの意見が分かれたと聞く。

 結局はこのときに実施された福岡調査ではめぼしい裏付けが取れなかったので、保田部長の、それ見たことかという態度に弾みがついて、この後しばらくの間は、私の真実の主張に、当局側は一切耳を貸さぬ取り調べ状態が続いたのだ。

 次に、福岡再捜査の是非についての衝突だった。

 8月23日ごろの捜査会議では、保田、明神刑事は田園調布犯行シナリオに固執して、福岡再捜査不要論を強硬に展開した。これに対して、加藤部長は多数意見に反対して、もう一度福岡における私の行動の裏付け捜査をするべきだと主張した。

 双方の対立は、佐々木検事の判断によって、福岡の行動について私の言い分をもう一度聞くという結論になった経緯は前述した。

 この結果、太宰府裏山の死体に行き当たったことで、事件解明に結びついたと捜査当局は位置付けているのだから、加藤部長の主張が効を奏したということになる。

 そして8月25日からは、加藤刑事自らが福岡に出張して、変死体の身元調査資料や、5年前の捜査記録を持ち帰るなどの活躍をしている。

 後日、佐々木検事が「自分のような若い者が論理的に考えているだけでは、この事件は到底解決には至らなかったろう。加藤さんのように経験豊富なベテラン刑事の直観力には脱帽してしまう」と、加藤部長をほめて述壊していたことがある。

 この当時は、これが捜査本部の一般的評価だったのではなかろうか。

 このようなことを総合すると、援軍刑事に得点を稼がれて面目を潰している3係の刑事たちには、日頃から心にわだかまりがあったと想像できる。

 これが積み重なって、今日も意見の強い対立に発展したのだろう。

 私は、この日に加藤刑事が白石主任にたてついて主張した説というのに大いに興味を持ったが、明神部長はこの点に関して、私の質問にも言葉を濁して語らなかった。

 実は私は、最近の取り調べに臨む刑事たちの様子から見て、加藤部長が必ずしも当局の描いている佐藤殺害の犯行シナリオをそのまま信じているわけでは無さそうだ、ということを感じていたのである。

 私が初めて逮捕されてから10日ほどたったある日のこと、雑談の折に加藤部長が私に言ったことがある。

 「自分は警官になりたての頃、巡査として街角の交番に立って通行人を眺めているだけで、犯罪者を見抜く眼力があった。

 不審尋問だけで指名手配者を捕らえて警視総監賞をもらった数では誰にも負けない。勘のよさを見込まれて刑事に抜擢されたのだ。

 その自分から見て、どうもお前についてはピンと来ないんだよな。

 逮捕の時のいやに落ち着いていた態度や、その後の調べの様子を見ても、自分が今まで経験してきた凶悪犯のイメージと一致しない。

 お前が真犯人だとしたなら、自分にも見抜けぬほどの天才的な嘘つきという事なのかね」

 その後加藤刑事は、私の勾留生活について親身になって細かく気を配ってくれたので、私自身も時々は甘えて、困ったことが出来ると真っ先に相談に乗ってもらっていた。

 そして他に取調官が居なくて二人だけになった折などには、事件のことも含めて自分の本音を真剣に話すこともあった。

 こんな加藤部長がつい最近になって、私を便所に連れ出す通路で、こんな事をしゃべったことがあったのだ。

 「お前が真犯人ならば、このまま否認しているととんでもない重刑を背負わされるから、一刻も早く自白して、なるべく有利な調書を作ってもらうべきだ。

 ただし自白する気になったら、自分の居ないところでは絶対にするなよ。

 自分がお前の立場を出来るだけ擁護して来てやってることは分かっているだろ?」

 そして、刑事という立場じゃなくて友人として言うのだが、と前置きして続けた。

 「もしもお前が本当に無実ならば、殺されても絶対に自白などするな。

 これから起訴、裁判と、長い地獄の苦しみが始まることだろうが、自白さえしてなけりゃいつかは無実が証明される可能性もあるんだ」

 加藤部長が白石主任と激しく対立したと聞いたとき、私はこのときの加藤部長の言葉を思い出して、もしかしたら捜査会議で私の有罪認定に関する慎重論でも主張してくれたのではなかろうかと期待したのだ。

 この日、後から取調室へ入ってきた白石主任の言葉の端にも、半ば興奮して加藤部長を非難するのを聞いたので、意見の衝突は相当に大きかったんだなと思う。

 それでもさすがに彼らはプロの取調官だから、これ以上私の面前で仲間割れの醜態をあらわにすることはなかった。

 翌日からの明神部長も、私に対して思わず本音を漏らしたことなどおくびにも出さず、今までどおりに加藤部長と組んで厳しい取調べを再開する。

 しかし私の内心では、もしかすると捜査官の何人かは無実の可能性も捨てきっては居ないのではないかと考えて、希望が湧く思いだった。

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