起訴の日
私の殺人容疑の勾留期限、10月13日は日曜日だった。勾留期限が休庁日にあたる場合には、通常はその前日に起訴されるということを留置場の看守から聞いていたし、取り調べの刑事たちもそう言っている。
前日の土曜日に刑事は、
「さぁ今日は起訴日だから細かな点を片付けなくちゃ」
と言って、朝から私の供述調書をとるのに忙しい。
私は、殺人容疑に関するものなら調書作成に応じる気はなかったのだが、この日の調書は、私が逮捕された以降の取り調べ経過についてのものばかりだったので、これなら大勢に影響はなかろうと判断したのだ。
「お前さんが町田検事に対していろいろと供述しているものだから、それに合わせてこっちも調書を作っとかないとまずい。
逮捕容疑の取り調べじゃないんだから、協力してくれないか」
と白石主任に頼まれると、今日で事件捜査もすべて終わるのだという解放感や安堵感もあったために、この場に至っても刑事と角突き合わせようという気にはなれず、ほとんど刑事の言うがままの供述調書に署名を重ねていった。
この日だけで数通の調書が作成されている。
ところが、夕方になっても起訴状が送達されてこない。
昼のうちこそ
「この事件に着手するについては、事前に検察庁とは綿密な打ち合わせを重ねていて、このまま自白が得られなかったとしても起訴できるという確約を貰っていたのだ。
お前さんには悪いが不起訴釈放なんてことは 100パーセントあり得ないよ」
と強気で言っていた刑事たちも、だんだんと不安の色を濃くしているのが私にも判った。
聞くところによれば、事件が起訴されてはじめて警察の捜査は終了ということになっていて、打ち上げのカンパイをして捜査本部を解散するのが恒例だという。
そして、この事件でも、今日がその打ち上げの日だということで、捜査に携わった70人の捜査員全員がそのために午後からずっと待機中だということだった。
とうとう夕食時になっても起訴の通知がこないので、私は、取調室の異様な雰囲気の中で早めに留置場に帰された。
留置人たちは、今日が私の事件の起訴日だということを知っているので、すぐに私に対して起訴されたのかと尋ねてくる。
私がまだ起訴状は届いてないと言うと、次々に
「こりゃあ不起訴だ」
「警察の負けだ」
と声を挙げだす。
私の90日間にも及ぶ厳しい取り調べの様子や、私がずっと犯行を否認し続けていることを彼らは見知っているので、この事件がどのように決着するのか大きな興味をもっているのだ。
意見を求められた看守も、
「理屈としては日曜日に裁判所が起訴を受け付けることはあるのだが、この事件についてはわざわざ休日にかけて処理しなけりゃならん必然性があるようにはみえないな。
でも難しい事件なので、検察庁のトップがまだ結論を決めかねているのかも知れない。
今夜は徹夜で模擬裁判でもやって検討してるんじゃないか」
と言った。
私がなるべく事件を客観的にみて判断しても、今までの取調官から得ている情報の中には、有罪とすべき証拠など何ひとつありはしない。
初逮捕された時に怪しいとされたいくつかのあやふやな情況証拠しかないのだし、私の自白もない、という条件では、どう考えても起訴できる事件だとは思えないのだ。
それに町田検事も、この事件は不起訴になるような口ぶりだったし、今日の土曜日に起訴されなかったことで、私はどうしても楽観的に考えたくなってしまう。
この夜は、私の気持ちも落ちつかなくなってしまい、せっかく定時に寝床に入ったのに、眠れぬ夜を過ごしてしまった。
翌13日も、私は遅くなってから取調室に連れ出されたが、事件の取り調べは何もない。
誰もが上の空で当たり障りのない雑談に時を過ごすだけである。
そして、この日も夕食前に留置場に戻されてしまった。
食事がすむと、いつものように留置場内は収容者たちの大声が飛び交う雑談の時間になったが、私の事件については、もう誰もが不起訴になったことを前提にしている。
私はそれでも不安は消え去らず、看守の動きばかりがいやに気になっていた。
まさか就寝時刻を過ぎてから送達されてくることはあるまいから、どちらにしてもあと1~2時間のうちには結論が出る、と私は期待半ば、不安半ばでこのときばかりは時間よ早く進めと、祈るような気持ちである。
この日、起訴状が届いたのは、午後7時すぎ、就寝時刻まであと1時間を残すだけだった。
看守が黙って私に差し出したとたんに、留置場内は一瞬静まり返る。
私は思わず涙を流した。