上申書・75 入浴・洗濯など

   入浴・洗濯など

 夏の間は5日に1度、秋以降は毎週1回、水曜日が入浴日になっていた。

 居房内でパンツ姿になった囚人はタオルと石鹸を手にして、5人ぐらいが1組になって、10メートルほど離れた風呂場へ行く。

 3人が同時に入れる大型のステンレス浴槽には、蒸気で熱くなった湯が常時、蛇口からあふれ出していた。

 監視している5名ほどの看守たちも、われわれを特にせかすことがなかったので、マイペースでゆっくりと体を洗い、浴槽に浸かることが出来るのがありがたかった。

 一人が上がると次の一人が交替でやってくるので、風呂場にはいつも5人ほどが勝手な雑談をしながらのんびりと入っている。

 留置人にとっては、この入浴時間も楽しみの一つだった。

 しかし私が他の留置人たちと一緒にこのような入浴が出来るようになったのも、殺人罪で起訴された以降、逮捕から3ヶ月の経った後の数回だけのことである。

 それまでの私は、毎日の厳しい取調べを中断してまで、皆と統一行動が出来るように図ってもらうわけにはいかなかった。

 全員の入浴が終了した後で、刑事が取り調べのキリのよいところを見計らって私を連れてくるから、いつも単独で入っていたのだ。

 だから入浴時間がこんなに楽しいものだと知ったのは、ずっと後のことになる。

 洗濯は週に1度、月曜日の午前中と決まっていた。

 全員から出された汚れ物の衣類をまとめて、留置人の中から希望者が2、3名志願して、風呂場で洗濯をする。

 家庭用の洗濯機が1台設置されてあったが、1週間分となると到底これでは間に合わない量なので、大部分は大きなポリバケツに洗剤を投げ入れて、素っ裸になった者が全身を泡だらけにして、足踏みして洗うのだ。

 これが大変な重労働なので、足踏みせんたくを始めれば5分ほどで体中から汗が噴き出す。運動不足で体調を崩し気味の長期間勾留者にとっては、これが何よりの新陳代謝法になる。

 しかもフリチンで大バケツに入って号令をかけながら洗濯物を踏みつける動作は、日ごろの精神的緊張感を和らげるし、拘禁ストレスの解消にも大いに役立つ。

 洗濯を志願した者の役得として、終わってから入浴することが出来た。それもあって、この作業を志願するものは多い。

 前述した、N会長なども、自分の洗濯物はすべて自宅に持ち帰らせているのだから洗濯当番の必要がないのに、他人の衣類の洗濯作業を率先して志願していたと言う。

 洗い終えた衣類は、別に設備されている乾燥室に運び込み、張り渡されたロープに吊るしておくと、翌朝、乾いた物を看守がまとめて持ってくる。

 これを副島房長の居る5室に広げて、ここに全員が集まり、これが俺のだ、いや違う、と取り分ける騒ぎも、拘禁された囚人にはささやかな楽しみだった。

 留置場における洗濯作業の仕組みがこのようになっていることを知ったのも、私が起訴された勾留90日目を過ぎてからのことである。

 事件の取調べが続いていたころの私は、いつも早朝のうちに留置場から連れ出されてしまうので、洗濯作業がどのようにして行われるのか見たことがなかった。独房に隔離されていた私には留置場の細かなルールが伝わらない。

 まさか全員の洗濯物を一括にまとめて、希望者が率先してやっているのだとは知らなかった。

 いつも、月曜日になると、副島房長が「折さん、洗濯物をどっさり出して行けよ」と声を掛けてくれるたびに、大いに恐縮して、負い目を感じていたものである。

 調髪については、原則として留置人が希望して、あとは看守が立ち会うための時間の都合がつけば、何時でも可能だった。

 庁内の職員用の理容室が留置場入り口のところに設備されていて、留置人も料金さえ支払えば利用できる。

 ただし手錠腰縄付きのままでの調髪だし、事故防止のために脇で看守が立ち会うことになる。

 逮捕されたときの私の髪型は、前髪をたらせば、顎に届いてしまうほどの長髪で、これではとても留置生活には不都合である。

 寝起きの髪には整髪料をつけて、丁寧にブラッシングしないととても収まりがつかないから、櫛の使用が認められない留置場では、私の髪は逆立ち、どうにも始末のつかない乱れたものになっていた。

 何とかして短く切り詰めたかった。

 私は逮捕直後から調髪の希望を繰り返し申し込んだが、私に関してだけは、担当検事が禁止しているからといって、看守が受け付けてくれない。

 取調べ検事に頼んでも、立会時間の都合がつかないからといって、調髪の機会はずるずると引き延ばされて、私がやっと髪を切ることが出来たのは3ヶ月近くもたってからであった。

 これは当局の操作テクニックの一つで、マジックミラー越しに私の長髪姿を何度も目撃者と称する人物に見せて、真犯人にするイメージ作りを誘導するためだったのだ。

 案の定、公判が始まってから、犯人と思われる髪の長い人を見たという目撃証人が現れていたことを知った。

 しかし5年前の私は、不動産業を営んでいたビジネスマンだったのであり、顧客に不愉快な印象を与えるような長髪姿はしていなかった。

 当局の、冤罪でっち上げの馬脚が現れたエピソードである。

 留置場における私のもう一つの悩みが虫歯の存在だった。

 前歯の差し歯と、奥歯の虫歯の治療にで医者にかかっている途中で逮捕されてしまったので、削り取って大きな穴が空いた状態で放置することになってしまったのだ。

 削って広げた虫歯の穴に食物の残りかすが入っても、留置場には爪楊枝も無いし、食後に歯磨きどころか口をゆすぐことも出来ない。

 朝食で入り込んだ飯粒が翌朝の洗顔のときまででてこないので、これには閉口した。

 看守に尋ねると、警視庁の建物内には歯科医院もあるので、担当刑事に頼んでみろ、と言う。

 確かに起訴された囚人の何人かは「これから長い務めがあるのだから、せめてここに居る間に虫歯ぐらいは治していけよ」と刑事が言って、面倒見に出してもらって治療を受けるという。

 私は早速取り調べ刑事に頼んでみたが、白石主任は応じてくれない。

 「自白もしないような容疑者に対してそこまで面倒を見たら、俺たちが笑われる。

 急患ならばともかく、虫歯で死ぬ奴はいないから我慢しろ。拘置所へ行けば歯医者も居るよ」

 私が殺人容疑を認めないから歯科治療を受けさせない、と露骨に言うのだ。

 このように身体的な障害が場合によっては自白強制の取引材料にされることもある。

 4ヵ月半の留置場生活で、私の虫歯の穴は腐り始めてしまった。

 余談ながら、拘置所移監後の治療状態に触れておけば、、歯科治療などとは名ばかりで、月に2度の診療日には患部にクレオソートを塗る以外のことをしない。

 虫歯の穴にセメントを詰めて欲しいと頼んでも一笑に付され、治療は社会復帰してからゆっくりやれという態度である。

 この5年間で、3本の歯がかろうじて形をとどめている程度に腐りはて、現在なおも腐食が進行している。

 留置場の医療については、このように、取調官の自由裁量に任されているという問題点もあったが、内科の診察については行き届いていた。

 留置場エリアの中にキチンとした医務室が完備されていて、毎週、内科医が出張診察に訪れていた。

 特に体の不調を訴えていない者でも、2週間毎に健康診断を受ける仕組みになっている。上半身裸になって、触診を受けた後、異状の有無を尋ねてくれる。

 不調を申し出れば投薬なり、必要な治療が受けられるようになっている。

 取調べの都合に関わらず、看守から健康診断の連絡があると、被疑者を留置場へ連れ戻さなければならない。

 取り調べ刑事の意向とは独立して、このように内科医の診察を受ける機会があるということは、取り調べ時の肉体的拷問に対する誘惑を抑制するのに効果があるはずだ。

 刑事の暴行によって生じた内出血痕を健康診断で発見された例は、マニラ保険金殺人事件の小林良夫被告など、他にも多数ある。

 私は四十肩で腕が上がらない悩みを訴えて、これに対して鎮痛剤を出してもらっていた。

 不眠症を訴えて睡眠薬を貰うもの、便秘を訴える者、心臓病の者など、多くの留置人が体の故障のために治療を必要としていたから、留置場医療は重要な役割を果たしていたことになる。

     次のページへ進む   上申書の目次へ戻る   ホームページのTOPへ戻る