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上申書・76 二重の差別

   二重の差別

 私はボヘミアンというか、極端に自由を好む性格であって、身体的には勿論のこと、精神的にも他人から拘束・抑圧された生活を維持することができない。

 会社などの組織に属して仕事をすることすら拒否して、これまでの反省を送ってきたほどで、自由な行動とプライバシーをほぼ完全に奪われた留置場への拘禁は耐え難いものだった。

 これも自分の犯罪の償いだと考えれば、それなりに諦めもつこうが、この私にとっての逮捕拘禁は、何の理由も無い理不尽なものだ。即ち、国家権力が行った重大な犯罪行為だとしか思えないので、諦めて不自由さを受け入れようという気持ちが起こらない。

 そのために、有実の容疑者に比べると、留置場の耐え難さは何倍も大きいのである。

 その上私にとっては、ここが単に自由を制限するための留置場だったのではなく、まさしく犯罪捜査に利用することを目的にした代用監獄だという点が問題だった。

 前述した留置場の1日の生活は、起訴された者が拘置所へ移監されるまでの一定期間過ごすか、あるいは、被疑者が捜査官に逆らわずに素直に犯行を認めた場合に想定される生活の時間割に過ぎない。

 私について言えば、135日間の留置期間のうちで広範の3分の1が該当しただけである。

 殺人容疑で起訴されるまでの90日間は、留置場は私に自白を強要させるための武器になって迫ってきた。

 容疑事実を否認したりして、取調官の機嫌を損じているような囚人には、留置場内で許されているほんのわずかの自由でさえも見事に制限されてしまう。

 例えば留置場の自分の房にいる限りはプライバシーや自由に制限はあるにせよ、何時でも好きなときにトイレに行くことができる。黙っていても時間が来れば食事が配給されてくる。頼めば好きなときに水を飲むことも出来る。

 ところがいったん取調室に連れ込まれてしまえば、この密室の中で何が行われようとも一切外部に漏れる心配がない。留置規則など守られたためしはないのだ。

 便所へ行くのも、ひげを剃るのも、食事を摂るのも、すべて取調官の思し召しに縋るよりほかない。

 この調書に署名して認めれば、仲良くしてやろう、便所へ連れて行こう、食事時間にしよう、タバコに火をつけよう、お茶を入れよう、という具合。逆に、これを拒否すれば不自由さに耐えているよりほかにはない。ただでさえ制限のきつい留置生活だというのに、私の場合はそこを代用監獄という、さらに二重の差別を生み出すシステムとして利用された。

 人が生存するのに必要な最低限度の生理現象ですら自白強制の取引材料にされるのだから、代用監獄とは冤罪者にとっては過酷な制度である。

 私の初逮捕から2週間ほどは、日勤看守の交代時間が過ぎると直ぐに留置場から引き出されていたので、その間は運動などに出られることも知らず、勿論、一度も参加させてもらえなかった。他の留置人から聞いて知り、何とか朝の運動時間だけでも出して欲しいと取り調べ刑事に頼んでみたが、事件を認めさえすれば、要求をどんどん聞いてやろうと言う。

 私を15分間ほどの運動に出すかどうかも、留置規則などではなく、取調官の自由裁量で決まってしまうのだから、どうしても運動にでたいと思えば、ある部分は取調べに妥協して、取調官と取引していくしかない。

 私は佐藤殺害のような重大容疑を認めるわけにはいかなかったが、その代わりに他の公正証書原本不実記載やら、私文書偽造やらの罪を認めることで、取調官に媚びて、少しずつ運動へ出る機会を増やしていった。

 食事のこともある。

 留置規則では3度の食事はすべて留置場へ戻って行うことになっていたし、私の拘留中にも、食事時間が来たら取調べを中断して留置場へ被疑者を帰すように、との総務課長通達が回ってきていた。

 しかし刑事たちは、いちいちそんなことをしていたら調べのリズムが狂うからといって守ろうとしない。

 従って私の食事時間は、取り調べの都合によって刑事に最も有利なタイミングで、即ち、私にとっては最悪の状態で決められてしまう。

 直前まで大声で罵倒されていて、その神経の高ぶりも静まらぬうちに、さぁ食えと言って、冷めた飯碗を突き出されても、とてもゴハンが喉を通るものではない。

 しかも、今まで大声を上げていた刑事が、まだ額に青筋を浮かべたまま、憎々しげに監視している真ん前で食べるのだから、胃の働きも鈍るし、消化も悪くなる。

 短期間のことならばともかく、私の場合、こんな状態がほぼ3ヶ月間、毎日休みなく繰り返された。

 食事だけでも留置場でとらせて欲しいと何度も刑事に頼んだし、弁護士との面会時にも当局に申し入れてくれるように言ってみたが、これはとうとう最後まで聞き入れてもらうことが出来なかった。

 厳しい取り調べの緊張と時間の余裕のない食事のために、すっかり消化器官が働かなくて、新陳代謝リズムが狂うことが多かった。

 しかし腹の具合が悪くても、取り調べ途中で刑事にトイレを頼むことがなかなか出来ない。

 散々に恩を着せられたあげく、腰縄の端をしっかりと握られたままで、人の出入りするトイレのドアを開け放した状態のままでしゃがみこむくらいなら、脂汗を垂らしながらでも、我慢することの方がまだましだと思う。

 留置場に戻った後で用を足し、そこには食べたものがそっくりの形と色を保っているのでギョッとすることが何回かあった。

 このように無様で苦しい醜態に陥らぬためにも、また自分の体調を維持するためにも、勾留中に一番大切なことは取調官との対立を最小限でとめることに尽きる。

 自分にとってどうしても譲れぬギリギリのこと以外では、捜査官に迎合して当局のシナリオを認めざるを得なかったのも、殺人容疑の長期勾留下では生理的に止むを得なかった、と今では思う。

 睡眠時間についてもそうだ。

 留置場では就寝午後8時、起床午前6時と決まっていたから、通常は10時間の睡眠時間が確保されていて、健康上の問題はない。

 しかし私の場合、取調べを終えて留置場へ戻されるのは毎晩12時ごろと決まっている。

 しかも私の取調べと来たら、夜の部が最も激しいのである。

 夕食時間が来て、周囲の取調室から人の姿が消え、私に対する怒鳴り声が他の留置人たちに聞かれなくなってから、本格的な罵倒制圧型の調べが始まる。

 怒鳴られ、小突き回されて、神経がズタズタに切り刻まれたようなところへ

「テメエのような蛆虫野郎の顔なんぞ、見るのもいやだ。今夜はもう帰れ、この野郎!」と、最後の悪態を突かれて追い返されてくるのだ。

 体を横たえたからといって、神経の興奮が直ぐに静まるはずもなく、眠れはしない。

 それに逮捕の初日に一睡もできなかったのに続いて、毎日3、4時間という極端な睡眠不足状態が続いていたので、限度を超えた疲労感のために、かえって神経が休まらなくなっている。

 また、私の仕事が深夜飲食店の経営だったので、明るくなったころに眠りにつくという、昼夜逆転した永年の習慣はなかなか変わらない。夜中の12時過ぎというのは、神経が最も活動的な時間帯でもあったのだ。

 体のほうも、疲れて果てているというのに、毎晩午前2時の交代看守の靴音を聞くころまでは眠ることは出来ない。こうして睡眠3、4時間という生活が殺人容疑で起訴されるまでの90日間も続くことになった。

 この90日間のうちで、私が留置場の就寝時間に間にあって帰ることが出来たのは、わずか6日間しかなかった。

 取り調べ刑事が全員で福岡へ実地検証に出張したために、深夜の調べがなかった9月上旬の3日間と、最後の起訴の日を含む2日間、それに予定外の検察官調べが入った1日だと覚えている。

 これ以外の84日間については、ほとんどが深夜の12時ごろに、寝静まった留置場へこっそりと戻されてきた。

 この間ずっと、私の寝具を所定の棚から下ろして6室に入れて置いてくれたのは5室の副島房長だった。

 汚れた衣類の洗濯を頼まざるを得なかったことと併せて、副島氏には迷惑をかけ続けていたので、これがいつも私の大きな心理的負担になっていた。

 私の取調べが連日深夜まで続くことは、留置場の話題になっていたようだ。ある看守が

「自分は庁舎が新しくなってから5年もここの勤務だが、折山のように厳しい調べを見るのは初めてだ。担当の刑事さんも大変だろうけど、お前も良く頑張るなぁ」と同情している。

 しかし、刑事は4名が次々に交代しながら担当しているのだし、さらに、検事の取調べ時間もローテーションに組み込まれているのだから、それなりの休息が確保されている。

 朝、留置場を一歩でたときから深夜に戻ってくるまで、絶えず取調官の鋭い目に囲まれている私の心理的、肉体的な負担とは比べものにならない。

 このようにして運動にしても、食事や睡眠時間にしても、私に対する処遇は警視庁の留置場ルールによるものではなく、取調官の腹づもり一つでどうにでもなるという、代用監獄ルールで実施されていた。

 睡眠不足、運動不足に加えて、劣悪な食事、絶えざる精神的緊張のために、勾留後数10日も経た後の私は、体力も気力もすっかり衰えてしまった。

 付随して、記憶力や注意力も散漫になる。

 徐々に夢遊病者のようになって、いつの間にか取調官の手の内に取り込まれ、操られ易くなっているのだ。

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