上申書・77 落差

   落差

 取調べ刑事の言うとおりに罪を認め、自白調書へ署名しさえすれば、容疑者は刑事曰くの「お客さん」に一変する。

 面倒見(めんどうみ)と称して、担当刑事は骨身を惜しまずに徹底して被疑者の世話を焼いてくれるのだ。

 被疑者から自白をもぎ取るための密室だったものが、今度は逆に囚人に有利に作用して、刑事は多少のルール違反には目を瞑って、囚人のために出来るだけ自由を確保するための密室に作り変えてくれるのである。

 投資ジャーナル事件の加藤会長のところへは、拘置所へ身柄が移される前日まで、休日を除く毎日の昼11時になると、定期便のように担当刑事が迎えにやって来て、午後の1時ごろになると連れ戻されてきた。

 その都度残っている留置人たちは羨ましそうに「今日の昼は何を食ってきた?」と尋ねる。

 「うん、今日は○○の握りずし」。毎日のことだから加藤氏も悪びれずに応える。

 その日によってうな丼があり、ステーキ、てんぷら、中華料理と、留置場の貧しい食事と比較したら夢のようなメニューが日替わりで報告されていた。

 それからひとしきり留置人同士のグルメ論争が始まる。

 にぎりずしなら○○より××の方がネタが良い、ラーメンなら△△の横綱ラーメンを一度試してみろ、□□の焼肉は量が少ないけど実にうまい、○○から取るなら鉄火丼が安くて良い、等など。

 彼らはこの雑談で得た情報を下にして、早くも明日の昼飯に何を食おうかと頭に描いているのだ。

 面倒見に出してもらう時間を、昼飯前にしてくれと頼んでいる被告人は多かったし、刑事のほうも承知していて、翌日昼の出前の予約まで受け付けることがあるのだという。

 面倒見に出してもらう被告人は、金さえあれば著名な店からフルコース料理の出前を取調室へ運び込んでもらうことも可能だったのである。

 保険金詐欺事件で起訴されていた、タクシー会社の熊谷常務は、自分の取調室に事務用品やら会社の帳簿類も差し入れてもらって、まるで出勤するように朝から夕方までここへ通っていた。

 実刑で服役することが確定的なので、自分の不在中の仕事の引継ぎや残務整理が終わるまで、拘置所へ移監しないように頼んであるのだという。

 そして取調室には予め刑事に頼んで数紙の新聞を定期購読している。留置生活だというのに、社会の動きを実に良く知っていた。

 留置場に夕食後の雑談時間が訪れると、先ず、熊谷氏の「本日のニュース」報告から始まる。

 外部の情報から遮断されている留置人たちは、どんな小さなニュースも聞き逃すまいと耳を澄ます。

 関西に居住している囚人の中には、プロ野球の阪神が勝ったというニュースを聞いて涙ぐむ男もいるのだ。

 この年は阪神がリーグ優勝した。

 よくやってくれる刑事ですね、と言う私に対して、熊谷氏は答えた。

 「デカ達も、交代でやってきては雑誌を呼んだり、居眠りしたりして、ごろごろしている。まるで刑事の避難所だ。

 面倒見という口実で堂々とサボれるんだから、刑事も迷惑だなどとは思ってないさ。

 もっとも、彼らにはそれなりの点数を稼がしてやったんだけど・・・」

 著名な総会屋だという噂の山崎Y氏は、商法違反の逮捕容疑を否認していたころには、厳しい取調べの途中で小便まで漏らして留置場へ戻されたほどだった。

 でも、刑事と取引して容疑を認めることにした後では、取調室が専用オフィスに早変わりしたという。

 備え付けの警察電話を使って証券会社と連絡を取り、毎日、株の取引をする。

 今日は1日で何10万円儲けた、などと笑って話すのを聞くと、私の取調室とはなんと違うことかと呆れてしまう。

 極東関口一家のY総長は、服役後に備えて細かな段取りが必要だといって、毎日、家族やら若い衆を取調室へ呼んでもらって、打ち合わせに忙しいと言っていた。

 留置場の面会室で、立会い看守の目と時間を気にしながら、金網越しで面会する必要など無い。

 担当刑事の腹づもり一つで、取調室で相手に直接触れながら、時間制限もなく交流できるし、書類チェックも出来る。

 時には、気を利かせた刑事がそっと席をはずすことだってあるというのだ。

 「今日は女房の持ってきた『紅茶』を飲みすぎて、すっかり酔っ払っちゃったよ。しばらくは飲めないと思ったら、つい、度を越してしまった」赤い顔の総長が豪快に笑う。

 彼らのように、優遇されて刑事に面倒を見てもらっている連中は、私とは逆に、刑事が留置場から連れ出してくれるのを待っているし、また、1分でも長く取調室にとどまっていようとする。

 食事は留置場内で取らせるように、などという通達がでると、囚人たちのほうから文句がでる。

 取調室という密室にいる限りは、留置場の不自由な規則に縛られずに、勝手気ままに過ごせるのだから、退屈な留置場へ戻りたくないのも当然だった。

 副島氏などは4月10日に逮捕され、5月に起訴された後も拘置所へは移監されない。事件の公判が始まっても警視庁の留置場からずっと裁判所へ護送されていたので、いつの間にか房長と呼ばれ、記録的な長期勾留者になっていた。

 刑事が良く面倒を見てくれるので、移監せずに、1日でも長くここへ置いといてくれと頼んでいると、彼は言っていた。

 しかし実際には、共犯2人が否認している事件で、彼の自白だけが頼りだったので、裁判の行方の目途がつくまでは彼の供述が覆らぬように、捜査当局が手元において手厚く待遇していたのではなかろうか。

 副島氏が拘置所へ移監されたのは、第6回の公判を終えた12月末のことである。

 代用監獄のシステムは、取調官の腹づもり一つでアメとムチを自在に使い分けられる点に最大の特長がある。

 面倒見から戻ってきた留置人が、いかに自分が優遇されているかを自慢するたびに、刑事と激しく対立して容疑内容を争っている者は、それを聞かされて、あまりにも大きな待遇の落差と自分のあまりにも惨めな境遇を思い知らされる仕組みだ。

 私の取り調べ刑事も次のように言って、取調官と妥協するように勧めた。

 「毎日、お互いが渋い顔をしてにらみ合い、不愉快になっているだけじゃしょうがない。

 早く俺たちにもお前の面倒を見させてくれよ。

 苦労した事件であるほど俺たちには可愛いものなんだ。

 改悛した容疑者には、身内のことのように親身になって面倒を見る、あとの事を心配せずに安心して服役できるように徹底的に世話をするというのが、ここの伝統なんだ。」

 「お前だって本当は女房や子供とも会いたいだろうし、仕事のケリだってつけたい事があるだろう?

 お前がここで指示すれば、俺たちが飛び歩いて、責任もって後始末をつけてやるよ。仲良くしようや。」

 予期せぬ逮捕と長期勾留で、突然に社会から隔離されてしまった私には、魅力的な申し出である。

 ウソだろうが何だろうが、刑事の言うとおりに認めてしまって、早く私も面倒見とやらの恩恵を受けたいと、何度思ったか分からない。

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