20.起訴後勾留(10月14日~11月28日)
虚偽自白の理由
「自白なんてものは、警察に引っ張られれば誰だってしゃべる。あんただって2時間か3時間あれば、オレは落としてみせるよ。警察は、吐かせるためなら、何だってするからね」
元捜査官が語った言葉として、何かで読んだ文章を私がメモしておいたものからの引用である。警視庁での135日間の経験からしても、まさにこの通りであったと断言する。
2、3時間あれば、というのは誇張があるにしても、容疑者として取調室に連れ込まれた以上は、真犯人であれ、あるいは無実者であれ、取調官との闘いに屈するのは時間の問題に過ぎない。
簡単に屈しないような被疑者であれば、10日、50日、100日といくらでも勾留期間を延ばして密室に閉じ込めておくだけのことだろう。
永遠にこの拘禁の苦しみが続く、と脅されただけで、たいていの被疑者は取調官に迎合してしまう。
取り調べに抵抗する訓練を受けた公安事件の活動家や、予め逮捕されることを想定して、その対策を練っていたプロの犯罪者であればいざ知らず、一般刑事事件の容疑者の自白調書を取ることなど、取調官にとってさほど困難なことではあるまい。
所詮はプロとアマチュアの違いなのだ。
私の場合もその例に漏れず、取調官の自在の自白強制テクニックに翻弄され、心身ともにボロボロに傷つけられたあげくに、当局の狙い通りの自白調書へ署名させられてしまった。
特に別件逮捕容疑とされた、財産処分関連の事件については、比較的簡単に認めさせられている。
取調べというのは捜査官と被疑者との激しい心理的な闘争だと思う。
密室の中で長時間にわたって心理的に抑圧され続けている内に、被疑者は一種の軽い催眠状態に陥ってしまい、正常な判断が出来なくなってくる。
優秀な取調官というのは催眠術師でもあるのではなかろうか。
取調官から受ける抑圧の苦痛がある一定限度を超えたとたん、こんな苦しみから逃れるためならば、たとえウソの供述をしても許されるのではないか、と自分に甘える気持ちが生じて、自ら良心を麻痺させてしまう。
自白強制圧力という苦痛が理性に打ち勝つのである。
それでも、深層心理に深く刻み付けられた倫理観念だけは、催眠術によっても自在にコントロールできないらしく、密室で催眠状態に陥っている私でも、殺人罪などという重大な事案については、やりましたなどという虚偽を認めることに抵抗があった。
その代わり、財産処分関連の事案については、理性の抵抗感はかなり薄れていて、取調官の誘導に屈してしまったのだ。
私の135日間の取調べ期間中の詳細については今まで述べてきた通りだが、この間に私は、実にさまざまな供述をしている。
この中には自ら犯行を自白したかのような場面が何箇所もある。
これについて今振り返ってみると、その場その場の私の意識としては、常に冷静に判断して自ら十分に計算しながら、最善の方法を探しながら対処してきた、という印象が残っている。
でも今の自分が客観的に見れば、一体なぜこんな供述が出来たのか、理性的な対応をしていたとはとても思えない。
限られた情報しかないまま長期間の暗示を与えられ続けているうちに、自分の思考が無意識のうちに特定の方向へ誘導されていって、その結果の対応すべてを、自分の理性で判断したものと思い込んでいるのである。
これは、やっぱり私が催眠状態にあったからだと理解するしかない。
ところがこんな私に、催眠状態から脱する機会が突然にやってきた。
刑事たちと検事との捜査方針の食い違いに乗じて、私が佐々木検事に迎合する供述態度をとったために、刑事たちの私に対する取り調べに数日間の空白が生じてしまったからだ。
検察庁の方針に逆らって別なシナリオを私に押し付けるわけにも行かず、刑事たちは捜査の流れの中で浮き上がってしまい、所在無いままに全員が9月上旬の数日間にわたって、福岡へ出張してしまった。
この間の取調べは佐々木検事が一人で担当するだけだから、午後になって始まった取り調べも夜8時前には終了する。
私は、規定の就寝時刻に間にあって留置場へ戻り、自分の手で寝具を運び込んで、他の留置人と同じように、朝までぐっすりと眠った。
これまでの50日間の慢性的な睡眠不足を一気に解消し、そしてやっと留置場生活のリズムを身につけることが出来たのである。
翌日も午前中の取り調べはなかったから、房内でゆっくりと食事をして、運動にも出る。考えるための時間も確保できた。
他の留置人とも余裕を持って会話することも、情報を入手することもあったから、人との交流によって得られる心の安定は大きい。
十分に眠ったことで肉体的な疲労も取れ、気力が充実するから、判断力が正常に働くようになる。
逮捕以来、間断なく責め続けられていて、自分でじっくりと考える余裕も無いままに、その場その場の思い付きだけで取調官に対処しなければならなかったのと比べると、雲泥の差である。
このときの数日間の私は、今までの取調べ状況をゆっくりと整理して、反省するための時間がたっぷりともらえた。
その上、佐々木検事の取調べにしたところで、1対1でゆっくりと対応できるのであれば、私の思考も混乱することは無い。
一騎打ちであれば、取調官との戦いに対抗できる。
今まで、四方から矢継ぎ早に追及されていたために、理性的な対応力を超えて熱に浮かされたように催眠状態に入り込んでいた自分をやっと取り戻すことが出来た。
熱が冷めてみれば、捜査当局の企みが見えてくる。
私は当局の描いている犯行シナリオの誤りを正し、場面場面の真相が解明されれば、結果として自分の無実は証明されるのだと、はじめから考えていた。
だから、自分の手持ちのデータを思い出す限り、すべてを捜査側に提供してきた。しかし、当局は私のデータを得ても、真相を解明しようとしているのではなかった。
当局のシナリオにボロがでれば、そこを私から得たデータで塗り替えて補修するだけで、私が佐藤を殺害したという筋書きだけは絶対に崩さぬことがわかった。
私が弁解すれば、当局はその弁解を分析して、無実の証拠を一つずつ潰すことだけに精力を傾け、このデータで真相を究明しようなどとは考えていない。
このように気付きさえすれば、もはや刑事たちに真実を語っても無駄だと悟る。
もう二度と夢遊病者のごとく取調官に操られるようにはなるまいと、新たに気持ちを引き締めた。
白石主任をはじめとする4人の取調べ刑事が福岡から返ってきたころの私は、以前とは違って全く冷静そのもので、かえって刑事の追求のテクニックを分析して楽しむ余裕すら持っていた。
私の変身振りは彼らにもまもなく理解できたのだろう、それから以後は、保田、明神両刑事の罵倒制圧型の取調べは少なくなる。もう力だけで押しても効果が無いことが分かったのだ。
佐々木検事は公判証言によって、このころの私が自暴自棄に陥っていた、と述べているが、彼だけが私の変身に気づかなかったのだろう。
自暴自棄どころか、このころの私は、真正面から取調官と対決しているという気力が充実していた。
それからしばらくして、警察も検察もやっとこの事件の最終シナリオを完成させたのである。
佐藤の裏切りに怒った私が福岡まで追って行き、佐藤滞在のホテル客室で灰皿で殴って殺害し、死体を運び出して三郡山の中腹に遺棄した、というのがその最終シナリオである。
この内容の供述調書を作り上げた刑事たちは、何とかこれに私の署名を得ようと何度も迫ったが、すでに夢から覚めている私には通じない。
もしもこの犯行シナリオが9月初旬までに完成していたなら、誰が見てもとっくに密室の中の操り人形のようになっていた私のことだから、刑事たちの要求に押し切られて署名してしまったに違いない。
真相を究明するためだとか、正義を通すためだとか標榜してはいるものの、警察、検察の実態は犯人をでっち上げるために血道を上げているだけなのだ。
その正体を見抜いてしまった今となっては、どんなに甘い言葉で釣ろうとしても私が取調官の言いなりになることはもうなかった。