上申書・80 課長面談

   課長面談

 やはり私の移監が近づいてきたある日の午前中のこと、取調室へ捜査4課長が直々にやってきた。

 この栗本課長はキャリア組のエリート幹部で、来年は本庁の課長に栄転して、数年後にはどこかの県警本部長になる人物だと白石主任から聞いている。

 捜査実務に携わらないエリート管理職が事件の被疑者に直接会うなんてことは前例がないので、一体どんな風の吹き回しかと、白石主任はいぶかっていた。

 私としても、そんなお偉いさんが、捜査本部が解散した後の今になって、一体何のためにやって来たのかと少々緊張する。

 取り調べ刑事たちには別室で待機しているようにと指示した後、係長だけを同席させた栗本課長は、机を挟んで私の正面に向き合うと、不安げになっている私に言った。

 「私は取り調べに来たわけではないからリラックスしてくれたまえ。

 私はこの事件について報告を受けたり、資料を見たりして知識を得ただけだが、このような凶悪事件の犯人イメージと、捜査記録で見る君のイメージがあまりに違うんで不思議になってね、私の担当した事件で何か大きな見落としでもあるんじゃなかろうかと、自分の目で確かめたくなったってわけだ。」

 「一例として、学生時代に貰った奨学金を、今もって君は毎年1万円づつ律儀に返し続けているね。

 これは人生とか、今の社会とかを肯定した素直で常識的な行為だと思う。

 一方で、人を殺してその財産を奪うなんてのは、人間や社会に対して反逆する不信感に根ざした行為だから、この両者は重なりにくいと思っている。

 返すにしても、君が大金を手に入れたときに、奨学金の残額を一度に返済しようとは思わなかったのは何故かね。」

 「私の課でも特に選りすぐって、人情味豊かなベテラン捜査官を4名も張り付けたのに、とうとう君の前面自供を得ることが出来なかった。

 これも不思議なことで、私には到底信じられない。

 一体君は、人間の心が通じないほど、そんなに冷血なんだろうか」

 誇張はこのような話題で、たくみに私を雑談に誘導して行った。

 別に私は対話を拒否する気持ちはなかったから、問われるままに今までの自分の生きかたや信条、この事件に対する考え方などを話す。

 1時間ほども雑談した後に課長は帰って言った。

 特に一つのテーマについて深く対談したわけではないので、このときの対話の内容は私にとっては印象が薄くて、あまり記憶に残っていない。

 この課長面談に関する白石主任の解説は次のようなものだった。

 「この事件については上層部からの特命みたいにして、4課が担当したという経緯があるから、途中で何度も捜査報告が警視総監まで上がっていた。

 きっとトップから事件の結末と見通しでも問われて、課長が直々に最終確認するために来たんだろう。

 そうでもなけりゃ、ほんの腰掛みたいに1年しか担当しないお飾りの課長が、この事件に直接にタッチする理由がない」

 そういえば私がこの事件を、暴力団担当の捜査4課が担当した理由を尋ねたときに、白石主任がこのように言っていたことがあった。

 「この事件は本来ならば、凶悪犯罪担当の1課の内容だが、1課が普通のやり方でやったのでは立件できなかっただろう。

 警視庁では、事件がどのように展開するか分からぬ特異な事件というのは、トップの特命で4課が担当することになっている。

 上層部の応援があって、4課が担当したからこそ、曲がりなりにもこの事件が片付いたのだ。」

 総員3、4百名にもなるという4課の責任者が忙しい時間を縫ってやって来たのだから、私に面談することに何か意味があったに違いない。

 その目的を考えても、白石主任の言うとおり、トップに最終報告する資料収集のため以外の理由は思いつかなかった。

 この事件は形の上では、起訴されたことで警察の成果が上がったように決着がついていたが、実際にはその評価がぎりぎりのところだったのではなかろうか。

 今後の裁判のことなど考えると、情勢は必ずしも警察有利との確信を持てる状況になかったので、せめて私と直接に対話して、自分なりに納得したかったのだろう。

 こう考えて、私はまもなく開始される裁判にかける希望が膨らむ思いになっていた。

     次のページへ進む   上申書の目次へ戻る   ホームページのTOPへ戻る