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3.事実誤認を認めている

 二、事実誤認を認めながら一審判決を破棄しなかった違憲違法(憲法三一条違反)

 原判決は一蕃判決の重要な部分で事実誤認を認めながら、一審判決を破棄しなかったものであり、これは法の正当な手続の要請に背反して、被告人の防御権を奪い、かつ、犯罪事実を明示し十分な理由を付した判決によらなければ刑罰を科せられない被告人の権利を侵害したものであって、憲法三一条に違反する。

 即ち、一審判決は、「罪となるべき事実」では犯行日時を昭和55年7月24日又は25日と幅の広い認定をしているが、理由中では、

    「被告人がレンタカーを借りたのが午前9時であり、このときまでに佐藤は死亡していたと堆定され、…」(91丁裏)

と判示しているから、犯行を7月25日午前9時以前と見ていることは明らかである。ところが、原判決は、

    「被告人が九州に言った日を7月24日とするにはなお合理的疑いが残るというべきであるから、原判決はこの点に関し事実を誤認した疑いがあるというべきである。したがって、本件犯行の日を7月24日又は25日とした原判決の認定は、一部修正を免れないことになる」 (49丁裏)

と判示して、一審判決の認定した事実に重大な変更を加えた。 それにもかかわらず、原判決は次のように、この判断の持つ意義を軽微に見せ掛け、一審判決を破棄しなかった。

    「被告人が福岡市に来たのが7月25日であっても、被告人が段ボール箱等を入手するためにホテルを出た時刻が若干ずれるなどの影響が生じるだけで、犯行の大筋に影響を来すものではないから、右の誤りは、判決に影響を及ほすものではない。」(49丁裏)

 しかしながら、この認定の変更が及ぼす影響はそのように瑣末なものではない。

 即ち、原判決の認定するように、被告人が7月25日に羽田をたったとすると、一審判決の言うとおり、午前9時までに本件レンタカー常業所に到着することは不可能であるから、犯行は同日午前9時以降にならざるを得ない。

 まず、犯行時刻が一審判決とは重なり合わず、矛盾してくるのである。

 そればかりではない。原判決の理由から明らかなとおり、被告人が25日に福岡に来たとするには、佐藤が本件レンタカーを予約していたと認めざるを得ない(原判決48丁裏)。

 そのことは佐藤が、被告人が同日朝福岡へ来ることを予期し、約束していた場所で待っていたことを意味する。このことは、

「レンタカーを借りて三井アーバンホテルに行ったが、佐藤が泊まっていなかったので、聞いていたもう一つのホテルのフロントに電話したら、佐藤が泊まっているということだったので、その部屋を訪ねた」

という昭和60年9月1日の佐々木検事に対する自白と矛盾する。

 それでは、同年9月12日の同検事に対する自白とは符合するか。その内容は、同検事作成の同月14日付供述調書(署名拒否)(原審検23号証)によれば、

     「佐藤からレンタカーを借りてくるように言われていたので、駅前でレンタカーを借り、待ち合わせ場所である三井アーバンホテルに行くと、佐藤が玄関から出てきたので、二人でレンタカーに乗り、佐藤の指示に従って走らせた。中洲のホテルの前で佐藤が止めろというので車を止め、一緒に来てくれというので、ホテルの多分6階の客室に行った」

というのである。

 待ち合わせ場所で落ち合ったという点は一致するが、ここでもレンタカー予約の事実は出てこない。予約してあれば、佐藤と会ってからレンタカー営業所に行くか、予め佐藤に直接電話して営業所の場所を聞くはずである。

 いずれにしても、三井アーバンホテルで佐藤と会ったとする以上、本件犯行が博多城山ホテル414号室で行われたと認定するためには、自白のいう中洲のホテルの客室がその部屋であると認定した上で、9月12日付の自白をとらざるを得ないことになる。

 しかし、この自白をとると、何の目的で二人が一緒に客室に入っていったのか説明がつかない。客室の中で突如としていさかいになったというのも極めて不自然である。

 計画的犯行であるとするならば、ホテルの客室を犯行場所に選ぶことは非常識であるし、凶器をいかにして持ち込んだのかを説明しなければならない。さらに、一緒に部屋に入りながら、その直後に

「両者の喧嘩闘争中になされたようなものではなく、佐藤の隙を襲って加えられた一方的なものであったと強く窺われる。」(一審判決96丁裏)

ような攻撃がなされたというのも理解し難い。

 これらの難点があるところから、一審判決は、被告人が佐藤の在室する博多城山ホテル414号室を訪ねたと考えていることが窺われる(95丁表、85五丁裏、96丁裏)が、レンタカー予約の事実を認める以上、そのような認定は不可能である。           

 また、一審判決は、城山ホテル客室清掃員であった矢野トメ子が昭和55年7月下旬頃同ホテル414号室を掃除した際、ベッドの枕元付近に多量の血液が付着し、部屋のシーツ等が紛失し、ベッドの足元付近にメモと5千円札が置いてあったことを目撃した事実を認定し、これをもって佐藤を同ホテル客室で殺害したとの被告人の自白の裏付けと認定した(81丁裏~83丁表)が、原判決は、

    「矢野が証言した血痕の状況が果たして本件の7月25日のものか或は別の機会のものか必ず判然とせず、同女に記憶の混乱がある疑いがないとはいえない」(53丁表)

として一審判決の認定に疑いを差し挟んでいる。それにもかかわらず、原判決は次のように続けて一審判決の認定を維持した。

    「ベッドの上に謝罪のメモと5千円紙幣が置かれていたという事例はかなり特異なことであるから、矢野がいう血痕の状況そのものはそのときのものでないとしても、血痕でベッドが汚され、謝罪のメモと5千円紙幣が置かれていたのは事実と思われる」 (53丁)

 しかしながら、矢野は血痕とメモと5千円札をワンセットで記憶して供述しているのであり、血痕の記憶に日時の混乱があるのであれば、メモと5千円札の記憶にも同様に日時の混乱があると考えるのが自然である。

 それらだけ切り離して考えることは経験則に反していると言うべきである。いずれにしても、原判決は矢野証言を全面的には信用していない。

 さらに、一審判決は、城山ホテルのフロント主任であった今永幹雄が7月下旬の昼頃の時間帯に台車なしで重そうな段ボール箱を搬出している人間を目撃した証言をもって、佐藤の死体を梱包した段ボール箱をフロントの前を通って搬出したとの被告人の供述の裏付けであると認定した(93丁)が、原判決は、

    「前記今永がその供述するような光景を現認したことに偽りはなくても、その時期についてなお曖昧さが残るというべきであるから、右視認事実を被告人の本件犯行と結び付けるのには合理的な疑問が払拭しきれないというべきである。」(58丁裏~59丁表)

と判示して、今永証言も自白の裏付け事実から排除した。

 以上に照らして、一審判決の想定した犯罪事実と原判決の想定した犯罪事実とを対比してみると、原判決は 「犯行の大筋に影響を来すものでない」と強弁しているが、犯行の大筋が変更されていることは明らかである。

 即ち、一審判決の想定したのは、

7月24日羽田出発→城山ホテルに佐藤を訪ねる→佐藤殺害→レンタカー借出(7月25日午前9時‥売上伝票による裏付あり)→段ボール箱購入→矢野から紙袋入手(午前10時30分、40分頃‥矢野証言による裏付あり)→死体緊縛梱包→ホテルロビー搬出(昼頃‥今永証言による裏付あり)→死体遺棄

であったのに対し、原判決の認定した事実を繋ぎ合わせてみると、

7月25日羽田出発→三井アーバンホテルで佐藤と落ち合う (7月25日午前9時以降‥確たる裏付なし)→佐藤の予約してあったレンタカー借り出し→一緒に城山ホテルを訪ねる→佐藤殺害→投ボール箱入手→死体緊縛梱包→ホテルロビー搬出→死体遺棄

となるのであつて、佐藤殺害の時刻も異なれば(一審判決では午前9時より前であるが、原判決では早くても午前9時より後になる。当然にこれは、白昼の、それもチェックアウト間近で、客室清掃員が何時清掃に来るかわからないような時間のホテル客室で人を殺害するようなことがあるであろうかという素朴で、かつ根本的な疑問をもたらす)、

佐藤殺害前の被告人と佐藤の行動も異なる (一審判決では佐藤と出会った直後に同人を殺害することになるが、原判決では殺害前に一緒にレンタカーを借り出し、城山ホテル客室まで赴いているのである。これは当然、佐藤殺害の動機にも影響を与える)し、

レンタカー借出しの時期も方法も異なるのである(一審判決では被告人が単独で、佐藤殺害後、午前9時に借り出したことになるが、原判決では佐藤が予め予約しておいたレンタカーを佐藤と一緒に、午前9時より後に、佐藤殺害前に借り出すことになる。当然、レンタカー借出しの自的も異なってくるし、レンタカーを城山ホテルの前に駐車する目的も変わってくる)。

 犯行ストーリーとしても、社会的事実としても全く異なってくるし、何の裏付もない。

 それにもかかわらず、原判決は一審判決の事実認定に重大な変更を加えながら、「犯行の大筋に影響を来すものではない」と強弁して、一審判決を破棄して事件を一審裁判所に差し戻し、被告人にさらに防御の機会を与えることをせず、しかもその認定した犯罪事実を確定することすらせずに控訴を棄却した。

 したがって、形式的には一審判決の 「罪となるべき事実」 が維持されたことになるが、原判決はその認定が 「一部修正を免れない」 と明言しているのである(「事実を誤認した疑いがある」 と言っている点にも問題があり、この表現で24日来福の余地を残した趣旨とすれば、疑わしきを罰したもので、なおさら違法である)。

 どこをどう修正するのかすら明示せず、ましてその修正の結果、事実認定の理由や犯罪の経緯、動機の認定がどう変更されるかを明らかにしていない。

 結局、これは一審判決が犯行日時も特定できなければ、凶器も特定できず、犯行の動機も前後の事情も全く特定できていなかったために、どこをどう変更すればよいのかすらが判明しなかったからに他ならない。

 そもそも一審判決は、被告人がどういう事情からどういう経緯を辿って、何時、何を用いて、何故佐藤を殺害したかは分からないが、とにかく被告人が佐藤を殺害したことだけは確かである、というに等しいものであった。

 はたしてこれで犯罪の証明がなされたと言えるのか、弁護人は繰り返しこのことを問題にしてきた。 どういう事情から、どういう経緯を辿って、何時、何で、何故佐藤を殺害したかは分からないというのであれば、それは被告人が佐藤を殺害したかどうかは分からない、というのが最も素直な結論なのではないか。

 「何時」 佐藤を殺害したのかが明確に特定されていなければ、被告人はアリバイその他それについて防御することすらできないのである。

 同じことは「凶器」についても言える。

 花瓶か、灰皿か、それともそれ以外の何物か。それが特定されれば、被告人としてもその一つ一つについて反証することができよう。

 ところが、「鈍器であれば可能であるから、外からの凶器の持ち込みの可能性も否定し得ない」と言われたのでは、被告人は何を反証すればよいのか。

 原判決はまさに弁護人のこの危惧を現実のものにした。

 被告人は一審公判以来一貫して、アリバイとして羽田を発ったのは7月25日であると弁解してきた。出発日が7月25日ということになれば、同日午前9時前に佐藤を殺害することも不可能であるし、同日午前9時にレンタカーを借り出すことも不可能だし、検察官・一審判決の犯行ストーリーそのものが崩れるからである。

 だからこそ、被告人は7月24日に東京にいたことを証明しようとして、懸命に記憶を喚起し、防御活動をしてきたのである。

 ところが、その防御活動が成功するや、羽田を発ったのが7月25日でも佐藤殺害の認定は崩れないと言うのであれば、不意打ちとしか言い様がない。

 以上述べてきた通り、原判決は、刑訴法三九七条に違反して一審判決を破棄せず、法の正当な手続の要請に違反して、被告人の防御権を奪い、かつ犯罪事実を明示し十分な理由を付した判決によらなければ刑罰を課せられない被告人の権利を侵したもので、憲法三一条に違反する

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