三、捜査官の伝聞供述により被告人の自白を認定した違憲違法
1.憲法三七条二項は「刑事被告人はすべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ」 ると規定するところ、この反対尋問権の保障は、刑事被告人のために公正な裁判を保障する最も基本的権利であり、この権利の具体的保障手続を定めた刑事訴訟法上の各条項も、反対尋問権の行使により真実が明らかになりうる実質的可能性を被告人に保障するものとして解釈適用されなければならない。
この反対尋問権は、手続的には伝聞証拠の排除という形で保障されるが、刑訴法は三二〇条以下において伝聞証拠の証拠能力を基本的に否定し、例外的に極めて厳格な要件の下に伝聞証拠の証拠能力を認めることによって被告人の反対尋問権が保障されている。
しかるに、原審は、典型的な伝聞証拠である被告人の伝聞供述の証拠能力について定めた同法三二四条一項の「被告人以外の者」の解釈について、無限定に被告人を取り調べた検察官も当然にこの「被告人以外の者」に含まれる旨判示しているが、かかる解釈は以下詳論するとおり明らかに反対尋問権を保障した憲法三七条二項に違反する。
仮に同法三二四条一項がかかる限定解釈を許さないものであるとすれば、同条項自体が憲法に違反していると言わざるを得ない。
(1)刑訴法三二二条との関係
刑訴法三二四条一項が準用する同法三二二条一項は、
「被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。
但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑いがあると認めるときは、これを証拠とすることができない。」
と定めており、主に捜査手続における被告人の供述調書の証拠能力について、まず第一に被告人の署名若しくは押印があること、第二にその供述内容が不利益な事実の承認(主に自白)であるか、特に信用できる情況が存すること、が要件となっており、何れかの要件に該当しなければ証拠能力は認められない。
ところで、我が国の犯罪捜査、とりわけ被疑者の取調べは密室で行われ、勿論取調内容について捜査官が録音すべき義務も取調べに弁護人が立ち会う権利も存しないことから、その取調内容や状況を外からはうかがい知る術は全くなく、被告人がどのような供述をしたのかは、被告人と捜査官しか知り得ないところ、取調べは司法警察官の場合でも通常二名以上が同時にあたり、検察官の場合も検察事務官が立ち会うので、取調べの際に被告人がどのような供述をしたかという点について、取調官同士が口裏を合わせれば容易に被告人の供述内容を改ざんできる危険性が存する。
他方、被告人には供述内容を記録する術はなく、仮にかかる改ざんがあっても単に自らの記憶に基づいて空しく弾劾を試みる以外に方法は存しないのである。
そこで、刑訴法は前記の三二二条により、かかる危険を除去するために、被告人の供述調書の証拠能力を認めることとし、その要件を厳格に定めたのである。
そのうちの、被告人の署名若しくは押印が必要であることについて、その実質的理由が被告人が供述した内容がそのとおり録取されているか否かを担保するためであることは論を待たないところ、供述書と異なり供述調書においては、取調官において、被告人の供述内容をそのまま録取するのではなく、取調官が供述内容を取捨選択したり、まとめたり、あるいは順序を変えたりと、多くの場合捜査の目的に合致させる形に整理した上で、一方的に作成し、これを被告人に読み聞かせてひととおり間違いないことを確認させて著名若しくは押印させるのが通例で、従って、供述調書における署名押印は、被告人が自らの供述内容と録取内容の同一性を検証し、その同一性を承認したことを客観的に明らかにしたものである点にこそ、これを要する実質的理由が存するのであり、故に、伝聞法則の例外たりうるのである。
(2)刑訴法三二四条一項も伝聞法則の例外を定めたものであることは論を待たない。
しかし、この伝聞供述には、被告人の署名押印ということは考えられず、被告人の取調時の供述内容が問題となった場合、三二二条では全く問題にならない被告人の供述内容自体の存否がまず問題とならざるを得ないこととなる。
この点につき、公判準備又は公判期日において、取調べにあたった司法警察官又は検察官が証人として被告人は取調べの際にこれこれの供述をした旨の証言を行ったとしても、はたして真実証言どおりの供述を被告人がしたのか否かについてこれを担保するのは偽証の制裁だけなのである。
かかる場合の被告人、弁護人の反対尋問が功を奏することはあり得ないからである。
なぜならば、前記のとおり、取調べが密室で行われるものであり、被告人一人に対して取調官は常時複数である上、かかる証人は公訴維持義務を有する公判立会検察官と同一の利害関係を有しているのであるから、関係者が口裏を合わせれば容易に被告人の供述内容を改ざん、創出できるのであり、そのようなことは供述していない、といくら反対尋問を試みても徒労に帰することは後 に本件でも詳細に検討するとおりだからである。
三二二条の著名押印が必要とされる前記実質的理由、即ち、供述内容を被告人が検証し、容認したことを客観的に明らかにするという担保手続と偽証の制裁とが同一視できるだろうか。
勿論否である。被告人自らが作成し、又は署名押印するという被告人自身の供述内容に対する関与の契機が全くないのである。
原審は、偽証の制裁によって真実性が担保されている旨判示するが、偽証罪の性質上、犯罪の立証は極めて困難であり(証人の記憶と証言内容の不一致を立証しなければならない。)、もとよりその捜査にあたるのは同じ立場の検察官らであり、告訴自体ほとんど受理される可能性はなく、まして、犯罪の成立が認められて処罰に至る可能性は全く存しないことに鑑みれば、取調官たる証人が意図的に偽証をした場合の被告人、弁護人の真実を明らかにする方法は全く存しないのである。
このように、供述調書を作成することなく、取調官が証人として供述内容を証言できることを認めることは、伝聞法則の例外として供述調書の証拠能力を厳格に認めた趣旨をはなはだしく潜脱するものである。
(3)以上のとおり、憲法三七条二項で保障されている被告人の反対尋問権の中核をなす伝聞証拠の原則的排除、例外的許容の立場から刑訴法三二二条、三二四条一項を解釈すれば、当然のことながら、取調べの際の被告人の供述内容に関しては、検察官は、供述書もしくは供述調書という形によってのみ立証できるのであり、それ以外の方法では立証できない、という結論が必然的に導かれる。
従って、取調時の被告人の供述内容については、専ら三二二条の供述書若しくは供述調書によってのみ立証できるのであり、その意味で取調官には供述調書を作成する義務があると言うべきである。
調書を作成しないで取調官が証人として被告人の取調時の供述内容を証言できることを認め、これが一般化された場合の危険性は明白である。
原審判決は、一審判決が、被告人を取調べた佐々木善三検事の証言から被告人の自白を認定したことを是認し、刑訴法三二四条一項の「被告人以外の者」の中には当然取調べ検察官も含まれるとの解釈を示しているが、かかる解釈が憲法三七条二項に達反することは明白である。
仮に「被告人以外の者」について法文上限定解釈できないのであれば、この規定自体憲法達反であると言わざるを得ない。
(4) ア、 ところで、本件においては、昭和六〇年九月一日及び同月一二日の取調べの際、被告人が佐々木検事に対して中洲のホテルで佐藤を殺害した旨自白したか否かが問題になっている。
原判決は、捜査官が被告人を取調べて聴取した内容を公判廷において証人として供述した場合に、その供述に刑訴法三二四条の適用がないと解すべき実質上の根拠は見当たらないとし、その理由として被告人としても公判廷で証人(捜査官)に対し、被告人が供述したとされる内容が正確に再硯されているか否か、十分に反対尋問をすることができ、更にいつでも右証言内容に関する被告人自身の意見・弁解を述べることができるという点を挙げている。
しかしながら、被告人の主張する九月一日及び一二日の取調べでの同人の供述と、佐々木検事の証言する九月一日及び一二日の被告人の供述は、自白(佐藤殺害)の有無という点で決定的に異なっていると言わざるを得ず、しかも自白がないという観点で、自白があったと主張する検察官に対して反対尋問をしてみても全く無意味であることは以下に検討するとおりである。
イ、 九月一日の取調べについて
被告人は、八月二九日河原での佐藤殺害を認める自白調書に意に反して著名指印してしまったうえ、妻との離婚届に署名したこともあり、死んで汚名を晴らすしかないとまで思いつめていたところ、九月一日朝、三度日の逮捕事実について佐々木検事の質問を受けた際、取調室から見える景色を見たところ、万感胸に迫るものがあり、思わず涙がこぼれてしまったが、その際、自殺の決意まで固めた以上今後は一切作り話をしたり、無理をして捜査官を説得する努力を止めようと決意し、午後からの警察官の取調べに対しては佐藤殺害については否認を通した。
夕方からの佐々木検事の取調べにおいても、当初佐藤殺害について一切を否認していたところ、河原での佐藤殺害で被告人を追及していた同検事は既に自白調書もあるし犯行の立証は十分だ、これで起訴できるからもう何もしゃべらなくてもいいと決め付けてきたため、被告人はホテルで死んでいた佐藤の死体を運び出して山中に遺棄したといったところ、佐々木検事が
「そんな不自然な話の裏取りに福岡までは到底行けないね」
と言うので、
「それならいっ々客室で私が殺したことにすればいいでしょう」
と言った。佐々木検事から
「ホテルで佐藤を殺害したことを認めるのか」
と聞かれたので、被告人は
「犯行を否認しても起訴されるというならホテルの方が現美的だというだけで、実際には私は佐藤殺しには一切無関係です」
ときっぱり否認したというのである。
これに対し、佐々木検事はこの日の取調べで、被告人が中洲のホテルの六階にある部屋に行っ たところ、佐藤がいきなり「バッグを返せ」と言ってつかみかかってきたので、花瓶様のもので佐藤の頭を数回殴って殺してしまった。
その後近くの雑貨屋で段ボール、ガムテープ、ビニール紐、登山ナイフを購入し、ホテルに戻っ て佐藤の死体を緊縛し、段ボールに詰め込んでレンタカーに積み込み、太宰府近くの山中に遺棄した旨供述したというのである。
このように、九月一日の取調べで被告人が供述した内容について被告人と佐々木検事の言い分は全く異なっているという他なく、被告人の主張どおりであれば、九月二日に同人がホテルでの佐藤殺害を自白したということは到底言えないのである。
なぜなら、当時、河原殺害説を真実だと思い込んでいた佐々木検事に対して、あくまで河原での殺害を否定するための仮の話という前提でホテルの話が出てきたにすぎず、その内容もホテルに行ってみたら佐藤が死んでいたので死体を運び出して山中に遺棄した、それが不自然だというのなら私がホテルで佐藤を殺害したことにすればいいでしょう、といった程度にすぎず、自分がホテルで佐藤を殺害しましたということは全く供述していないという他ないからである。
ウ、 九月一二日の取調べについて
被告人は、九月一二日には、当初から佐々木検事が河原での殺害は嘘でホテルでの殺害が真実であると決めてかかり、追及されたものの、この日は一切を否認したと供述する。
これに対し、佐々木検事は、この日被告人は再びホテルでの殺害を自白し、凶器は直径二〇センチ位の灰皿であると供述したと証言し、両者の言い分は正反対である。
(5)ところで、現実になされた反対尋問をみると、九月一日の取調べについては
「被告人の方では、いや、自分は絶対やっていないんだと、大分抵抗しませんでしたか。」
「いや、その時はですね。それほど、その、被告人とやり取りがあったという記憶は無いんですが・・・」
「殺していないけれども、仮に殺したとするならば検事さん河原じゃないですよ、ホテルですよとそのような言い方を、」
「いや、そういう言い方じゃありません。」
「その凶器は花びんという話が出てくる過程なんですけれども、被告人は自分はアタッシュケース一つで福岡へ行ってホテルヘはいったんだから、なにかで殴ったといえば部屋の中にあるものでしょうと、じや花びんかなんかでしょうと、そのような言い方をしませんでしたか」
「いや、そういうふうな言い方じゃなくてですね。」
というものであり、九月一二日の取調べについては、凶器が灰皿であると示唆したのではないかとの質問に、被告人の方から言いました。という答がある位である。
(6)このように、九月一日及び九月一二日になされた被告人の供述内容について、被告人と佐々木検事の主張が全く相反し、しかもそれが、被告人の供述内容自体の存否に問わる場合、被告人側の反対尋問は全く反対尋問としての意味をなさないことは明白である。
弁護人が被告人の主張を前提として反対尋問を試みても、検察官は
「そういうやり取りはしていない」
「被告人はそのようなことは言っていない」
と繰り返すだけに終わっていることは、前記(5)でみたとおりである。
被告人側は佐藤殺害を自白したか自白しなかったかの水掛け論の尋問しかできず、検察官が 「被告人がホテルでの佐藤殺害を自白しました」
と証言している以上、被告人が反対尋問によってその事実の存否を明らかにすることは不可能である。
そもそも密室での取調べで被告人が何を供述したかについて、検察官が被告人の自白の存在を否定する可能性は全く存しない。
特に本件においては被告人が自白したか否かが、判決の帰趨を決める重大事実であり、被告人が自白したと称して公訴提起をした検察官が、被告人の自白の存在を否定することは経験則から考えても絶対にありえないことである。
従って、被告人は証人(捜査官)に対して、被告人が供述したとされる内容が正確に再現されているか否か十分に反対尋問することができるから、刑訴法三二四条一項「被告人以外の者」の中に捜査官を含めても問題はないという原判決は極めて形式的・抽象的に反対尋問権を把えたものであって、到底容認できない。
しかも、原判決は、取調官と被告人の利害が全く相反する本件において、取調官の証言を無批判にそのまま取り入れ、被告人はホテルでの佐藤殺害を自白したものと決めつけて有罪判決を下したもので、その不当性は明らかである。
2、捜査官の伝聞供述により被告人の自白を認定することは、また憲法三八条一項で保障されている黙秘権をも侵害するものである。
憲法第三八条第一項は「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定している。
これは、人間性に対する配慮と自白偏重による人権無視を防止しようとする考慮に基づくものである 〔佐藤治「憲法」四一〇頁(青林書院新社)】。
この自己負罪拒否特権は、刑訴法一四六条の証言拒絶権のほか、同法一九八条二項、二九一条二項、三一一条一項の黙秘権に具体化されている。
ところで、被疑者・被告人の権利という視点からは、これら自己負罪拒否特権及び黙秘権は、自己の供述の証拠化をコントロールする権利として実現されている。即ち、供述の証拠化の場面においてである。
被疑者の取調べ段階での供述は、捜査官によって調書に録取されるが、その供述録取書の証拠能力は、前記のとおり、被告人がそのような供述をしたことを承認するという趣旨で末尾に署名押印(指印)することが絶対条件とされている。即ち、自己の供述が調書という形で裁判の証拠とされるのを拒否することが、被疑者の権限とされているのである。
このように自己の供述の証拠化をコントロールしうる権利があって初めて、自己負罪拒否特権及び黙秘権が担保されるのである。
ところで、右のように被疑者が自己の供述の証拠化をコントロールしうる権利が憲法上の自己負罪拒否特権及び製秘権の現れである以上、その反射的効果として、被疑者の供述が別の手段で証拠とされることが許されてはならない。
しかるに原判決及び一審判決は、被告人の捜査段暗における供述を内容とする捜査官の法廷供述について証拠能力を認め、この証言から被告人が行っていた捜査段暗における供述を認定し、更にそこから犯罪事実を認定した。
これは右の自己負罪拒否権および黙秘権の内容たる自己の供述をコントロールする権利の侵害であり、憲法及び刑訴法に違反するものである。
右のようなことが認められるのであれば、かたや調書という形での証拠化を拒否する権限を被疑者・被告人に与えていながら、それが取調官の供述という形で出されることは拒否できないという結果になり、右の自己負罪拒否権及び黙秘権の実質を掘り崩すものである。
また、捜査官の供述に対し反対尋問を行うことができるとはいっても、その供述内容が被告人の被疑者段階における供述なのであるから、原供述者からの直接供述を行わせるべきなのであつて反対尋問権の存在は何ら捜査官の証言の証拠能力を認める根拠とはなりえない。
よって、被告人の被疑者段階における供述を内容とする取調官の法廷供述に証拠能力を認めた原審及び一審の判断は、憲法第三八条第一項、刑訴法第一九八条第二項、第二九一条第二項、第三一一条第一項が定める自己負罪拒否権及び黙秘権の保障に違反する。