二、原判決の証拠構造
――被告人は信用できない自白により有罪とされた
原判決は、次のような構成の下に被告人の控訴を棄却した。
「第一 弁護人ら及び被告人の各控訴趣意書中原判示第一の佐藤松雄殺害事実に関する理由不備、理由齟齬の主張について
第二 弁護人ら及び被告人の各控訴趣意書中原判示第一の佐藤松雄殺害事実に関する訴訟手続の法令違反、事実誤認の主張について
一 弁護人ら及び被告人の主張の骨子
二 本件死体と被害者佐藤松従との同一性
(1) 歯牙の状態について
(2) 本件死体の死後経過時間について
(3) その他の身体的特徽の一致について
(4) 結び
三 佐藤殺害事実に関する被告人の自白の存在と証拠能力
(1) 所論が指摘する 「自白」 の存在及びその内容について
(2) 伝聞証拠として証拠能力を有しないという主張について
(3) 自白の任意性を欠くとの主張について
(4) 別件逮捕、勾留中の自白であるとの主張について
四 佐藤殺害事実に関する被告人の自白の信用性
五 佐藤殺害事実と被告人との結び付き
(1) 佐藤の死体が遺棄されていた場所を被告人が知っていた事実について
(2) 被告人が犯行日時ころ犯行場所付近に所在し、本件犯行の機会があった事実について
(3) 被告人が佐藤の失踪直後から同人の実印、印鑑登録証その他を所持しこれらを使用していた事実について
(4) 佐藤殺害の動機となりうろ状況が存在していた事実について
(5) ホテルのロビーで大きな段ボール箱を重そうに運んでいた不審な人物の存否について
(6) 被告人が佐藤の死後その財産を乗っ取りともいうべき態様で処分していた事実について
(7) 被告人が佐藤の消息に関し虚偽の説明をしたり不自然な態度をとっていた事実について
六 殺意の存在
七 結び
第三 弁護人ら及び被告人の各控訴趣意書中原判示第二ないし同第九のいわゆる財産犯関係事実に関する訴訟手続の法令違反、事実誤認の主張について
第四 被告人の控訴趣意書中量刑不当の主張について
原判決の判断の進め方は基本的に一審判決の判断を前提にして、被告人及び弁護人の主張に対し一審記録及び原審における事実取調べの結果に基づいてこれを検討し、その結果被告人及び弁護人の主張をいずれも排斥する、というものである。
したがって、原判決の証拠構造は、基本的に一審判決のままである。
そこで一審判決の証拠構造を見てみる。
一審判決の構成は次の通りである。
第一 佐藤が昭和55年7月下旬ころ筑紫野市又はその周辺において何者かによって殺害された事実についての検討
一 佐藤が死亡した事実について
1 昭和55年8月13日、福岡県筑紫野市内の杉林で身元不明死体が発見された事実
2 右死体と佐藤との同一性
(一) 歯の状態
(二) 性別、年齢、血液型等
3 佐藤の死亡時期
4 まとめ
二 佐藤の死因について
第二 被告人と佐藤殺害の犯行との結び付きに関する証拠(事実)及びその争点
第三 被告人と佐藤殺害の犯行との結び付きに関する客観的証拠(事実)の検討
一 被告人が佐藤の死体の遺棄場所を知っていた事実について
1 佐藤の死体の遺棄場所についての被告人の供述
2 被告人の供述する死体の遺棄場所と死体の発見現場との一致
3 捜査の進展状況(死体の遺棄場所の秘密性)
4 被告人の弁解
5 まとめ
二 被告人が、佐藤の死亡推定日ころ、その死体発見現場に近接して所在していた事実について
1 被告人が昭和55年7月24日及び25日に福岡に所在していたこと
2 佐藤の生存が確認された最終日時及びその場所
3 まとめ
三 被告人が佐藤の失踪直後から同人の実印、印鑑登録証、銀行印、定期預金証書並びに同人が代表取締役をしている株式会社佐藤企画、有限会社第二企業及び有限会社キャピタル興業の社印、小切手帳等を所持していた事実について
四 動機となりうる状況の存在
五 佐藤失踪後の被告人の不自然な言動
1 七月下旬の多額の支出
2 被告人による佐藤の財産の処分 .
(一) 宗建に対する千五百万円の貸付金の領得
(二) 佐藤の田園調布の自宅の売却
(三) 佐藤の定期預金の引き下ろし
(四) 宇田川町ビル関係等
(五) 北陸銀行渋谷支店の定期預金に対する強制執行
3 佐藤失踪に対する被告人の態度
4 まとめ
第四 被告人の自白及びその他の供述の検討
一 被告人の自白についての検討
1 博多城山ホテルで佐藤の死体を発見し、その死体を遺棄したとの供述について
2 被告人の自白について
(一) 本件死体遺棄現場付近の小川で佐藤を殺害したとの自白について
(二) 博多城山ホテルで佐藤を殺害したとの自白について
(1) 自白に至る経緯
(2) 犯行一現場
(3) 犯行態様
(4) 死体の緊縛
(5) 死体の梱包及び抜出の可能性
ア 段ボール箱入手の可能性
イ 死後硬直との関係
ウ 重量との関係
(6) 本件犯行当時ころ博多城山ホテルのロービで大きな段ボール箱を重そうに運んでいる不審な人物がいた事実
(7) レンタカー借受けの事実
(8) 動機
二 被告人のその他の供述の検討
1 死体遺棄現場付近の小川の中で佐藤が転倒死したとの供述について
2 昭和55年7月25日の行動についての被告人の弁解について
三 まとめ
第五 結論
一審判決は、被告人と佐藤殺害の犯行との結び付きに関する情況証拠として4点あげるが、一の「被告人が佐藤の死体の遺棄場所を知っていた事実について」以外の情況証拠自体では被告人と佐藤殺害を直接結び付けることはできないことを認めた上で、最終的には自白の信用できることを有罪の根拠としている。
しかし、一の「被告人が佐藤の死体の遺棄場所を知っていた事実」にしても、それだけでは、犯罪事実が全く明らかにならず、単なる死体遺棄なのか、傷害致死なのか、殺人なのかの判断もつかないのであるから、自白が信用できるかどうかが本件の最大の争点である。
しかしながら、本件の複雑怪奇なのは、その先である。
一・二審判決とも被告人の自白は信用できるとし、その自白の内容とは、原判決によると次の通りであるとされる。
「昭和55年7月25日の朝、被告人は、羽田から飛行機で福岡に向かい、福岡空港から博多駅に行き、駅前でレンタカーを借り、佐藤と約束していた三井アーバンホテルに行ったが、そこには、佐藤が泊まっていなかったので、佐藤に言われていたもう一つの中洲のホテルに電話したところ、六階の何号室かに居るということだった。
そのホテルの教えられた部屋に入っていくと、佐藤は寝間着をはだけパンツが見えるような格好で出てきて、いきなり、俺のバッグを返せとつかみかかってきたので、ベッドの足もとの辺で揉み合いになり、たまたま部屋の台の上にあった花瓶様の物が目に止まったので、それで頭部を数回殴りつけたら、ベッドの上に仰向けに倒れた。
怪我はしていたが血はほとんど出なかった。
死んだと思い、外に出て近くの雑貨屋で段ボール箱、ガムテープ、ビニール紐、登山ナイフを買ってきて、佐藤の死体を立てた膝を両腕で抱えるような姿勢に出来るだけ小さく縛り、その際、頭の辺りというか、鼻の辺りから血が滴り落ちたのでシーツで頭部をぐるぐる巻きにし、死体を段ボール箱に押し入れ、ガムテープで梱包した。
余った段ボール箱を下に敷き、その上に梱包した段ボール箱を置き、橇のように使って箱を玄関まで運び、レンタカーに積み太宰府の杉林の中に転がり落とし、箱から死体を出して縛っていた紐をライターで焼き切った。
その後登山ナイフで佐藤の陰茎を切ったが、これは頭が混乱していて何が何だか分からないでそのようなことをしてしまった。
死体の梱包に使用した段ボール箱とか佐藤の所持品等は、車で福岡に帰る途中少しずつ道端に捨てた。」(16丁裏~17丁裏)
「自白」によれば、被告人は昭和55年7月25日の早朝、飛行機で福岡に行ったと言うのであるから、犯行日は同日でしかあり得ないが、原判決は、犯行日は24日又は25日で犯行時刻は25日午前9時より前と「推定」した一審判決を破棄しなかった。
「自白」によれば、犯行場所は中洲にあるホテルの6階の部屋であるが、判決は博多城山ホテルの414号室と断定し、「被告人の単なる記憶違い」であるとする。
凶器は、9月1日の「自白」によれば花瓶のようなものであり、同月12日の「自白」によれば灰皿であるが、判決は、そのいずれとも特定せず、単に鈍器という漠然とした認定にとどめたうえ、「外からの凶器の持ち込みの可能性も否定し得ない」 と説示した。
「自白」によれば、被告人は、バッグを返せと言ってつかみかかってきた佐藤ともみ合いになり、その際、目にとまった花瓶のようなもので佐藤の頭部を殴ったと言うのであるが、一審判決は
「攻撃は、両者の喧嘩闘争中になされたようなものではなく、佐藤の隙を襲って加えられた一方的なものであったと強く窺われる」
と判示し(96丁)、原判決も自白に疑問を入れ、
「下を向いていたときか或はうつ伏せになっていた状態か、さもなければ背後から強打されていると思われ(る)」(64丁裏~65丁表)
と判示した。
「自白」によれば、被告人は、雑貨屋に行って段ボール箱、ガムテープ、ビニール紐及び登山ナイフを買ってきたと言うのであるが、判決は、登山ナイフを買ったことも、入手し得たことも、認定していない。
他面、一審判決は
「被告人が当日登山ナイフを所持していたというのも誠に不自然である」
と言っている(78丁)。
以上のように、被告人の「自白」と一・二審判決の認定ないし推測した事実とは、ほとんどすべての点において異なっている。
一・二審判決とも、「自白」には信用できない点が多いことは認めているのであるから、「自白」は全体として信用できないと判断するのが当然であろう。
しかるに、一・二審判決は、あくまでもこの「自白」にしがみつき、それが信用できると言う。
それでは、原判決が信用性が高いという「自白」なるものの内容はどういうものになるか。
罪となるべき事実の枠内で原判決が採用したそれの内容は、文字通り、
「被告人は、福岡の中洲のホテルの客室で、佐藤の頭部を何かのもので数回殴った。そうしたら、ベッドの上で佐藤が死亡した」
というだけのものに帰着する。
このように抽象的概括的で断片的な、検察官に対する「自白」が信用できるとして人を殺人罪に問うなどということは、まさに常軌を逸している。
以上見てきた通り、本件は情況証拠のみでは佐藤殺害を認定することはできず、自白の信用性が最大の争点であるが、その自白にも信用できない点が多々あることは原判決自身認めているのである。
それであれば、被告人は佐藤殺害については無罪とされるのが当然の論理的帰結であるにもかかわらず、有罪とされた。
まさに重大な事実誤認であり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
以下には、被告人の自白が全く信用できないものであることを様々な角度から詳論する。