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17.自白の経過

八、自白の経過 

  1.自白の時期

 被告人は昭和60年7月16日に逮捕され、初めて佐藤殺害についての自白をしたのは、逮捕後45日経過した8月29日であった。その間の身柄関係は、次の通りである。 

 7月16日 逮捕 一審判決判示第八(佐藤名義の住民異動届、印鑑登録)・第九(宇田川町の建物の所有権移転登記)の事実

 8月 6日 起訴 右事実

 8月 7日 再逮捕 判示第三(田園調布の宅地建物への仮登記)・第七(同所有権移転登記)の事実

 8月28日 追起訴 右事実 

 右財産犯による身柄拘束期間中も主として佐藤殺害容疑で取調べがなされていたことは第一の四項(別件逮捕勾留)で述べた通りであり、しかもその取調べが連日長時間、深夜にわたるものであったことも第一の五項(自白の任意性)で述べた通りである。

 また原判決も、被告人の自白の任意性を検討する際に、

「被告人は、佐藤殺害事実に関する捜査官の取調べの際、捜査官が把握している事実関係の範囲、程度に強い関心を寄せ、それを慎重に探りながら冷静かつ意図的に、周到に計算したうえで供述していることが認められる」(23丁) 

と述べ、第一次・第二次逮捕勾留期間中に佐藤殺害容疑の取調べがなされていたことを暗に肯定している。 

 しかも、被告人が初めて自白した8月29日は、追起訴後の勾留期間中であって、本来であれば任意の取調べもなされるべきではないのに、佐藤殺害容疑で逮捕されたわけでもないにもかかわらず、同容疑で午前8時20分から延々14時間40分もの取調べがなされた日であった。この取調べ時間は、被告人の身柄拘束期間中でも、二番目に長いものであった(当日の取調べの状況は、6(1)で詳述する)。

 この自白の任意性が否定されるのは当然であろうし、その後の自白も含め、身柄梗塞後45日もしてから、このような苛酷な取調べの結果初めて佐藤殺害の自白が得られたのであるとすると、これは良心に促された、内心の自発的意思に基づく自白とはおよそ言い難く、その信用性は自ずと低いと言わざるを得ない。 

 2.初期自白の内容

 8月29日に被告人が初めて佐藤殺害を認めた初期自白の内容は、

太宰府の山中の小川の中で、佐藤が突然「俺の鞄から抜いたバッグを返せ」とわめいて突進してきたので、とっさに石を拾ってそれで殴打したところ、いびきをかき口から泡を出していたので、「もうだめだ、死んでしまう。生き返ったら困る」と思い、首をビニール紐で締めて殺害した、

というものであった。これは犯行場所も凶器も犯行動機も犯行態様も、およそ原判決が認定した犯罪事実とは異なる内容になっている。 

 ところで、原判決によると、

 「8月29日及びその直後の被告人の自白は、妻との離婚や佐藤の死体発見により自己の防御シナリオが崩れたショックが重なった時期のもので、佐々木証言によれば、同人が8月28日に被告人を取り調べたとき、被告人が、「弁護士に家族の事をお願いしたらすべて話す。二、三日中に全部を解決する。この期に及んで見苦しい態度をとらない」と述べていたことが認められることに徴しても、その時点における供述には作為が少ないとみることができる。」(28丁裏~29丁表)

という。 

 実際、佐藤殺害について否認してきた犯人が初めて自白するときは、真実を述べるはずである。だからこそ、初期自白が注目されるのである。判決の論法に照らせば、この河原殺害の初期自白の内容が最も信用できるということになるはずである。

 しかも、一審白石証人も、被告人は涙をぽろぽろ流しながら、腕をぶるぶる震わせて下を俯いたまますらすらと自白したと言うのであるから、なおさらである。

 ところが、原判決は初期自白の内容とは全く異なる犯罪事実を認定し、初期自白は信用できないとした。全くの自己矛盾である。そればかりか、自らが最も信用できるとした自白が信用できないのはどうしてであるか全く考えようとはしていない。

 何故に初めて佐藤殺害を自白するときに、虚偽の供述をせねばならなかったのか。犯行の一部を述べなかったのであればまだともかく、犯行場所・凶器・犯行態様・犯行動機についてあえて虚偽の供述をする理由は、被告人が佐藤殺害の犯人ではないからに他ならない。                      

 

 3.自白と否認の交錯

 七項(供述内容の変遷)でも見た通り、

8月28日まで佐藤殺害について否認し、29日初めて佐藤殺害を自白するに至るが、

その日の内に、その直後に佐藤殺害については否認に転じて、ホテルで発見した佐藤の死体を遺棄しただけだとの供述に変わり、

9月1日の取調べで佐々木検事に対し、初めて中洲のホテルにおいて花瓶様のもので佐藤を殴打して殺害した旨供述したが、

翌2日には一転して太宰府の河原における殺害の供述に戻り、同旨の供述がしばらく続いた後、

同月12日に再び中洲のホテルにおける殺害を認め、凶器については直径が20センチメートルくらいのガラスの灰皿である旨の供述に至ったが、

これを最後に佐藤殺害に関し絶対否認状態に転じ、その状態が現在に続いている。 

 被告人の自白には安定性・一貰性に欠け、それ自体に自白の信用性を失わしめる契機が含まれており、変転するうちの一つの供述を信用しうると考えるのは極めて危険であると言わざるを得ない。 

 4.自白の誘因・契機捜査官側の要因

 捜査官らは、昭和58年2月頃、北陸銀行渋谷支店に情報収集に立ち寄った警察官が銀行係員から佐藤が昭和55年7月頃から姿を見せなくなり、代理人と称する者が預金を下ろしに来たりして不審があると聞き込んだことから、その翌年から佐藤の所在調査やその財産の移動状況等の捜査に取り掛かったところ、佐藤が既に死亡していると疑われ、しかもそれに被告人が深く関与しているのではないかという疑いが出てきた(原判決34丁表)。

 しかし、佐藤の死体も発見されていなければ、被告人が佐藤を殺害したことを直接証する証拠も発見されていなかった。そのような状況下で、捜査官は、証拠関係の明白な佐藤の住民異動届や印鑑登録の有印私文書偽造等の別件で被告人を逮捕し、その身柄拘束を利用して被告人を佐藤殺害の容疑で取り調べた。

  強制捜査に踏み切れば、容易に被告人は自白するものと考えていたのであろう。ところが、被告人は頑迷に否認を続けた。

 そこで、捜査官は同時処理可能な佐藤の田薗調布の自宅の所有権移転登記に関する有印私文書偽造等の財産犯の容疑を小刻みに利用して、再逮捕勾留を繰り返した。

 捜査官としては、被告人が東京都内で佐藤を殺害したのではないかとの嫌疑を抱いていた(一審判決43丁裏)ものの、一向に佐藤殺害の自白を得られないばかりか、佐藤の生死の事実の確認すら得られていない状態が続き、日増しに焦燥感が募っていったであろう。四人もの取調官を投入して連日長時間にわたる取調べを行っていたところからも、被告人の自白を是が非にも必要としていたことは容易に窺われる。

  5.警察官調書と検察官調書及び調書の作成の有無

 被告人は、8月23日、24日に検察官に対し佐藤の死体遺棄現場を供述し、同月29日に警察官に対し河原殺害初期自白をし、9月1日以降は専ら検察官に対しホテル殺害初期自白、河原殺害後期自白及びホテル殺害後期自白をしたとされるが、自白調書は昭和60年8月29日付警察官調書のみであり、それ以外に自白調書は作成されていない。

 自白調書が作成されていないこと自体が自白の信用性を著しく減少せしめるものである。

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